・ホーチミン市(1月7日昼~8日深夜)で訪れたところ(順不同)
★統一会堂
ホーチミン市にある統一会堂、多くの人は知らないと思う。しかしこれが旧南ベトナム時代の大統領官邸のこと、と聞くと私より年上の方は下の写真を思い浮かべるのではないだろうか。
現に私も旅行案内書を見るまではわからなかったが、旧大統領府とわかり、下の写真を思い浮かべた。
1975年4月30日に解放軍の戦車がこの旧大統領府に突入したことにより、アメリカの後押しでようやく成り立っていた南ベトナムの政権は崩壊、ベトナム全土での戦闘が終幕を迎えた。
この突入したという戦車2台がこの統一会堂の門のすぐ右脇に陳列されている。
この写真、もしくは更に下の黄色のパンフレットに掲載されている写真と当時、世界中の新聞の一面トップを飾ったものである。そして多くの人々がいろいろな思いを駆け巡らせたものである。
私もまたこのベトナム反戦運動には関わったが、やはり1972年の相模原補給廠からのベトナム向け戦車輸送の阻止闘争が記憶に鮮烈だ。当時は夏休みで帰省して横浜におり、村雨橋で戦車の下に座り込んでいた。そんなこともあり、あの日の新聞を見て快哉を心の中で叫んでいた。ただし当時就職したばかりで、この興奮を伝える人は周囲にはおらず、努めて静かに事態を見つめた。
しかし同時にとてつもない人命と国土の破壊をもたらす「革命戦争」「解放闘争」と何か、という疑念も1975年当時は少しずつ芽生えていた。
私としては自分の持ち場である職場での労働運動にこだわりたいという気持ちを新たにしてくれた瞬間でもあった。
だからこの会堂は是非とも見てみたかった。そして会堂に入って大変びっくりした。
これは大統領府というのだろうか、ひょっとしたら王宮とも呼ぶべきものではなかったのかということだ。1962年から1966年まで足掛け5年もかけて、贅の限りをつくして築造されたようだ。何しろ調度品があまりに豪華絢爛としている。当時はベトナム国民は続く戦争で大変な困難と犠牲を強いられていたはずだ。にもかかわらず国内の巨大な工芸品をあちらこちらに飾り、夫人の居住空間は後宮・大奥とも呼ぶべき広大な広さを持っている。当時のベトナム民衆は大変貧困な状況に置かれていたと聞いている。これでは民衆から支持されることなどありえないような、贅沢なしつらえであった。
そして地下はそれこそ旧日本軍が作ったような厚み60センチのコンクリートの壁で覆われた地下要塞となっていた。ものすごい建物である。この建物の屋上からは陳列してある突入した戦車がよく見える。最後の大統領はわずか任期3日で体制が崩壊したわけだが、大統領府に詰めた当時の政府高官はどんな気持ちであの戦車突入を見つめただあろうか。
屋上には解放戦線側の砲撃のあとも残っている。
解放闘争とはいえそれは何といおうと戦争である。そのことに間違いはない。これ以上はまだここで表現できないが‥。
★中央郵便局
この建物はフランスの植民地時代の建物である。とてつもなく大きな威容である。つくりも凝っていて、何よりも下から見上げる天井の曲線が美しい。黄色と濃い茶色、そして漆喰の白の色の配合がとても心地よい空間を作り出しているように感ずる。
フランスは伝統の破壊の上にこれらの建築群を建てたのだろうが、今となっては残してほしい建物ではなかろうか。
★聖母マリア教会
この建物は中央郵便局のすぐ脇にある、やはり巨大な教会である。これもフランスによって建てられたもの。概観はロマネスク様式、内部はゴシック様式とのことだ。ここも天井を下から眺めるととても美しいのだが、写真がうまく撮れなかった。残念である。二つの尖塔がどっしりとした、そして安定感のある雰囲気を醸し出している。
★戦争証跡博物館
