Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

シューベルト ピアノ五重奏曲「鱒」

2021年08月07日 22時41分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日のオンラインのクラシック音楽鑑賞会は「シューベルト ピアノ五重奏曲 鱒」。私はCDは持っていないが、中学生の時の音楽の教科書に歌曲の「鱒」が掲載されており、その関係で、音楽の先生からこのピアノ五重奏曲を聴かせてもらった記憶がある。
 今回の演奏では二つのことに感動。一つはピアノがメナヘム・プレスラーという1923年生まれのピアニストの90歳の記念演奏会ということであった。90歳にしては、曲の要所要所で四重奏のメンバーの音色に反応しながら、正確に音を刻んでいた。とても滋味溢れる演奏だと思った。ピアノがしゃしゃり出てくることはなく、5つの楽器のバランスに気を配った印象的な演奏であったと思う。
 もうひとつ感じたのは、この弦楽は普通はヴァイオリン2、ビオラ1、チェロ1だが、シューべケルトはヴァイオリンを1本にし、コントラバスを入れていることに恥ずかしながら初めて気が付いた。このコントラバスが入ることで、弦のバランスはどうなるのか、と胸騒ぎがしたが、ヴァイオリン、ビオラの響きがかえって安定しているように思われてびっくり。コントラバスの響きがあってかえってチェロの音色がきわだって聞こえたと思う。
 実はこの編成のピアノ五重奏曲、誰かの作品にもあったような気がしたが、作曲者の名前が思い当たらなかった。
 また別途、メナヘム・プレスラーが94歳の時の「月の光」(ドビュッシー)を聴いた。落ち着いて正確な演奏にまたびっくり。無論それなりの歳を感じさせる演奏ではあったが、感動というのと完璧な演奏というものは違うといういい令だと思った。また私はドビュッシーの曲というのが好みではないのだが、この演奏ならば他のドビュッシーの曲も聴きたいと思わせてくれる演奏であった。私のドビュッシーのイメージとは好ましい方向でのズレがあった。

 楽しく、そしていい刺激の音楽鑑賞会であった。


広島平和記念式典「平和への誓い」

2021年08月07日 14時12分54秒 | 読書

                                    平和への誓い

私たちには使命があります。
あの日、広島で起きた悲惨な出来事。
そのことを知り、被爆者の方々の思いや願いを聞き、考え、
平和の尊さや大切さを、世界中の人々や次の世代に伝えなければならないのです。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
赤く燃え、真っ黒に焼け焦げてボロボロになった広島の町。
「兄が死ぬより、わしが死んだ方がよかった。」
大切な人が亡くなった悲しみと生き延びた者の苦しみには終わりがありません。
心に深く傷を負った被爆者は、それでも前を向き
「僕ら若人の力によって、きっと平和な世界を築き上げてみせる。」と決意しました。
悲しみや苦しみを抱えながらも、被爆者の方々は生きることを決して諦めず、
共に支え合い、広島の町の復興に向け立ち上がりました。
本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。
私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。
誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。
争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。
広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。
 令和3年(2021年)8月6日
                                                             こども代表  広島市立袋町小学校   6年 伊藤まりあ 
                                                                                       広島市立五日市東小学校 6年 宅味 義将 


今年の広島市「平和宣言」

2021年08月07日 13時51分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 平和宣言

76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。

「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」、これは思い出したくもない辛く悲惨な体験をした被爆者が、放射線を浴びた自身の身体(からだ)の今後や子どもの将来のことを考えざるを得ず、不安や葛藤、苦悩から逃れられなくなった挙句に発した願いの言葉です。被爆者は、自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさや非人道性を伝えるとともに、他人を思いやる気持ちを持って、平和への願いを発信してきました。こうした被爆者の願いや行動が、75年という歳月を経て、ついに国際社会を動かし、今年1月22日、核兵器禁止条約の発効という形で結実しました。これからは、各国為政者がこの条約を支持し、それに基づき、核の脅威のない持続可能な社会の実現を目指すべきではないでしょうか。

