Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ギックリ腰 7

2020年05月23日 22時54分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は、ギックリ腰の痛みはだいぶ引いている。昼食と近くのスーパーでの買い物から帰宅したときは、だいぶ草臥れたが、痛みが増すことはなかった。鎮痛剤のお陰かもしれないので、まだまだ油断はできない。
 湿布薬は被れる可能性があるので、夜寝る前だけにしている。

 病院の治療は昨日と同じで、電気とマイクロ波による温熱を各10分。土曜日は11時50分まで受け付け、ということでその5分前に受付をしたのだが、二つの治療が終わるとすぐに部屋と階段の電気を消されるなどまるで追い出されるように急かされて会計を済ませた。靴を履いている最中に最後まで点いていた玄関の電気まで消されてしまった。待っていてくれた妻もビックリ。
 何とも嫌な病院である。月曜日にも治療に行こうと考えていたが、痛みがひどくならない限り行かないことにした。

 夕方になってから四つん這いになって背中を伸ばしたり、まげたりをゆっくりと数回繰り返してみた。

 本日も浴槽の中で腰をさすりながらのんびりとつかりたい。

 


紫陽花の季節

2020年05月23日 17時17分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連

            

 5月も下旬、本日病院の帰り、街路樹の高木の下に植えてある紫陽花が咲いているのに気がついた。「緊急事態宣言」と「外出自粛」に振り回されている間にすでに紫陽花の季節になっていた。
 「緊急事態宣言」以前は基本的には土曜日の夕食は外食、といっても家の近くの中華料理、イタリア料理、蕎麦屋、焼き鳥居酒屋、喫茶店などを順繰りに回っていた。
 「緊急事態宣言」後、4月いっぱいは家でいつものように食べていたものの、5月からは土曜日の昼間にそれらの店をまわっている。
 本日は時どき妻の肩につかまりながら、病院から中華料理店まで10分ほど歩いた。途中、紫陽花とさらにその下に咲いている花をスマホで撮影してみた。
 お店で注文したのは、チャーハンと焼きそばを各ひとつ、半分ずつ食して、合わせて1500円。
 それでもお腹いっぱいになる。もう少し若ければ、餃子の一人前でも追加注文したかもしれないが、もう無理である。
 地元のスーパーで若干の買い物をしたが、荷物は妻にすべて任せて、私は空身で後ろをひょこひょこ歩いた。

★紫陽花の蔭に目があり見ればなし    加藤楸邨

 この句「野哭」の「流離抄」におさめられている。1946年の句。この句の前には「教員組合結成会議席上」の前書きのある「飢餓線といふ語うべなひ焚きけぶらす」という句もある。戦後の混乱期の、しかも新しい労働組合運動に携わる加藤楸邨にもさまざまな監視もあったと思われ、その緊張感が伝わってくる。
 「目があり見ればなし」の語が緊張感をもって伝わるのは、紫陽花の厚い葉蔭は紫陽花の鮮やかな花の色と厚い葉のために暗い「闇」が控えているからである。社会の実相も、さらに作者の緊張と不安の心象をも「写し」出す「写生」である。


ギックリ腰 6 昨日よりは明るい曇り空

2020年05月23日 11時12分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も熟睡できた。鎮痛剤の「おかげ」なのかもしれないが、8時半ころに気持ちよく目覚めた。寝る前に貼った湿布薬を剥がす際の刺激で10時過ぎの体と頭の状態に一気に進んだ。
 腰に近い背筋の痛みはまだある。しかし家の中でも杖を突かなければならない状態はなくなった。椅子やベッドから立ち上がるときは、家具や壁に手を添えてゆっくり、こわごわ、をモットーにしている。体を捩じることも避けている。
 四つん這いになって背筋を延ばすようにしているが、それもゆっくりと。

 昨日に続いて整形外科に。本日は受付後すぐにリハビリの部屋に行くとのこと。診察室には入らないので医師には会わないとのこと。昨日帰りがけに、300円前後の支払いともいわれた。