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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

長崎平和祈念式典「平和への誓い」

2021年08月10日 22時13分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 余計な注釈はつけずに、報道された文章そのまま転載させてもらった。

                        長崎平和祈念式典「平和への誓い」・全文

ふるさと長崎で93回目の夏を迎えました。
大好きだった長崎の夏が76年前から変わってしまいました。
戦時下は貧しいながらも楽しい生活がありました。
しかし、原爆はそれさえも奪い去ってしまったのです。
当時、16歳の私は、大阪第一陸軍病院大阪日本赤十字看護専門学校の学生で、大阪大空襲で病院が爆撃されたため、8月に長崎に帰郷していました。
長崎では、日本赤十字社の看護婦が内外地の陸・海軍病院へ派遣され、私たち看護学生は自宅待機中でした。
8月9日、私は現在の住吉町の自宅で被爆して、爆風により左半身に怪我を負いました。
被爆3日後、長崎県日赤支部より「キュウゴシュットウセヨ」との電報があり、新興善救護所へ動員されました。
看護学生である私は、衛生兵や先輩看護婦の見様見真似で救護に当たりました。
三階建ての救護所には次々と被爆者が運ばれて、二階三階はすぐにいっぱいとなりました。
亡くなる人も多く、戸板に乗せ女性2人で運動場まで運び出し、大きなトラックの荷台に角材を積み重ねるように遺体を投げ入れていました。
解剖室へ運ばれる遺体もあり、胸から腹にわたりウジだらけになっている遺体を前に思わず逃げだそうとしました。
その時、「それでも救護員か!」という衛生兵の声で我に返り頑張りました。
不眠不休で救護に当たりながら、行方のわからない父のことが心配になり、私自身も脚の傷にウジがわき、キリで刺すように痛む中、早朝から人馬の亡がらや、瓦礫で道なき道を踏み越え歩き、辺りが暗くなるまで各救護所を捜しては新興善救護所へ戻ったりの繰り返しでした。
一週間後、大怪我をした父を時津国民学校救護所でやっと捜すことができました。
「お父さん生きていた!私、頑張って捜したよ!」と泣いて抱き付きました。
父を捜す途中、両手でお腹から飛び出した内臓を抱え呆然と立っている男性、片脚で黒焦げのまま壁に寄りかかっている人、首が千切れた乳飲み子に最後にお乳を飲ませようとする若い母親を見ました。
道ノ尾救護所では、小さい弟を負ぶった男の子が「汽車の切符を買って下さい」と声を掛けてきました。
「どこへ行くの?」と聞くと、お父さんは亡くなり、「お母さんを捜しに諫早か大村まで行きたい」と、私より幼い兄弟がどこにいるか分からない母親を捜しているのです。
救護しながら、あの幼い兄弟を想い、胸が詰まりました。
今年1月に、被爆者の悲願であった核兵器禁止条約が発効しました。
核兵器廃絶への1人1人の小さな声が世界中の大きな声となり、若い世代の人たちがそれを受け継いでくれたからです。
今、私は大学から依頼を受けて「語り継ぐ被爆体験」の講演を行っています。
私たち被爆者は命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います。

                                  2021年(令和3年)8月9日 被爆者代表 岡信子


突っ込みどころ満載

2021年08月10日 21時11分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の作業の合間に入ってきた日程を、夕食後にスケジュール帳に書き込んでみた。天気予報と見比べてみると、天気との相性は良くない。雨が降ると予報されている日とぶつかっている。しかし気温はそれほど上がらない日であることがわかり、少しだけホッとしている。
 明日は昼前に団地で打合せがある。昼食後に神大の生協迄書籍の注文に出向き予定だが、残念ながら本日のように気温が高いという予報である。夏休み中なので、早い時間に閉店してしまう。購入する本は今のところ4冊までに絞った。財布と相談してみるとあと1冊ほど少なくししないといけないようだ。いくら1割引でも、本代は無制限ではない。

 さて、昨日からのニュースではIOCバッハ会長は昨日銀座散策を楽しんだとのこと。丸川大臣は、「不要不急かは本人が判断すべき」と述べたとのこと。組織委員会のやることなすこと、発言はどれもが、突っ込みどころ満載であるし、政府の五輪関連発言もまた同様である。ここまで突っ込みどころ満載だと、呆れて批判をするほうも「暖簾の腕押し」でウンザリしてしまう。それを狙っているとしか思えない言動でもある。この丸川という大臣、自分が何を言ったのか、その発言がどういう意味をもつものなのか、理解していないに等しい。
 これ発言が真実ならば、国民の誰もが政府の要請には従わず、「自分で不要不急は決めます」ということを奨励していることに気が付いていないのだろうか。それとも「オリンピック関係者は何でもやった者勝ち」ということなのだろうか。
 丸川大臣は初めて知ったが、「元アナウンサー」なのだそうだ。言葉にまるで無頓着、言葉を大切にする習慣がアナウンサー時代から無かったのだろうか。そして現代の日本では、王侯貴族並みの身分制が復活していると思ってしまう昨今である。


暑さでヘロヘロ

2021年08月10日 19時43分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜市域では13時半頃に最高気温35.1℃を記録した。今年初めての猛暑日。午前中からの作業を終えて、この時間に組合の会館を出た。自動ドアが開いた途端に、熱気が体に押し寄せ、太陽がカンカン照りのためにクラクラと眩暈を覚えた。
 アスファルトとビルの照り返しの中を15分ほど歩いて地下鉄の駅にたどり着いたが、地下道に入ったとたんに汗が吹き出てきた。朝からの風はこのころはまだ少し残っていた。この風がなかったら、もっとつらかったと思われる。ペットボトルのウーロン茶を半分ほどの300㏄を一気に飲んで体を冷やした。

 横浜駅で途中下車、人通りが多かったが、クーラーの効いている有隣堂で一息。横浜駅のバスターミナルは西日を浴びて、日の当たる足元はじりじりと焼けるように熱くなった。
 15時に帰宅したときは、シャワーを浴びてすぐにベッドで1時間ほども昼寝をさせてもらった。

 この程度の暑さでヘロヘロになるなんて恥ずかしい、とは思いながらも、やはり歳相応の動きをしないと後でつらい目に合うことを忘れてはいけない、と自戒。