日本がアジア諸国・欧米諸国と泥沼の戦争をして敗戦となった1945年8月15日から76年が経過した。今年はCOVID-19の感染拡大と長雨被害の続く日となった。
久しぶりに日曜美術館が放映された。すぐにチャンネルを合わせたら、昨年の再放送で戦没画学生の作品を展示している「無言館」を放映していた。幾度みても見入ってしまう。昨年は録画して2度ほどみた。内容は変わらないが今年もまた最後まで見た。
決して完成された作品、あるいは技術的には若い作品であることは確かだが、誰もが魅入られる作品が並ぶ。
家族と2度、退職者会でバス2台を連ねて1度訪れた。若い恋人の像や家族の肖像、自画像が多い。若い画学生の生の燃焼が瑞々しく、そして痛々しいくらいに輝いている。彼らは描くことが嬉しくてたまらなかったのだという思いが伝わってくる。
同時に、私が同年代のころ、嬉しくてたまらないほど、あるいは「死」が目の前にぶら下がっていたとして、喜んでしたかったことがあったかというと、残念ながら無かったとおもう。
敗戦後25年という時代は、戦後秩序を形作った「理念」とは裏腹に、空虚で、形骸化した社会・経済・政治のシステムが歪な社会を、歪に支えている幻影のように映った。少なくとも敗戦の日を「終戦の日」とする欺瞞に身もだえした。
将来に対する不安と恐怖とに苛まれ、得体のしれない焦燥感ばかりが頭のなかを締めた。そして閉塞した時代の空気が私に押し寄せてきたことはよく覚えている。これと格闘することで私の20代は始まった。それが若さというものだ、と言ってしまえばそれでおしまい。それは口が裂けても言いたくなかった。
この焦燥感と格闘するうちにとうとう70歳まで生き延びてしまった。この焦燥感がこの50年間の生きる原動力だったというのは、寂しいものがある。
とはいえこの50年間という半世紀の検証が残された私の余生である。
横浜・川崎市域には「大雨(浸水・土砂災害)・洪水警報」と強風・雷・波浪注意報が出ている。さらに相模原市域の中央区・南区・緑区の一部には避難指示まで出ている。
先ほど強い雨の区域が通り過ぎて行ったときには、雷が鳴った。気象庁の「ナウキャスト画面」では、まもなくさらに強い雨が降る予想になっている。
明け方には横浜市域の南側を強い雨の区域が通過したが、徐々に強い雨の区域は北上してきた。神奈川県の中央を線状の強い雨の区域が居座っている。山北町では1時間に100mmの雨を記録したと報道していた。
ごく短時間だけだが時間雨量100mmの雨は体験したことがある。強い恐怖と圧力を家の中にいても感じる雨である。1時間続けてそれが降り続いたとすればそれこそ息苦しい圧迫感を感じるのではないだろうか。安全な建物の中にいたとしても、体に変調をきたす人もいるのではないか。
本日は夕方までは強い雨の区域が横浜市の上空に停滞するようだ。天気予報では夕方以降は曇の予報にはなっている。この雨ではまだまだ降り続くように思えてしまう。
雨の影響で東海道線・横須賀線などで運転見合わせ・遅延なども起きている。
さらに本日は気温が低い。昨晩の日付の変わったころの20.5℃が本日の最高気温として掲載されたまま。北風の最大瞬間風速10mということで、半袖のTシャツでは少し肌寒く感じる。20℃に満たない気温なのかもしれない。