Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

強風・雷注意報

2016年04月13日 22時11分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方から風が強いと感じていた上に、先ほどから予報どおりに雨が降り始めた。気象庁のホームページで確かめたところ、横浜市域には強風・雷注意報が出ている。我が家の団地では風は今はなっておさまっている。
 明日の朝までは雨が続くらしい。
 そういえば仙台では、月曜の夕方に雪がパラついていた。寒くなるという予報を聞いてダウンのコートを着ていって助かった。仙台在住の友人たちも「真冬のように寒く感じる」と震えていた。火曜日の明け方の最低気温は2℃だったとの情報も聞いた。
 今年の4月はずいぶんと天候不順、気温が低いような気がするが、実際のところはどうなのだろうか。気になっている。

本日の午前中は休養日

2016年04月13日 20時23分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は寝て過ごした。午後は予定を変えて香典や供花を提供した方への簡単な報告を作った。
 ぎっくり腰の痛み・ダルさは今のところ改善している。この旅行で悪化するのではないかと心配して痛み止めを3回分ほど持って行った。用心で2回服用したが、悪化しなかった。しかし未だ前かがみになったり、10分ほどの短い時間でも同じ姿勢を保っていると腰を伸ばすとき強い「張り」「凝り」を意識する。筋肉を伸ばすのにゆっくり時間をかけないとまた痛みが再発しそうな気配を感じる。
 本日も15時過ぎに整形外科で低周波の電気治療をしたが、その直後はいたって諧調である。

 私と同じ年の友人の死があまりに突然であったので、気持ちがなかなか落ち着かない。ゆっくり音楽を聴く気分にもならないものである。
 

故吉崎雄一君のこと

2016年04月13日 14時42分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 吉崎雄一君が、4月10日突然に亡くなった。私と同じ64歳。あまりにも早すぎる死に思え、立ちすくんだ。

 昨日の告別式、友人が弔辞を述べた。聴きながら46年前の1970年に仙台で知り合った当時のことやそれから5年間の付き合い、一昨年の「同窓会」での再開までの間の私にとっての「交友の空白期間」が埋まったように感じた。
 違った形ではあるが、同じような労働組合の体験、職業体験をしていたので、少なくとも私はいつもどこかで「「彼も頑張っているな」という意識は持っていたと思うが、それが蘇ってきた。
 置かれた状況も違いがあり、私の関わり続けた労働運動の在り方とは違う方途を彼は選択していたと思うが、どちらが正しいかはそれはわからない。関わっているときはそれぞれが自分の判断に誇りと自信をもって臨むしかない。暗中模索であっても‥。
 小林秀雄は「無常ということ」で「思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ」とかいている。
 彼は大分県杵築市から天文学を志してはるばる仙台までやってきた。私も横浜から同じ志を持って仙台に行った。同じ「星の会」というサークルに属したが、このサークルの部屋で顔を合わせたことは数回しかなかった。授業でもあまり顔を合わせなかった。しかし二年目からは学生大会の度、デモの度に顔を合わせるようになった。
 弔辞で友人は「疾風怒濤の時代」と表現したが、私もまったく同感である。
 出発点は時代や社会の波をかぶって、高校時代までの趣味も共通していて、多分同じ地平に立っていたかもしれない。しかし、自分のそれこそ過剰ともいえる想念をどのように処理し、社会と向き合うか、選択する思考回路は無数に、個人の個性の数だけ存在する。それが交わることも、お互いに反発することもある。親和性と違和感との割合は人によってさまざまである。
 しかし40数年たって還暦を過ぎ、それぞれの思考や選択の着地点がお互いに理解し合えることがわかると、それまでの選択した回路の違いはすぐに解消する。
 彼とはもう3年目には大学では顔を合わせることは無かった。仙台市内での集会やデモの折に顔を合わせることはあったが、あまり親しく声を交わすことはなかった。私は彼とは別の形で、学生運動の後の後退戦に、私なりの決着をつけたかった。
 卒業後私なりの労働組合運動を志した時、「労働情報」や反原発の集会が行われている公園内では彼も参加しているはずなので首をきょろきょろしながら姿をいつも追っていた。しかしそのような場面では顔を合わせることはなかった。吉崎君と行動を共にしている友人とは幾度か顔を合わせて、彼の活躍は耳にしていた。
 私は他人に対する評価は、プラスの評価も、違和感もできるだけ自分の思いを表には出さずに、できるだけその人を理解するよう努力してきたと思ってきた。今も変わらない。そんな思いを持って、一昨年同じ学部の「同窓会」を企画した。その当日、会場となった大学の講義棟の扉のガラス越しに彼が顔を見せた時、彼の変わらない人懐っこい笑顔を見て、一挙に共通と思われる出発点に立ち戻ることが出来たと強く、そして深く感じた。

