Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

作業が終わらない

2015年03月17日 23時47分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩飲み過ぎたので、本日は休肝日。
 房総半島の旅行の報告書はA4裏表でおさまらないので、A3裏表にせざるを得ない。最近仕事の出来上がり予想(時間、量)などの予測をよく間違える。予想が大きくずれることが多い。時間の予測がずれると結局睡眠時間を削る羽目になってしまう。

 本日予定していた作業がまだ終わらないが、疲れたのでしばらく休憩。入浴後に一時間ほど別の作業をしてから就寝‥できたらいいのだが‥。

甲府のおみやげは「くろ玉」

2015年03月17日 15時13分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は退職者会の幹事会終了後にいつものとおり、ワンコインの飲み会。ここまでは軽く喉を湿らせる程度でよかったのだが‥。そのまま帰る予定が、二次会に誘われてついふらふらと付いていってしまったのがいけなかった。
 先輩のおごりということで勧められるままに断わり切れずに盃を重ねて、帰宅は10時過ぎ。朝から頭が痛くなってしまった。なさけないこと‥。

 山梨を訪れた報告が先ほどおわり、今は昨日の幹事会で決まった日程をスケジュール帳に記載して打出を終わった。
 あとは房総半島の写真入り報告文A4裏表の作成をしなくてはいけなかった。来週の月曜までに作らないといけなかったのを忘れていた。本日中に作成して、参加人数分を印刷してしまう予定。



 さて昨日までの旅行のおみやげは「甲斐銘菓 くろ玉」。実は初めて知った。昔からある菓子のようだ。えんどう豆の餡に黒糖の蜜をかけたもの。それなりにいい値である。甲府駅で購入した。上品な甘さで美味しくいただいた。

芦安温泉・夜叉神の森・桃の木温泉の印象

2015年03月17日 13時54分59秒 | 山行・旅行・散策


 甲府駅の東側は再開発されすっかり様変わり。巨大なビルが立ち並びビックリ。この再開発された出口から歩いて5分ほどのところにある「さどや」というワイナリーでランチとワインというちょっと豪華な気分を味わった。
 反対側のバスターミナルから御勅使(みだい)までバス。ここから宿までは送迎をしてくれる。夏場は芦安温泉を経由して夜叉神の森、広河原までバスは通っているが、この時期はシーズンオフである。





 芦安温泉では岩園館という旅館。一泊9720円という値段が気に入った。
 露天風呂は大きく立派だが、湯温は低め。この時期は少々寒く感じる。内湯は長く入っていられるぬるめ。心地よい温度である。源泉の湯温が43.7℃で加温をしていない。
 翌日は夜叉神の森まで歩いてみた。宿のご主人の情報では登山道は荒れているということと、凍っているので軽アイゼンが必要とのことであった。妻は運動靴であるので舗装してある林道を歩くつもりで出かけた。

   

 途中にある「南アルプス芦安山岳館」はなかなかお薦めの展示。テーブルもあり、温かくしてあった。訪れている人はおらず女性職員が一人だけ勤務していた。温泉街の中心部はどこも開業しておらず、自動販売機も冬季は電源が入っていない。電気のついていたレストランでコーヒーでも飲もうとしたが、営業していないと断られてしまった。

   

 水道配水池付近から林道が始まり気温は11℃。歩くにはまずまずの天気だが、日陰は寒い。そして雲がどんどん厚く垂れこめてきた。
 途中から林道を縫うように登山道が現れたのでそちらを歩いてみることにした。すぐに林道に出たりはいったりを2度ほど繰り返したが3度目は1時間ほど林道からかなりはずれ登山道ばかりが続いた。

      

 枯葉の道がふわふわとして足元が気持ちいい。しかし人の通った後はほとんどなく、赤いテープが頼りの個所もあり、迷いやすいことは確かだ。小さな沢を2度ほど渡ったところでようやく林道に出た。 
 さらに登山道があったものの雪が多くなり、昨晩降った雪の下は凍っており滑りやすく危険なため最後の区間は林道を歩いた。

      

 山岳館を出てから3時間かからずに夜叉神峠への登山口に出た。この登山口は3度の鳳凰三山の縦走での下山地点、白峰三山縦走、北岳から千丈ヶ岳・塩見・荒川岳縦走の時のバスでの通過と5回も見たことになる。
 最後にここに下山してから25年近く経ったと思う。変わらない案内標識と四阿が懐かしい。四阿で宿で作ってもらったおにぎりで遅い昼食。



 トンネルを抜けると白峰三山の雄大な景色が見られるかと期待したが雪が激しくなり、展望は期待できないので、林道を足早に降りることにした。

                  

