



グエルチーノという画家の名前は初めて知った。バロック絵画という歴史的な括りについてはイタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、ブリューゲル、オランダのレンブラント、フェルメール、スペインのベラスケス、フランスのラ・トゥールなどは作品をいくつも見ている。教科書というか絵画の解説書に名が出ていたことも記憶にない。今回展示されている絵も見た記憶はない。
私はバロックと云うと若い頃はバロック音楽しか思い浮かばなくて、音楽のイメージと絵画のイメージが同じ像をなかなか結ばないでいた。バロック音楽はバッハのように「華麗でかつ荘厳」であることと「敬虔な祈り」とが共存するようなイメージが強い。イメージとして一括りすることが難しいと感じている。
バロック絵画も幾人かの作品を見るたびにルーベンスやレンブラントのイメージと、ラ・トゥールやフェルメールなどを一括りとしてしまうのが難しいように思えてきた。 最近は、音楽と絵画がともにこのように相反するような傾向を一括りにしてしまうところが「バロック」なのか、と理解するようにしている。要するに今でも「バロック」という言葉の指し示す傾向が理解できていないのだと思う。
ヨーロッパでは王権の拡大と宗教改革が絡んで動乱と陰謀の渦巻く世界であり、南米アメリカなどの新世界の略奪と市民階級の勃興の時代でもある。これが多分バロックという時代の社会的な背景なのだろう。
チラシによればグエルチーノ(1591-1666)はイタリア・バロック美術を代表する画家で、アカデミックな画法の基礎を築いたとされている。
時代的には日本では豊臣政権から徳川政権に移行した時期で、日本の朝鮮半島蹂躙が始まった時期から、島原の乱を経て鎖国体制が確立する時期に相当する。伊達家の支倉常長がローマを訪れた1619年頃にはまだグエルチーノはローマに赴いて画家ととしての地位を確立はしていない。
グエルチーノのローマ滞在(1621-23)以前はドラマチックな明暗と色彩でキリスト教絵画を描いているとのこと。ローマ滞在以後は落ち着きのある構図と理想的で明快な形態を持つようになるとのことである。
確かに描かれた人物が全体的に明確で浮かび上がるように強調されている。登場人物は多くなく、描く場面が明確にどのような場面なのかわかりやすくできている。ある意味では教科書的な場面設定である。人物も人物の着ている服も、持ち物も背景も教義を逸脱していることはないのであろう。
背景の空に多用されている青、着物の質感と配色、全体の構図、多分どれをとっても隙の無いがっちりした構図だと感じた。たぶん教会という権威にとってはとてもありがたい存在の画家だったように思う。
どの絵も大きな絵で、教会の壁面・裁断を飾るにふさわしい迫力は感じた。そしてチラシの一面をある「聖母被昇天」(1622)を見た時はエル・グレコを思い浮かべて比較してしまった。
しかし私は大きさと云い、隙の無い構図や出来上がりに圧倒されつつも何か物足りないものを感じた。あまりに隙が無く、決まりからのズレや画家らしい主張が見当たらない。たぶん技法上の個性はあるのだろうが、構図上の冒険や教会権威との緊張感が今ひとつ私には伝わってこなかった。
ルネサンス期以降、画家の個性や自己主張が時の権威と微妙にズレを生じ、そこに緊張感が漂ってくる。その緊張感が現在の私たちにどことなく伝わってくる。たとえばミケランジェロの天地創造など、神の手の先の指とアダムの指先が触れあっていない微妙な距離というのが見る人を強く引き付ける。おそらくその指と指との微妙な距離の間合いというのは、ミケランジェロと教皇との間の信頼と緊張の関係から生まれたものであることがさまざまなエピソードから感じることが出来る。
素人の生意気であるのは重々承知をしているつもりだが、40点もの大作を見た割には、そんな画家の個性が何処となく感じられない。これは展示の仕方、あるいは素人の私たちに対する解説のあり方の問題、私の知識の欠如ではなく、画家のあり方なのだろうと解釈した。忘れられた時期があるというのはそのことに原因がありそうだ。不勉強なので詳しくはわからないがそんな印象を絵から受け取った。
人々が教会という権威の中に安らぎと敬虔な祈りの場を求めたとすれば、このように教会を装飾し、布教のための絵画としての存在は大きかったと思われる。しかし私のようなものにはそこには残念ながらとどまることがどうしても出来ない。わがままな人間のわがままな感想である。