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「堀田善衛を読む――世界を知りぬくための羅針盤」(池澤夏樹・吉岡忍・鹿島茂・大高保二郎・宮崎駿・高志の国文学館(館長:中西進)、集英社文庫)を読み終わった。
いづれの章も興味深く読むことができた。
不思議なもので私は20代半ば過ぎに初めて堀田善衛の作品に接した。文庫本で「広場の孤独」「時代」「若き日の詩人たちの肖像」「19階日本横丁」「方丈記私記」を読んだ。
それまでも名前は知っていたけれど、読む機会はなかった。
60年代末から70年代初頭、「リベラル」であることと「ラディカル」であることの区別も分からず、それらがるつぼの底に渦巻いているような世界に当たり前のように引きづり込まれた。
その体験は、これまで教わってきた歴史や社会や文学の世界から「国家」という概念を取り除いたとき見えたのである。「国家」という軛を取り除いたときに見えてきた世界は底抜けに明るく、そして輝いて見えた。それは一瞬のうちに私に大きな衝撃を与えた。
そんなが体験を経た後、社会が閉塞していく70年代半ば以降、私はそれ以前の体験から得られた核、あるいは芯となっているものを少しだけずらして見るということを覚えた。
そうすることで不思議なことに、今迄響いてこなかった職場の仲間や社会で接する人との意思疎通が、そして世界がより奥行きのあるものに見えてきたと感じた。
自分と社会がつながっていた1本のタコ糸が、数本の細いが強くしかも双方向に通信できる通信ケーブルのようなものに変化したと思った。それを少しずつより強くしていくことで社会と自分の回路が私なりに、より豊かに出来上がったと思う。
だが、この体験は十代末のときのように一瞬で体験したことではなかった。時間をかけて少しずつ、それこそ20年以上にわたって積み重ねた体験である。
文学作品にかぎらず、作品というものに共鳴するということは、読者の心のありようや、読者の社会の受容の水準などさまざまな要素が絡み合っている。読者の心が作品に響いて共鳴する瞬間というのがある。成長していたとか、大人になったとかというのではない。年齢がいっているとか、若すぎるとかということでもない。この響きや共鳴を敏感に感じ取ることが、その人の生涯を決めることもある。
残念というべきか、20代後半の私には堀田善衛の紡ぎだす世界に共鳴することができなかった。現在堀田善衛の作品に共鳴する、というのは最近の社会のありようが私にそうさせているのか、私が自分のこれまでの世界の見落としを拾い集めはじめたためか、何が原因かは捉えようがない。だが確実に、堀田善衛の作り上げた世界に自分の心が共鳴していることを感じ取っている。社会や歴史や文化の現象を前にして、それらをできる限り複合的に、時間の累積にたじろぎながら汲み取ろうとする堀田善衛の力技に脱帽している自分がいる。
そんなことを考えながら、終章の「堀田善衛20のことば」からいくつかを引用しておきたい。
まず、誰のことばかわからなかったが、私はよくこの趣旨の文章をこのブログでも書いている。30代になる前に読んだ「時間」の中に出ていた言葉だとは思い出しもしなかった。あらためて大切にしたい。
「何百人という人が死んでいる――しかしなんという無意味な言葉だろう。数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を、黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならない。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万人にのぼったのだ。何万人と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある‥‥。」(「時間」より)
「私が慶応の予科に入るために上京したのが、‥2・26事件の当日でした。‥つまり、軍隊は反乱を起こすことがある、また天皇がその軍隊を殺せと命令することもある、そういうことを認識させられたということです。これは、生家が没落したという経験とも重なって、国家もまた永久不変ではなく、軍隊の反乱などによって崩壊することもあるのだという、中世の無常観ともつながる感覚を与えられたわけで、こうした経験は、私自身の人格形成に深い影響を与えているだろうと思われます。」(「めぐりあいし人びと」)
「人間の存在は、たとえば巨大な曼荼羅の図絵のように、未来をも含む歴史によって包み込まれていると思う。よく、「歴史は繰り返さず」というが、このことばはもう一つ、「歴史は繰り返さず、人これを繰り返す」ということばがくっついていたはずである。」(「時代と人間」)
次の「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」は定家の明月記にある有名なことば。この言葉は私も大切にしている。自分が「政治」の世界には入り込まないという選択を20代初めにしたときから、どこかで聞きかじってきた。多分この本の「はじめに」を書いた中西進氏の本から学んだ気がしている。
だが労働組合の関係からは政治の世界を見、そしてその範囲で政治の世界とは付き合っている。あくまでも私の属する世界は「政治」の世界ではないと考えている。そうはいっても政治の世界は社会に生息している以上点いて回ってくる。
「『世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。』定家のこの一言は、当時(戦争中)の文学青年たちにとって胸に痛いほどのものであった。自分がはじめたわけでもない戦争によって、まだ文学の仕事をはじめてもいないのに戦場でとり殺されるかもしれぬ時に、戦争などおれの知ったことか、とは、もとより言いたくても言えぬことであり、それは胸の張裂けるような思いを経験させたものであった。」(「定家明月記私抄」)
「あちこちヨーロッパを歩き回っていると、結局、僕自身が路上の人なんだと、ルンペンなんだとという気がひしひしとしてきてね。またルンペンであった方が、ヨーロッパは見えてくる。組織に属した者は眼を組織の方に向けてしまうから、自分のいるところが見えなくなってしまう。」(「路上の人」)
「美術とは何か。美術とは見ることに尽きる。そのはじめもおわりも、見ることだけである。それだけしかない。見るとは、しかし、いったい何を意味するか。見ているうちに、われわれのなかで何かが、すなわち精神が作業を開始して、われわれ自身に告げてくれるものを知ること、それが見るということの全部である。すなわち、われわれが見る対象によって、判断され、批評され、裁かれているのは、われわれ自身にほかならない。」(「ゴヤ」)
「ゴヤは、敵味方、つまりフランス軍とスペイン・ゲリラの双方の戦争の残虐さを、まことに公正な視点でとらえていて、それを見事に描き分けています。決して侵略される側のスペイン・ゲリラのほうにのみ立っているわけではなく、その悲惨さを冷徹に描いています。そして、自由、平等、博愛という魅力的なイデオロギーを掲げながら、軍隊という野蛮な力をもって他国を踏みにじるナポレオン軍に対する批判も十分に尽くされている。」(「めぐりあいし人びと」)