 二日目の宿は芦安温泉のはずれにある桃の木温泉山和荘。ここは岩園館よりは高く一泊14190円。
 25年ほど前、娘が小学4年位の時に鳳凰三山から下山してこの宿に泊まった。建物も露天風呂もその時とは違っていたが、雰囲気は変わっていなかった。
 ここの旅館まで二日目の歩数は2万1千歩。
 ここの温泉も温め。高温の湯が好きな方には不満かもしれないが、ぬるめが私たちには手頃な温度。

 翌日は甲府から身延線に乗り、市川美郷町に住む友人を見舞って旧交を温めてから帰宅。
 帰りの特急あづさは混んでいて立ったままで八王子まで調度1時間。


上野東京ライン開通

2015年03月15日 22時09分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど甲府経由で我が家に戻った。本日は甲府から身延線にのりね市川美郷町を訪れ、友人を見舞った。
 思ったよりも元気そうな顔を見て一安心。大きな手術をした割には体重もだいぶ戻り血色も良かった。もともと痩せ形の体系が手術でかなり体重減少していたがかなり体重は戻ってきたようだ。話し方は30年前に比べればゆったりとなっているが、それは病のためではなく、私と同年齢ということであるから歳の所為なのだろう。私も多分昔の私をよく知っている人から見ればゆったりと話すようにはなっていると思う。
 立派だと思うのは話に繰り返しが無いことである。私は自分でしゃべりながら「くどい話し方をしている」あるいは「同じ話を繰り返している」と自覚することがたびたびある。少なくとも本日あった友人はそのようなことはなかった。羨ましいと思う。
 静かな町の静かな住宅街でゆったりと養生している様子を見て羨ましいと感じた。

 帰りは特急あづさで1時間で八王子駅に着き、横浜線で帰着。八王子駅までと八王子駅から横浜駅までとがほぼ同じ時間というのも不思議な時間ではある。

 芦安温泉や桃の木温泉を尋ねている間に、JRでは金沢までの新幹線の延伸が行われ、同日には上野東京ラインが開通となった。上野東京ラインの開通は、常に恩恵を受けるというほどのものではないが、私にはそれなりに利便性がある。その利便性のために上野にいつも行ってしまうのはJRに貢いでしまうことにもなるので、用心しないといけない。交通費がかさんでしまって家計に影響を与えないようにしないといけない。
 取りあえず横浜駅発着の東海道線の時刻表を駅で手に入れなくてはいけない。

 芦安温泉・夜叉神峠・桃の木温泉訪問の写真などは明日以降掲載予定ということで本日は早目に就寝。明日は退職者会の幹事会で朝から出かける予定となっている。

桃の木温泉

2015年03月14日 20時40分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨日の夕食も良かったが、本日の夕食はさらに豪華、特別料理を注文していたら食べきれなかったと思う。お酒は高価だったので、妻と合わせてワインの2合瓶で我慢。本の少しだけ足りない気分だったが我慢した(させられた)。
料理の写真を録り忘れた。部屋食で撮影のチャンスだったが、食欲に負けた。
20数年前の記憶はスッカリ消えている。浴室に入ると微かに硫黄の臭いがした。昨日に続いてぬるめで私の好み、45分ずつ2回、30分とノンビリ過ごした。出たあとの水が最高ののみものである。

夜叉神峠は雪

2015年03月14日 16時20分27秒 | 山行・旅行・散策
旅館を出たときは日が射していたが、あっという間に曇ってしまった。芦安温泉から南アルプス芦安山岳館をまず訪問。木の雰囲気を生かした建物はなかなか立派で落ち着く。動植物、地質、生活史、登山史、図書館と盛りだくさん。冬でも開館していたのはありがたかった。
食事も自販機も日帰り入浴も閉鎖中の温泉街から林道へ。途中半分以上は旧登山道を歩いた。最後のスパンは所々にある雪の下が固く氷っていて危険なため、林道を歩いた。
夜叉神の森=鳳凰三山登山口に着いたときには雪が降り始めた。林道には雪は無し。
林道の夜叉神峠ゲートの先のトンネルを抜けると北岳の眺めが良いはずだと思ったが、歩行者も通行止めの上雪空で展望も悪いので、昼食のおにぎりを食べて引き返すことにした。
大粒で2センチもあるようなボタン雪のなかを、途中からは傘をさしながら、急いで山道は避けて林道を下山。
15時に桃の木温泉山和荘にたどり着いた。着いた途端にあっという間に雪が止み、雲が無くなり、日が射して気温が上がってきた。
歩数は2万1千歩。

      