 一昨年に彼が見せたあの笑顔が、私は忘れられない。あの笑顔はいつも人と一緒に明るく立ち振る舞い続けた人間の、人生の重みと価値のある笑顔だと思う。



日程が厳しい

2016年04月12日 23時05分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 後援会の後の立食パーティー形式の懇親会に参加してつい先ほど帰宅した。朝食しか食べていなかったので、お酒は焼酎1杯だけにして、食事にいそしんだ。

 明日から17日(日)までは予定は入っていなかった。しかし日程表を見ながらこれからの予定を考えてみて、少々焦っている。

13日(水) 午後 葬儀の香典・供花を出した方への報告文書作成
14日(木) 終日 退職者幹事会のための書類作成
15日(金) 終日 退職者幹事会のための書類作成
16日(土) 終日 一昨年の同窓会呼びかけ者への葬儀の報告文書作成
17日(日) 終日 同上
18日(月) 終日 退職者会幹事会
21日(木) 午前 平家物語の講座
      午後 総会資料印刷・作成
22日(金) 終日 総会資料印刷・作成
23日(土) 終日 退職者会総会
24日(日)~27日(水) 沖縄旅行
28日(木) 午前 平家物語講座
      午後 退職者会ニュース原稿作成(総会報告、その他)
29日(金) 終日 メーデー
30日(土) 終日 退職者会ニュース原稿作成(メーデー報告、その他)
 1日(日) 終日 退職者会ニュース原稿作成(メーデー報告、その他)
 2日(月) 午前 最終稿を印刷所へ入稿  納品13日(金)

 これはなかなかハードであり、かつすべて無償というのもつらいものがある。

 今週は目黒区美術館で開催している高島野十郎展を見に行きたいと思っていた、また22日からは若冲展も東京都美術館で始まる。これでは無理である。高島野十郎展は6月5日まで、若冲展は5月24日までなので、連休終了後にせざるを得ない。見に行きたいものを先延ばしにするのはストレスが溜まる。

水野和夫法政大学教授の講演会

2016年04月12日 18時10分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
横浜に帰着。帰宅する時間がなく、そのままワークピアで開催される水野和夫法政大学教授の「資本主義の終焉、その先の世界~資本主義はどこに向かうのか~」に参加している。
経済は苦手であるが、人口が減少し、社会の活力が失われる傾向があり、経済の規模が加速度的に縮小していく中で、成長戦略という幻想に振り回される政治の世界は克服しなければ、とてつもないことになると感じている。
何らかの示唆があるとうれしい。

朝の仙台をブラブラ

2016年04月12日 12時35分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨晩は5,500円のビジネスホテルを見つけた。24時間営業のサウナを考えていたが、仙台駅前の以前宿泊したことのあるホテルで空きの有無を聞いたら満室であった。すぐ近くにある系列店なら5,500円で空いているとのことで、申し込んでから居酒屋に直行。
サウナの仮眠室とは違い熟睡できた。風呂がごく小さいユニットバスなのが残念だが、ベッドが大きめのシングルで嬉しかった。部屋もゆとりがありまずまず。
朝食800円は申し込まず、仙台駅構内の新しい一角の店で540円の朝食を見つけた。これはなかなかいい店を見つけた。
朝の仙台をブラブラして時間をつぶした。
これから告別式に参列する。

通夜、終了

2016年04月11日 23時14分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
通夜の席では、懐かしい顔を見てほっとした。
同時に同時代を生きてきた逞しさをお互いに確認し合いたいと思った。
当時の友人と飲む酒は苦くもあり、旨くもあり、何とも例えようがない。
それが同世代の証とも思う。

明日の告別式まで付き合いたい。


突然の友人の訃報

2016年04月11日 11時41分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜中の2時過ぎにメールが届いた。仙台で同じ学部、同じサークル「星の会」に在籍していた友人が突然亡くなった。日曜日だったが職場にて仕事中に倒れ、救急搬送されたものの、心停止状態だったととの連絡があった。高校までは確か大分県に住んでいて、仙台の東北大学の理学部物理学科に入学、大学を離れてのち、仙台に職を得て仙台に在住していた。
 震災直後から津波で被災した労働組合の組合員の自宅の手伝いをしながら、すぐそばにある老人ホームの再開に向けて、土砂の除去から建物の復元までボランティアとしてかかわったと聞いている。彼の案内でそのホームの見学に訪れたこともある。

