ボッティチェリというと私の乏しい知識では3つの作品しかなかった。「ラーマ家の東方三博士の礼拝」(1475-76)、「春(プリマヴェーラ)」(1477)、「ヴィーナスの誕生」(1483)だけであった。いづれもフィレンツェのウフィツィ美術館の収蔵品として展示されている。実際に訪れて見る機会を得ることが出来た。
私は「東方三博士」、「春」は気に入っている。しかし「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスの造形と顔の表情が人間離れしていてこれまで惹かれることは無かった。
今回初めて「バラ園の聖母」(1468-69)、「聖母子(書物の聖母)」(1482-83)、「聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル」(1485)、「聖母子と4人の天使(バラの聖母)」(1490年代)など、工房の作といわれるものも含めていくつかの作品を見る機会を得た。
いづれも私は赤子であるキリストの造形、顔の表情におおきな違和感を感じた。あまりに不自然な体の在りよう(体躯の捻り方、体躯の各部のアンバランス)、赤子とは到底思えない大人びた表情など数え上げたらきりがない。
ただしマリアを含めて大人や天使はキチンと描かれている。この落差がまたすごい。
しかし今回の展示作品、「聖母子(書物の聖母)」もキリストの造形と表情はとても現実味がないが、マリアの造形・表情、衣服、室内調度、窓の外の空などとても手が込んでいて、丁寧に描いていると思うとともに配色の妙も感じた。
またマリアの視線が書物には注がれておらず、伏目で瞑想しているようである。マリアと赤子のキリストと視線は合っておらず、両者の母子としての信頼関係を私たち非キリスト者には類推することはできない。これは他の聖母子像とあまり変わらないが、それでも何らかの両者のコミュニケーションを想定したくなる力がある。それがなんだろうとずっと考えていたが、やはり私の能力・知識では、結局わからなかった。ただ、画面の筆致の丁寧さだけが心に残っている。
解説では「極めて重要な注文に寄る制作だったことが推測される」と記されている。
画面の美しさでは、「美しきシモネッタの肖像」(1480-85)に惹かれた。実際に接することのあった女性であったそうだが、人物の造形からは画面が小さくとても窮屈に感じる。視線の先に対話する人が描かれていたものを切り取ったのではないか、と感じる。画面が小さいのか、描かれている人物が大きすぎるのか、どちらであろうか。
それは「女性の肖像(美しきシモネッタ)」にさらに顕著にみられる現象である。同一人物とは思えないものの同じく「シモネッタ」という表現が使われている。それとは別に左を向いている視線の先があまりに狭い。そして頭の後ろが少し広めである。私はこの作品も視線の先に別人がいるのか、あるいはさらに多きな作品の一部を切り取ったものかと考えてしまう。解説にいづれの作品についても私の疑問には触れてはいないので、鑑賞の本質からはずれた、私のつまらないこだわりに過ぎないのかもしれない。
しかしこの2点の女性像にはとても惹かれた。宗教性や親和性から離れたボッティチェリの作品に私は惹かれるようである。