「方丈記私記」(堀田善衛)の第8章「世中にある人と栖と」を読み終えた。
「我が国のとりわけて平安時代の住居ほど不用心で不思議なものは稀なのではないかと思われる。宮廷にしてもなんにしても、要するに開けっ放しなのだ。盗禁衛ヲ犯ス、とか、群盗、大谷斎宮御所ヲ侵ス、とかいう記事が日記類に頻々として出て来る。平安朝の滅亡にはこの住居形式というものが、一因をかしていたのではないかと思われるほどである。もっとも宮廷、宮殿というものは、どこの国でもいつでも不思議なものである。各室各室には、妻子やおめかけやら、なにやらかにやら夫婦どもが大勢いたわけだが、各室全部素通しでドアーがない。えそらく番兵がドアーであって、番兵などは人間ではなかったのであろう。」
「(車に積んでたった二台で移動できる組み立て式の家を設計した長明は)本質的この男は実践者である。理屈はいわば後から来る。この方丈記の文体の腰の軽さ、軽みは‥実践者の文体だ‥。無常観の実践者、という背理がそこにある。」
「京郊外の春の日に、牛車二台でギイギイとのんびりした音をたてながら、この家の材料を積んで、牛車の傍に自ら付き添って歩いている、神主から転向した坊主頭の老長明を想像してみると、私はときに噴き出し笑いに笑い出したくなる。大真面目であったか、得意顔であたか、などということは、どうでもよろしい。出家、世捨人、隠者というもの、それは内心のこととして如何なる深く刻み込まれたような思想的、宗教的、文学的問題をもつにしても、外側から見るとき、‥一種の滑稽感が身に添っていた筈である。」