Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読書

2020年05月22日 22時03分10秒 | 読書

 本日の読書は「スペイン美術史入門」と岩波文庫「東京百年物語③ 1941~1967」。

 「スペイン美術史入門」は序章と第1章を少々。序章は監修者でもある大高保二郎氏が執筆。副題が「雑多るものの融合と変貌、積層する視覚経験」となっており、教科書的な記述と同時にイベリア半島の歴史と風土と文化総体から美術史を見る視点を散りばめており、興味深い叙述であった。イベリア半島内にかぎらず、大航海時代以降に支配下に置いた中南米の建築史・美術史も射程に入れて、かなりの分量を裂いていた。この目配りも刺激を受けた。
 この書物、残りは第1章のみとなった。

 「東京百年物語③」におさめられている三島由紀夫の「橋づくし」、山川方夫の「お守り」、吉本隆明の詩「佃渡しで」の3篇を読んだ。
 三島由紀夫の「橋づくし」(1956)は初めて読んだ。花柳界の女性4人の取り立てて大きな事件ではないが、残酷ともいえる突き放したような造形が鮮明である。このような花柳界の世界は私にはもともと縁のない世界であるが、それが1950年代まで残っていたこともまた思いもよらないところで私は生きていた。
 山川方夫の名は初めて聞くような気がしていたが、この「お守り」(1960)という作品は中学か高校のときにおそらく文庫本で読んだと思う。
 吉本隆明の「佃渡し」は私には忘れられない詩。大学生のころ、ずいぶん親しんだ吉本隆明の詩で最初に目にした作品である。

 山川・吉本の東京都市風景は、わたしも共有でき、共感できる世界である。そのような世界の接していたり、あるいはその中に暮していた。三島の描く世界はやはり私にはどこか遠い、霞みの向うの捉え難い東京の都市風景である。


ギックリ腰 5 整形外科

2020年05月22日 14時56分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 十数年ぶりにかかった整形外科、X線写真では以前の坐骨神経痛の原因といわれた腰椎のズレの指摘があった。私の記憶では当時の別の病院で撮影したものよりもズレは大きくなっているようにも思えたが、黙っていた。

 治療は電気と温熱。ということは炎症は筋肉でおさまっていると診断されたようだ。理学療法士に聞くと、お風呂は温めで短時間のほうがいいということを言われた。数年前の坐骨神経痛の時のようにあたためることでかえってひどい症状になることはないらしい。
 取りあえずは明日土曜は電気と温熱治療に通うことにした。しばらくは柔軟体操なども無理のようである。

 病院の往復は杖を使わずにゆっくりと歩いてみた。急坂はときどき電柱に凭れてひと休みしながら、なんとか一人で歩いた。


ギックリ腰 4 熟睡

2020年05月22日 10時48分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 寝る前に服用した鎮痛剤が睡眠を心地よくしてくれたのだろうか。いつもより早めの1時に寝て9時まで熟睡した。久しぶりに8時間たっぷりと寝ることができた。
 起きるときは右側の腰のあたりがまだ痛い。しかし昨晩よりはずっと楽に起き上がることができた。また直立することも出来た。昨日の午前中は便所まで這っていった。本日は家具や壁に手をついたが、杖を突かなかった。
 朝食のとき、椅子の背にもたれかかったいたが、姿勢を元に戻すときに苦労した。背中の右側の筋肉に力が入らない。ひじ掛けの両手に力を入れてようやく体を起こすことができた。まだまだ筋肉の炎症は回復しきっていない。無理は禁物のようである。

 椅子に座り続けるよりも、仰向けに寝ているほうが楽である。ときどきは横を向いたり、時には唸りながらでもうつ伏せになったりするのもいいようだ。
  これより近くの整形外科に診てもらう予定。建物は鉄筋で立派であるが、待合室はいつもガランとしている。痛み止めの薬の処方だけでもしてもらえばいい。