 学生時代は、私はあくまでも無党派の学生運動家であることにこだわったが、かれはある党派の活動家の一人であった。大学を離れてから労働組合活動をずっと続けていた。破たんして経営者が経営放棄をしてしまった会社の労働組合が自主管理を行い、結果としてそこの経営を引き継いで「社長業」をしていたと聞いている。

 一昨年の理学部の同窓会(といっても全国紙に報道された学費闘争-大量留年処分反対闘争に何らかの関わりを持った者たちの同窓会)にも、昔のように人懐っこい笑顔で人を和ませる話をしてくれた。
 ある友人はツイッターで「入学まもなくから長い付き合い(我々の学年は学部やセクト関係なく仲良かった気がします)最後に会ったのは数年前の仙台での反原発集会。60代半ばは早すぎます」と述べている。私もまったく同感である。

 友人の香典を揃え、供花の手配をして、これから急遽仙台に向かうことになった。本日の通夜と明日の告別式に参列する。仙台の本日の最高気温は8℃の予想。コートが必要である。
 夜は24時間営業のサウナで過ごすことにした。


ブラームス「チェロソナタ第1番」

2016年04月10日 22時45分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ヴァイオリンソナタの次にはチェロソナタが聴きたくなった。いつものとおりチェロは堤剛、ピアノがウォルフガング・サヴァリッシュのCDをひっぱり出してきた。
 チェロソナタ第1番(作品38)はブラームスが29歳から32歳頃にかけて、初期の頃に作った曲である。第2番(作品99)が交響曲第4番の直後の53歳という円熟期の作品であるので、二つのチェロソナタを聴き比べるのは、ブラームスの曲の変遷を知る上でも興味がある。

 クラシック音楽というのは、演奏家の作品理解、作曲家理解というフィルターを通して、作品に接するというものである。得てしてそれは作品や作曲家の意図とは違うものがあるかもしれない。私は堤剛という優れた演奏家をとおしたブラームスの理解に、たとえそれが本来的な作品理解・作曲家理解とかけ離れていたとしても、それで満足と思える演奏家だと思える。ピアノのサヴァリッシュについてもそのようなことを思わせてくれる指揮者、ピアノ演奏家である。
 このCDを聴くたびにそんなことをいつも思う演奏である。



 第1番はなんといっても第1楽章が気に入っている。チェロの低音がことのほか美しく豊かな音に感じられる作品であり、演奏である。
 冒頭からチェロの低音から高音まで並んだ音程でチェロの朗々とした音色を存分に聴かせてくれる。一気にチェロという楽器の魅力の世界に引き込まれる。この初めの20小節が聴きたくてこの曲を聴くといってもいい。
 時には第2楽章、第3楽章は聴かずにこの第1楽章だけを数回聴いて終りにしてしまうこともある。

      

「小人閑居して不善を為す」

2016年04月10日 18時24分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昔、中学生か高校生の頃、ある人が「小人閑居して不善をなす」ということを言って説教をしていた。学校の先生ではなかったが、学校関係者のひとりであった。その時はそのまま気にも留めず聞き流していたが、このことわざの存在をそのとき以来記憶している。
 一般的には「つまらない人間は暇をもとあますとろくなことをしない」という意味に使われる、という。
 本日は何も為さなかったから、「不善を為していない」とぼんやり考えていたけれど、「何も為さないことが不善」といわれてしまえば、もう私の立場は無い。どちらにしろ「不善」と指摘されるのもまたつらいものがある。こんな妄想をしていることが「不善」そのものであろうか。
 勤めはじめてすぐの頃、交渉相手から面と向かってこのことわざを言われて、さすがにムッとした。「あぁそうですか」といって背を向けて帰ってきてしまった。後で上司にたれ込みがあるかとドキドキしたが、そんなことはなくてホッとしたことがある。
 人を見下して、「正論」に酔い痴れて、人に説教をしたがる人が吐く言葉として、私の頭の中にこびりついてしまった。私にはとても嫌なことわざである。
 一方で「無為自然」という言葉もある。「作為的に人の手を加えず、あるがままにまかせる」とおおよその意味である。老子の思想から言えば「作為をしない」ということで「何もしない」ということではないが、こちらの方がずっといいことわざである。

