退職者会ニュースの校正刷り、第3校ができあがった。これで印刷をお願いすることになった。ようやく私の編集作業は終了。出来上がりは18日昼前まで。いつものとおり組合の会館に配送をお願いした。
いつもここまで来ると、肩の荷が降りた実感が湧いてくる。毎年5月号は連休が間に入るので、編集作業は早めに行わなくてはいけないので、あたふたする。特に原稿依頼するときは早めに書いてもらうようしつこいくらいに催促しなくてはいけない。そしてメーデーの記事を掲載するために、ギリギリまで原稿が確定しない。メーデーのスペースを空欄にして編集する。そしてあらかじめ決めた枠の中にメーデーの記事を詰め込む。
印刷会社の校正刷りをつくってもらう方には毎回頭を下げてお願いするばかり。
今年は新型コロナ騒動でメーデーが中止になり、助かったものの、こんどは総会まで紙面での対応となったため、議案書を新聞に掲載することになり、やはり慌てた。新聞とはいえ、文字ばかりの4頁仕立て、というのはできれば作りたくない紙面構成である。
それでも読んでもらえるような構成上の工夫はしたつもりだ。途中で放り投げないで、最後まで読んでもらえるだろうか。だんだんこの不安が増幅してきた。
★ねむき子を負ひメーデーの後尾ゆく 佐藤鬼房
★雪のこるメーデーへ来て加はりぬ 安藤次男
「24時間働けますか」という馬鹿馬鹿しく、腹立たしいコマーシャルがつい最近まで流れていた。非人間的なコマーシャルを平然と作る会社があり、その会社の労働組合が文句を言わず、それを流すテレビがあり、それを違和感なく見聞きしている国民がいて、弁護士も、労働組合の中央組織も抗議しない。そんな世の中、そんな国に私たちは住んでいる。
メーデーの「8時間労働」の獲得目標など何ら考慮されない「先進国」日本。メーデーが来るたびに私は気持ちが落ちこむ。
私が学生の頃、仙台のメーデーを覗いたことがある。お祭りのようなリラックスした雰囲気になじめなかったが、今思うと当時はメーデー参加を理由として仕事や職場を離れることができたのである。
そしてメーデーの赤いハチマキや腕章をしたまま、デモ解散地点で参加者は居酒屋に流れ込んでいた。労働時間の短縮、メーデーの日は早く帰ることができる、飲み屋に明るい時間帯に行ける、子どもも参加して職場の仲間と交流できる、実に和気あいあいとして楽しいのである。
職場と地域と家庭が混然となる場面は無くなってしまった。もう一度労働時間の短縮を肝に据えて労働運動が変わっていかなくてはいけないのではないだろうか。それに伴ってこれからメーデーも変わっていかないといけないのだろう。