戦車や砲などが屋外に展示され、屋内ではベトナム戦争に関する膨大な報道資料などが展示されている。道端や草叢に転がされている無残な帰省者の写真、それを誇らしげに見せる米軍兵士、戦意高揚のポスター、枯葉作戦の惨状などなど。私なども日本の新聞などを通してみたことのある写真が多数ある。そしてカメラマンごとの写真をまとめたコーナーには、私も知っている沢田教一や石川文洋などの写真が展示されていた。
多くの欧米の観光客が食い入るように見つめ、写真を撮っていた。これでもかこれでもかと米軍の残虐行為の展示が続いたあと、米軍関係者も含めての追悼のためのコーナーもある。
残念ながら、当時世界中で広がった反戦活動の様子は本の一部のパネルだけ、それもいわゆる社会主義国家でのデモや運動などが中心であったのはさびしかった。
原爆体験の広島や長崎でもそうだが、世界的な包囲、世論の喚起なくしては反戦運動は進まない。ベトナム反戦運動とは一体なんだったのか、それを問わないといけない。ここをキチンと触れない展示はもう一工夫必要なのではないか。そのベトナム反戦運動の大きな渦中の中に、チッポケといえ身を置いたものとして、あえて言わせてもらいたい。
確かにいろいろ考えさせられる展示館である。是非多くの人に見てもらいたいものである。
ここまでは現地のガイドを頼んで7日の午後。以下は8日にタクシーを乗り継いでまわった。
★ティエンハウ廟
ベトナムの中華街とも言われる地区、チョロンにあるベトナム最古の道教寺院。天井から巨大な渦巻の線香が吊るされていて、不思議な感じがする祈りの場である。航海安全の守り神ティエンハウ(天后聖母)が祀られている。
途中タクシーからは関羽廟も見えたが、おりてみることは出来なかった。いかにも中国らしい廟だということらしい。
★ヤックラム寺
少々町の中心部からは離れており、外国人が訪れることは少ないらしい。1744年の建立ということらしく、比較的新しい。しかし街中の喧騒とは違う静かな雰囲気を味わうことが出来た。広い境内や鐘楼など日本の仏教寺院にも通じるような雰囲気がある。
★歴史博物館
ベトナム南部の歴史的な出土品・美術品の展示かあり、1930年までの歴史を見渡すことが出来る。後半は少数民族の民俗や文化を紹介している。
ハノイ市の美術館と同じく、国立の博物館としてはやはり整備が遅れているな、という印象だ。
ただしもう少し私が英語を理解できたらもっと勉強になったかもしれない。
初めてパンフレットらしいものを配布してもらった気がする。南伝仏教の影響が強く認められる石造や木造の仏像は、とても生き生きとした表情や仕草をしている。ほとんどがシャカムニ仏と観音菩薩像で、この二体に対するあつい信仰をうかがわせてもらった。
★美術博物館
ベトナムで最後に訪れたここがもっとも博物館らしい博物館、秘術間らしい美術館に思えた。
展示も丁寧にきれいに整理され、一点ごとにキチンと説明書きがなされている。ベトナム語は知らなくても英語の表記があり、わかり易い。
南部の古代から現代アートまで収蔵されており、量も内容も抱負だ。特に陶磁器は量も質も圧倒される。じっくり見てまわれば1日以上かかると思う。お勧めの美術館である。
現代絵画、特に1975年以降に興味があったが、ここでも心惹かれる作品にはお目にかかれなかった。現代アート、なかなか評価が定まらないなかで、国立のこういう博物館で収集するというのも難しいものがあるかもしれない。同時にやはり「社会主義」国というレッテルを貼らざるを得ないのかとの思いも過ぎった。
ここはあまり人も寄らないようで、タクシーの運転手も最初首を傾げていたが、案内書の住所を指し示してやっとわかってもらった。しかしとても広大な建物で、フランス植民地時代の華僑の邸宅だったらしい。建物全体を撮影することが出来ずに残念であった。華僑という人々のもつ力の大きさに驚きの念をもった。