明日は雨や雪でなければ御勅使(みだい) 迄歩いてみたい。


芦安温泉着

2015年03月13日 19時15分03秒 | 山行・旅行・散策
温泉は湧出点で43度と低い。しかし長時間のなが風呂にはちょうどいいかもしれない
。宿は岩園館、一泊1万円未満ととてもありがたい値段であった。しかも宿泊は我々二人のみ。
夕食はこちら。


明日は夜叉神峠まであるいてみたいが、峠の手前は雪が多く、アイゼン未着用は 危ないとのこと。妻は運動靴でもあり雪の手前で引き返すことにしてみたい。
登山道は荒れているらしい。舗装された車道を辿ってみたい。
食事を取るところも無いそうで、宿にお弁当を頼んだ。おにぎり🍙2個と500CCのお茶で500円ととても安価。
天気は良さそうなので、のんびり歩いてみたい。
峠から南アルプスの展望は魅力的だが、今回は諦めた方が良いようだ。

ブラームス「弦楽四重奏曲第3番」

2015年03月12日 23時35分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 やはりすぐには眠れないので、先ほどからブラームスの弦楽四重奏曲第3番をボリュームを絞って聴いている。
 以前にもとりあげたプラハ弦楽四重奏団の演奏で1978年から79年にかけての録音盤。
 何回となく聴いているが、この演奏はバイオリンがなかなか煌びやかである。どちらかというとチェロの音が地味のような気がしてきた。解説には各楽器のバランスもより整理されているととのことであるが、チェロがもっと響いてもいいような気もしてきた。 第2楽章でバイオリンのソロが美しい。バイオリンの高音部がずば抜けて音につやがある。


旅行準備終了

2015年03月12日 22時41分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 旅行の準備は終了。登山の支度とは違ってごく短時間に済んでしまう。忘れ物をしていそうで何となく不安。

 一昨日車から降りようとして腰がぎっくり腰のようになった。痛みはそれほどでもないが、本日も多少痛い。弱い痛みどめを朝と夜、二度服用した。旅行にも3回分を持参することにした。用心のため別途ロキソニンも3回分を用意した。
 あとは毎晩寝る前に服用する降圧剤と緑内障の点眼薬も忘れるわけにはいかない。

 本日は早目にお風呂に入って、さっさと寝てしまうことにしたい。とはいっても急に24時前に就寝するということはなかなか出来ない。
 ベッドで本でも読み始めるとすぐに寝入ることが出来れはいいのだが‥。


明日は甲府市を経由して芦安温泉へ

2015年03月12日 20時46分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝5時30分からずっと起きている。さすがにこの時間になると朝が早かった分、眠気がしてきた。これから明日の用意をする予定なので寝てしまうわけにはいかない。
 明日は甲府でワインの醸造所で昼食をしたのちにバスで芦安温泉に向かう予定である。明後日はそこから2キロ程の所にある桃の木温泉に向かう。昔は桃の木鉱泉と云われていたところである。娘が小学校3年生くらいの時に鳳凰三山を縦走して当時の桃の木鉱泉に降りて来て、1泊したことがある。四半世紀昔のことである。

 12月から慌ただしい生活が続き、正月も体調を崩し、ゆっくりとは休めなかったような気がしている。のんびりと二泊させてもらうことにする。

 14日は夜叉神峠まで歩いてみたいと思っている。
 

明日は早出

2015年03月11日 22時52分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は早出のため家を6時に出なくてはならなくなった。これはつらい。私がこんな早い時間に家を出るのは、登山に行くときか、どこか旅行に行くとき以外にはまず考えられない。
 普段は早くて8時位に起きている。お昼前の11時位まで寝ていることもある。大げさに言えば、生れてこの方、「早起き」という言葉とまったく無縁に生きてきた。

 明後日から甲府の近くの温泉に休養を兼ねて2泊する。その直前の日に早出である。現役の頃には1か月位先を見通して「この日は開いているから今の内に休養の予定を入れてしまおう」と決断してもほとんどの場合、結局は前日の夜遅くまで仕事をこなしたり、組合の会合で帰宅が遅くなり、落ち着いて準備をしたことがない。
 夜中過ぎに帰宅して、3時頃までかけてリュックに着替えなどを詰め込んで、2時間ほどの仮眠で新幹線や中央線に乗り込むために起き出さなくてはならないようなときばかりであった。ひどい時には徹夜交渉で、ひとりだけ夜遅く旅館に駆けつけ、夕食を家族とともにできなかったこともあった。父親としてはまったく失格であったと思う。
 朝起きて一緒に列車に乗っても、列車の中では家族との会話も出来ずにひたすら寝ていた。子供も呆れ果てて相手にしてくれなかった。60歳過ぎても同じような旅行では妻には申し訳ないのだが、この調子では一生そのようなことばかりになりそうである。

