Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日購入した本

2020年05月31日 21時29分59秒 | 読書

 午後に横浜の家電量販店にネット注文していた本を取りに行こうとしたら、突然の強い雨。ほぼ同時に大雨・洪水・雷注意報が発表された。さらに5分後には大雨警報に切り替わった。
 雷はさいわいにも雷光・雷鳴ともになかった。私の住んでいる国も市から「豪雨情報」がとどした。
 しかし短時間で雨は弱まり、折り畳みの小さい傘をさしながら横浜駅まで地下鉄で出向いた。購入した本を受け取ったものの、家電量販店はかなりの人混みであった。また格安の理髪店も10数名が店外に並び、入る気はしなかった。

 購入した本は、「方丈記私記」(堀田善衛、ちくま文庫、770円)。実は10年ほど前に本棚を整理したとき、堀田善衛の本は7~8冊ほどあったもののすべて古書店に売ってしまった。読んだものも未だ読んでいないものもあったが、すべて文庫本であった。当時はあまり私の心は共鳴しないものだった。
 しかし最近また読みたくなり、近くの古書店4件ほどをまわったけれども℃の店にも堀田善衛の本は置いてなかった。
 また神大の生協が電話などで注文を受け付けていてこれまでと同じように10%引き、ということも知らなかった。家電量販店で3%のポイント還元を利用して注文していた。他に「定家明月記私抄 正・続」(ちくま学芸文庫)も注文しているが、これはまだ店には届いていない。

 どちらも読み始めるのはこの次にする予定である。

 家電量販店で支払いを済ませた後、喫茶店で1時間ほど読書タイム。「図書6月号」から6編ほど。昨日手に至れ読書用の眼鏡を掛けた。

 


岩波「図書6月号」その1

2020年05月31日 18時44分41秒 | 読書



 午前中に岩波書店の「図書6月号」が配達された。

・表紙 「杳子」の森        司 修
「「あんたの描いた木の『杳子』ね、あれ、まだ玄関に飾ってある」といって古井さんは笑いました。」コロナウィルスによる緊急事態宣言の出た翌早朝の夢で、ケイタイの録音機能に喋っておいたものを聞きながら書いたのです。「『杳子』ね、あ、まだ玄関に飾ってある」という言葉は、夢ではなく酒場で会う十回に一度は聞いていました。古井由吉さんは、二月十八日、鬼籍にはいられました。」

・疾病対策の都市史に学ぶ     宮本憲一
「新型コロナウィルスはこの社会のシステムの欠陥を明らかにした。被害の特徴は公害と似ている。公害は年少者・高齢者・障碍者等の生物学的弱者と社会的弱者に集中するので、自主自責に任せず社会的救済が必要である。‥同じく予見の難しい自然災害の予防でとられる「事前復興」対策が検討されてよい。まずは公衆衛生を軸とする医療体制の改革であるが、根底は被害を深刻にした東京一極集中の国土と文明の変革である。」
「超高層ビルと稠密な交通網からなる災害に弱いメガロポリスをを作り上げた‥大東京圏をこのままにすれば、国土の社会経済の破綻は避けがたいことが今回はっきりした。‥「事前復興策」作理、国土の環境を破壊し大東京圏集積を進めるリニア新幹線建設をまず、中止すべきではないか。

・笑いについて          野矢茂樹
「規範に縛られてわたしたちは生きている。ときには規範を緩める場を設けてやることも大事。‥規範から外れる、ズレることであり、同時に規範に従わなくてはいけないという緊張から解放されることでもある。しかも大事なのはそこに安心感がることだ。‥安心して規範から外れる。緊張から解放されて心身共に弛緩して、笑いという反応が生じる。」
「安心して規範から外れるときに笑いが生じるのだとすると、逆に、笑うことによって、「ここは安心していい場所」というメッセージになる」

・その期に調べれば        藤田真一
「金子兜太氏の遺句集「百年」を送っていただいた。「語り過ぎて臍(ほぞ)かむなり敗戦器」「起きて行きて冬の朝日の横殴り」「歳を重ねて戦火まざまざ桜咲く」‥まるで体内からほとばしり出た生得の語勢を、仮に「俳句」とよんでいるだけのようにも見える。生命(いのち)のことば、といってもいいかもしれない。」
「句集最後の場面、「雪腫れに一切が沈黙す」冬の空高く突き抜ける明るさのうちに、もの音ひとつない、広々とした世界が開けている。」
「「河より掛け声さすらいの終るその日」「陽の柔わら歩き切れない遠い家」末尾の二句である。」
「辞世の句、臨終の吟、絶筆‥」