 本日は朝のうちに団地の集会所で会議、11時から30分ほどパソコンの前に座り、そして午後になって歩いて3分の商店に一度買い物に行ったが、買い物以外はのほほんと時間が過ぎて行くのを眺めているような過ごし方をした。
 11時からパソコンの前に座ったのは、遅ればせながらボッティチェリ展の感想を記した。私なりの活動といえばその程度。しかもボッティチェリ展はもう閉幕してしまっている。
 ほとんど「何も為さなかった」日である。はたして「不善を為した」のか。
 そう、読書もほとんどしていない。何もしない日はかえって落ち着かない。何かを忘れているような気分になる。ぎっくり腰の回復にはいいことだったと思うが‥。

 腰の痛み、ダルさは本日の朝はさらに昨日の朝よりも軽減されていた。本日の昼からは、傷み止めと筋肉の強張りを軽減するという薬の服用をやめてみた。それでも特に痛みやダルさが昂じたとは思えない。貼る湿布も本日は止めてみた。
 ただし明日以降も、病院で低周波の電気治療には通うつもりである。

 ぎっくり腰については多くの方からお見舞いと心配の声をいただき感謝しております。ありがとうございました。


ボッティチェリ展

2016年04月10日 13時47分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 ボッティチェリというと私の乏しい知識では3つの作品しかなかった。「ラーマ家の東方三博士の礼拝」(1475-76)、「春(プリマヴェーラ)」(1477)、「ヴィーナスの誕生」(1483)だけであった。いづれもフィレンツェのウフィツィ美術館の収蔵品として展示されている。実際に訪れて見る機会を得ることが出来た。
 私は「東方三博士」、「春」は気に入っている。しかし「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスの造形と顔の表情が人間離れしていてこれまで惹かれることは無かった。



 今回初めて「バラ園の聖母」(1468-69)、「聖母子(書物の聖母)」(1482-83)、「聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルと大天使ガブリエル」(1485)、「聖母子と4人の天使(バラの聖母)」(1490年代)など、工房の作といわれるものも含めていくつかの作品を見る機会を得た。
 いづれも私は赤子であるキリストの造形、顔の表情におおきな違和感を感じた。あまりに不自然な体の在りよう(体躯の捻り方、体躯の各部のアンバランス)、赤子とは到底思えない大人びた表情など数え上げたらきりがない。
 ただしマリアを含めて大人や天使はキチンと描かれている。この落差がまたすごい。
 しかし今回の展示作品、「聖母子(書物の聖母)」もキリストの造形と表情はとても現実味がないが、マリアの造形・表情、衣服、室内調度、窓の外の空などとても手が込んでいて、丁寧に描いていると思うとともに配色の妙も感じた。
 またマリアの視線が書物には注がれておらず、伏目で瞑想しているようである。マリアと赤子のキリストと視線は合っておらず、両者の母子としての信頼関係を私たち非キリスト者には類推することはできない。これは他の聖母子像とあまり変わらないが、それでも何らかの両者のコミュニケーションを想定したくなる力がある。それがなんだろうとずっと考えていたが、やはり私の能力・知識では、結局わからなかった。ただ、画面の筆致の丁寧さだけが心に残っている。
 解説では「極めて重要な注文に寄る制作だったことが推測される」と記されている。



 画面の美しさでは、「美しきシモネッタの肖像」(1480-85)に惹かれた。実際に接することのあった女性であったそうだが、人物の造形からは画面が小さくとても窮屈に感じる。視線の先に対話する人が描かれていたものを切り取ったのではないか、と感じる。画面が小さいのか、描かれている人物が大きすぎるのか、どちらであろうか。



 それは「女性の肖像(美しきシモネッタ)」にさらに顕著にみられる現象である。同一人物とは思えないものの同じく「シモネッタ」という表現が使われている。それとは別に左を向いている視線の先があまりに狭い。そして頭の後ろが少し広めである。私はこの作品も視線の先に別人がいるのか、あるいはさらに多きな作品の一部を切り取ったものかと考えてしまう。解説にいづれの作品についても私の疑問には触れてはいないので、鑑賞の本質からはずれた、私のつまらないこだわりに過ぎないのかもしれない。
 しかしこの2点の女性像にはとても惹かれた。宗教性や親和性から離れたボッティチェリの作品に私は惹かれるようである。