 本日はこれから担当するブロック向けの退職者会ニュースを印刷してしまわなければいけない。旅行から帰ってから印刷したのでは間に合わない。明日の帰宅も21時位になってしまいそうである。

本日は東日本大震災4周年

2015年03月11日 00時04分11秒 | 天気と自然災害
 私には、忘れることのできない東日本大震災の起きた日である。

 風化、忘却という言葉があるが、昔からこのような災害は人々の記憶に、生のままではないかもしれないが、意識の底にキチンと累積されてきた、と私は信じている。
 私は横浜でこの震災を起こした地震を感じた。その時点から約一か月間、自分が何を見、何を体験し、何を知り、どう行動し、どのように判断し、情報をどのように受取り、どのように考えたか、これを毎年思い出すようにしている。

 東北3県をはじめ北海道から東海までの太平洋岸のような津波や、福島・宮城の原発事故のような体験はしていないが、横浜でも大きな揺れがあり、停電があり、帰宅困難者になり、仕事関連でも液状化の後始末をし、組合活動で被災支援に多少はかかわり、自分の団地の建物の対応に携わり‥という程度のことは体験した。この体験も反芻することにしている。

 記憶というのは、必ず時間のフィルターをとおしている。だから直接の体験が生のまま記憶されているわけではない。どこかで忘却と誇張とが綯交ぜになっている。それは人間の体験の記憶としてはやむを得ないことである。意識的な誇張や忘却を避けながら、時間のまゝに思い出すことを意識して、頭の中で点検すればいいのだ。
 そして妻や子供と時々ふとした対話の中で、そのことを話し合う時間があればなおいいかもしれない。語ることは記憶を更新することでもある。それは伝承としてどこかで活かされてくることもある。同時に自分が社会の中で生きているうちにふとしたはずみで他の人に、それが伝わることもあるかもしれない。敢えて他人に伝えようとしなくても伝わることもあるはずだ。
 何もシャカリキにならなくとも、時間とともに伝わる可能性は常にある、と信じたい。

 まずは、亡くなった方へ思いを致し、その日を思い出すことをしたい。

不思議な天気

2015年03月10日 20時37分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝9時過ぎに家を出たときは日当たりもあり少し暖かさを感じた。寒い雨の日が続いたので、ようやく春の日らしくなるのかと思った。
 事務所当番をしている横浜市の南部方面では陽射しがあったが、北側と関内方面になる東側の空が黒い雲に覆われていた。訪れた人に聞くと「関内方面に居たら雹が降ってきた」との情報。またとても強い雨が降っていたという別の情報ももたらされた。横浜市からのメールでは強風・雷注意報が発令されていた。
 昼頃から気温が低下し始めた。そして17時近くになってから事務所の周囲で雨が降り始めた。自宅に戻ってみると家の周りの路面も雨にぬれた跡があり、市内各地で雨模様だったようだ。

 さて、車に乗って外出して事務所に戻ったとき、車から降りようとして急に腰に痛みが走った。いつものようなぎっくり腰の症状である。さいわい筋肉の痛みはそれほどでもないので、痛み止めを服用して我慢した。
 しかし当面は用心しないといけない。13日から甲府に休養に行き、夜叉神峠まで歩いてみるつもりでいるが、心配になってきた。


東京大空襲が70年前の今日

2015年03月10日 12時32分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は70年前の東京大空襲の日。10万人死者と4万人のけが人といわれている。
無差別の殺傷を目的とした絨毯爆撃の責任と同時に、このような戦争に至った責任とが共に問われなければ行けないと思う。
今でもこれに類したことが、平然と行われている。
軍事に荷担しない政治をどう実現するか、政治の構想力が問われている。「敵か、味方か」という単純な思考や「他者への憎悪」を煽る政治は、軍事へ至る道である。

本日は慌ただしく、そして疲れた

2015年03月09日 21時42分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 神奈川大学で聴講した「第3回海外神社研究会」の模様を本日中にアップしようとしたが、時間的にも物理的にも無理であった。
 10時から19時45分まで所用があり、先ほど帰宅。食事は家では食べないつもりだったが、所用が終わった場所に適当な食事をする店も無く、結局コンビニで弁当とサラダを購入してから帰宅した。
 慌ただしく弁当を掻きこんで依頼された仕事をこなしてようやく落ち着いたが、もう21時をまわってしまった。さすがに疲れた。

 12日までこんな状態が続くので、報告はもう少し遅れてしまうかもしれない。

 弁当と一緒に購入した角ハイボールが美味しく胃に沁みわたった。