今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。持続可能な社会の実現のためには、人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず、完全なる撤廃に向けて人類の英知を結集する必要があります。

核兵器廃絶の道のりは決して平坦ではありませんが、被爆者の願いを引き継いだ若者が行動し始めていることは未来に向けた希望の光です。あの日、地獄を見たと語る被爆者は、「たとえ小さなことからでも、一人一人が平和のためにできることを行い、かけがえのない平和を守り続けてもらいたい。」と、未来を担う若者に願いを託します。これからの若い人にお願いしたいことは、身の回りの大切な人が豊かで健やかな人生を送るためには、核兵器はあってはならないという信念を持ち、それをしっかりと発信し続けることです。

若い人を中心とするこうした行動は、必ずや各国の為政者に核抑止政策の転換を決意させるための原動力になることを忘れてはいけません。被爆から3年後の広島を訪れ、復興を目指す市民を勇気づけたヘレン・ケラーさんは、「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる。」という言葉で、個々の力の結集が、世界を動かす原動力となり得ることを示しています。為政者を選ぶ側の市民社会に平和を享受するための共通の価値観が生まれ、人間の暴力性を象徴する核兵器はいらないという声が市民社会の総意となれば、核のない世界に向けての歩みは確実なものになっていきます。被爆地広島は、引き続き、被爆の実相を「守り」、国境を越えて「広め」、次世代に「伝える」ための活動を不断に行い、世界の165か国・地域の8,000を超える平和首長会議の加盟都市と共に、世界中で平和への思いを共有するための文化、「平和文化」を振興し、為政者の政策転換を促す環境づくりを進めていきます。

核軍縮議論の停滞により、核兵器を巡る世界情勢が混迷の様相を呈する中で、各国の為政者に強く求めたいことがあります。それは、他国を脅すのではなく思いやり、長期的な友好関係を作り上げることが、自国の利益につながるという人類の経験を理解し、核により相手を威嚇し、自分を守る発想から、対話を通じた信頼関係をもとに安全を保障し合う発想へと転換するということです。そのためにも、被爆地を訪れ、被爆の実相を深く理解していただいた上で、核兵器不拡散条約に義務づけられた核軍縮を誠実に履行するとともに、核兵器禁止条約を有効に機能させるための議論に加わっていただきたい。

日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。また、平均年齢が84歳近くとなった被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、黒い雨体験者を早急に救済するとともに、被爆者支援策の更なる充実を強く求めます。

本日、被爆76周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と手を取り合い、共に力を尽くすことを誓います。

令和3年(2021年)8月6日                                                                広島市長 松井 一實


赤いペンタス

2021年08月07日 13時33分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明け方にそれなりの雨、昼前に弱い雨が降った。現在は曇、日が当たっているので、とても蒸し暑い。10時の湿度は68%と表示されているが、空気に大量の湯気が含まれてねっとりとした感じがする。不快感たっぷりである。

   

 先日花が明るく鮮明であったペンタスのピンクはまだ花をつけているが、妻が赤を購入してきて、今あざやかに咲いている。

 午前中は、財布の細工をしているうちにいつの間にか昼になってしまった。財布といってもいわゆる札入れのような財布ではない。コンパクトデジカメを入れるチャック付きの柔らかいケースに一番小さなビニールケースを小銭入として、また透明なカードケースにカードや診察券等入れとして取り付けるた。さらに落下・紛失防止用にゴムひもをベルトにつけるためのリングをつけるたりしたが、どうも気に入らない。
 午後からは購入してまだ使っていなかったウォレットを利用して再度使いやすいものに仕立ててみることにした。まさに小学生以来の「家庭科」の授業のような物である。凝り性の私は意外とこういうことが好きである。不器用であるので、細部は無骨だが、頑丈であれば満足する。たいてい身に着けるものは、購入してから必ず一工夫を施してから使うことにしている。リュックにしろ、傘にしろ、どこか細工がしてある。それが私の物である目印にもなっている。
 こういう細工をしようとするのは気力が戻ってきた証でもあると思っている。妻に言わせると、単に自己主張が強いだけ、という評価でもある。はずれてはいないかもしれない。