ブラームス「ヴァイオリンソナタ第1番」を再び聴きながら‥

2016年04月09日 23時07分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番を聴いている。昼間久しぶりに太陽を浴び、のんびりとはいえ歩き回って疲れた体と、少し高揚した気分を落ち着かせるには、ブラームスのヴァイオリンソナタ、3曲ともいい曲である。

   

 今までそれほど気にしなかったが、第1番の第2楽章の後半の出だし、ならびに第2楽章の最後の部分に出てくるヴァイオリンの重音がなかなか聴き応えがある、と思った。
 この曲は秋も深まった雨の日に聴くのがいいと思っていたのだが、このような日にも体にすっと入ってくる。

 明日は朝から団地の管理組合の諮問委員会の会合がある。終了後の予定は特にない。あすは休養日ということにしたい。読書三昧もいいのだが、果たしてじっとしていられるだろうか。家の中でおとなしくしていられるだろうか。明日も本日とおなじような好天気の予報。何となくそわそわしてしまう。

横浜公園のチューリップ

2016年04月09日 21時18分25秒 | 山行・旅行・散策
 久しぶりに横浜はからりと晴れあがった。横浜スタジアムのある横浜公園は野球観戦の人とチューリップを楽しむ人たちとでたいそう賑わっていた。
 腰のダルさもあり低い姿勢での撮影は無理なので、園路より一段高い花壇に植えられているチューリップは撮影はしやすいが、妻とゆっくりと1時間ほど見て回ることに重点を置いた。途中からはさらに背中のダルさにうんざりして、ファインダーを覗いたり、撮影した画面を見るのも面倒になってきた。園内を一巡したのち、一休みして馬車道まで歩いた。関内桜通の八重桜も咲き始めていた。満開はあと一週間位であろうか。
 その後、みなとみらい地区のパシフィコ横浜での買い物に付き合ったが私は広い会場にある休憩コーナーで一眠り。窓越しに日が当たりとても気持ちのいい、無料の1時間であった。

 帰宅後、静かに横になって休養した。さいわいに腰の痛みは感じないし、背中のダルさは弱まっているようだ。

                                 

腰の痛みはダルさに変わった

2016年04月09日 10時20分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の部分の痛みはまだ少しだけ残っている。今朝は左右の肩甲骨の下あたりの広い範囲のダルさにが際立っている。そのダルさは昨晩よりも上に移動してきていると感じる。昨日の朝は痛みが右側から左側に移り、ダルさが次第に上に上がってきていた。

 これは治癒の過程なのか、よくわからないが、じっとしているのはつらい。ストレッチはまだしない方がいいようだ。もともとストレッチをするとかえって腰が痛くなることが多かった。姿勢を良くして歩くとあまりダルさを感じない。

 本日は、午前中にいつもの内科に行って降圧剤を処方してもらったのち、横浜の関内に横浜公園のチューリップを見に行くことにした。用心のために杖は折りたたんでリュックに入れていくが、出来ればそれに頼らずに歩きたいものである。

読書とメルマガ申込み

2016年04月08日 22時24分16秒 | 読書
 昨日は太目のビニール傘を杖替わりに使いながら家まで帰ってきた。これでも十分に腰の負担軽減にはなる。しかし、先があまり細いと道路の側溝や下水のマンホールの蓋や穴にはまり込んだりして安全とは言えないので注意は必要である。
 本日は杖も傘も持たずに出かけた。整形外科のある横浜駅までの往路と、石川町駅から組合の会館まで往復、合計1万1千歩ほどを歩いた。普段の早さに近い速さで歩いた。最後は少し腰がだるく感じたが、今はだるさは感じていない。私が出かけている間に妻は東横線沿線の桜の見どころを自転車に見に行った。だいぶ散ってはいたが、まだまだ見事な桜を見ることが出来たと満足している。
 明日は横浜公園のチューリップが見頃ということで、人出は多そうだが、妻に付き合って見に行くことにした。杖を持って行くかどうか、朝になってから判断する予定。

★本日の読書外
 「現代の眼617」に目をとおした。安田靫彦に関する論考よりも芹沢介の紹介記事が勉強になった。
 また月刊星ナビ5月号【http://www.astroarts.co.jp/hoshinavi/index-j.shtml】にも眼をとおした。

 午前中には、「ART TRANSIT通信」【参照:http://art-transit.net/index.php】と、「美術Academy&School」【参照:http://www.art-a-school.info/】の無料メルマガを申し込んだ。