昨日伝えようとしたこと

2020年05月31日 12時37分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日のオンライン飲み会で伝えようとしたことは、あまりうまく言葉にならなかった。手元のメモを起こしてみた。

ゴヤ(1746.3~1828.4)
 ナポレオンスペイン侵攻(スペイン独立戦争)(1808-1814)の体験を版画集《戦争の惨禍》にまとめる。
・ゴヤは生前、宮廷画家として最高の地位を極めた。しかしゴヤの現代性はむしろ画家の没後徐々に明らかとなった「自由制作」の報にあり、それらはモダン・アートの選句しして評価が高い。かくしてゴヤは「死後の巨匠」として生き続けるのだ。(もっと知りたいゴヤ 解説文)

堀田善衛(1918.7~1998.9)
  1951年に芥川賞。1977~スペイン在住
 「広場の孤独」(1951)、「時間」(1953)、「方丈記私記」(1970)、「ゴヤ」(1977)、「定家明月記私抄」
 宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けている。宮崎の作品のゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来。

大高保二郎(1945.8~)
  1973~1976 スペイン留学 堀田善衛にスペイン案内役

★ゴヤ版画集《戦争の惨禍》(1810-15)より《5番 やはり野獣だ》(長崎県美術館)

・民衆の女たちが、槍や石やナイフを手にフランス兵と戦っている。再前景にいるのは幼子を背負った母親である。戦場では女たちもただ被害者に甘んじているわけではない。怒りと絶望に駆り立てられた時、彼女たちはまた加害者と化す。ここにあるのは戦う女たちの英雄性や愛国心ではなく、誰をも野獣にに変えてしまう戦争の痛ましさである。(もっと知りたいゴヤ 解説)
・「戦争の惨禍」国家単位の“現代”が終ることになってもらいたい‥という現代終焉願望が、「戦争の惨禍」をくり返し眺めていると自分のなかに澎湃として沸き起こってきて押しとどめることが出来ない‥。(堀田善衛「ゴヤ」第3巻)
・筆者(堀田善衛)は、戦争中の学生時代に「戦争の惨禍」を持っていた。(スペインの)ゲリラ側にも(ナポレオンの)フランス側にも、そのどちらにも身を傾けることなく、双方にとっての「戦争の惨禍」をつまりは人間にとっての戦争の惨禍をあますことなく、従前に描き切ったものであった。それは、戦時中の若者にとっては一つの啓示であった。「皇軍」「鬼畜米英」などという言い方が新聞やラジオで呶鳴るような調子で高唱されていた時に、戦争が人間にとっての惨禍であることをこれらの版画は、無言で若者に告げていた‥」(堀田善衛全集11巻、引用は大高保二郎)

★ゴヤ《1808年5月3日、マドリード プリンシペ・ビオの丘での銃殺》(1814)(ブラド美術館)



中央左で両手をあげているのはキリストの磔刑のイメージ。手のひらに聖痕がある。左端には聖母子象が描かれている。右側の銃を構えた兵士はナポレオンによって派遣されたフランス兵。
・両腕を上げた形式、それは殉教者だ。‥あれは、木が枝分かれして十字架となった磔刑の腕なんだ。」(パブロ・ピカソ)

 

★ゴヤ《暗い絵》(1820-23)より《砂に埋もれる犬》(ブラド美術館)



・生と死を象徴する流砂から頭だけをのぞかせ、上方を見上げる犬。悲しげなその姿にはゴヤ自身、あるいは歴史に翻弄されるスペインを重ねることも出来る。(もっと知りたいゴヤ 解説)
・堀田先生は「黒い絵」の中では「犬」という絵に、とりわけ思い入れが強かった。この絵に、自由や平和を希求し、苦悩してもがく人間の姿を見ていたのではないでしょうか。この犬は、ゴヤであり、堀田先生ご自身ではなかったか‥。(大高保二郎)