Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

13日ぶりに2万歩を歩いた

2016年09月17日 21時01分23秒 | 山行・旅行・散策
 9月4日(日)以来13日ぶりに2万歩越えのウォーキングをした。午後一番で自宅から横浜駅まで歩き、京浜東北線に乗って石川町駅まで。石川町駅から組合の会館を経由して上大岡駅まで鎌倉街道をひたすら歩いた。約1万4千歩位で時間にして1時間45分ほど。時速は4.8キロだってのでそれほど早くはなかったが、それなりに汗をかいた。
 10年ぶりくらいに鎌倉街道の旧道沿いにある寿司店に入った。お店は改装されており、すっかり雰囲気は変わって広くなり、居酒屋風になっていた。そして、知っている従業員もいなかった。
 そこでの会食のあと、再び鎌倉街道を歩いて横浜にむかったが、最初の駅の弘明寺駅まで着いたところで草臥れたので、地下鉄に乗って家の最寄り駅まで乗車した。家についてみると2万1千歩となっていた。
 すっかり汗で濡れてしまった服を洗濯機に放り込みシャワーを浴びて、幸せ気分。

 明日は休養日。とはいっても一日家の中でゴロゴロしているのは趣味ではない。部屋の片づけを若干した後に何をするか、今から悩んでいる。

二度寝‥

2016年09月17日 11時58分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は11時まで寝てしまった。ごく軽く朝食を摂ったが、梨と葡萄とヨーグルトという喉に通りやすいものばかりを手にした。覚めた紅茶がとても美味しかった。水分が不足していたのだろうか。明け方1合半ほど水を飲んだが、足りなかったのかもしれない。
 そして眠気に負けて再度就寝。正味8時間ほど寝たことになる。
 最近生活が荒れているのだろうか。就寝する時間は2時、気象が8時と固定化されている。だが、その間の生活が決して健康的とは言えない。やはり家でいつものとおりの食事とビールのレギュラー缶1本くらいの食事、1時間程度のきつめのウォーキングを確保するのが好ましいのだが、それが出来ていない。
 外食だとつい食べ過ぎ、飲み過ぎて、そして酔い覚ましも兼ねて1時間余の中程度のウォーキングとなる。汗はたくさんかいて、家に着くころにはかなり気分は回復している。すぐにシャワーを浴びるととても気分が良くなる。そのまま居間で何もせず、テレビも見ずにお茶でも飲みながらボーっとしているのが好きであるが、あまり体には良くないのかもしれない。

 本日も15時半から会食である。むろん有料。会食自体は楽しいのであるが‥。明日は休養日ということにしよう。19日はワインパーティーに招かれている。こちらは多分会費はない。

「エッシャー展」感想2

2016年09月16日 22時03分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ちょっと大胆すぎる推論をひとつ。



 エッシャー展を見て回っているうちに私は、エッシャーの「昼と夜」(1938)に琳派の作品を見たような気がした。ひょっとしたらエッシャーは意識していたのではないだろうか。

      

 その作品は本阿弥光悦と俵屋宗達の合作「鶴図下絵和歌巻」や、エッシャー展の次に見に行ったときに見た「富士千鳥筑波白鷺図屏風 右双」などを思いうかべた。
 直接参考にしたかどうかはわからない。また父親が1873(M6)年にお抱え外国人として日本に短いとはいえ滞在していたことが何らかの影響があったのか、それもわからない。しかしエッシャーの鳥の連続と反復の模様に対する関心は、このようなところからも何らかの影響があったと私は思うのが自然に感じた。
 牽強付会の思い付きかもしれないが、いかがなものであろうか。エッシャーの日本での人気の背景はこんなところにあるのかもしれない。


「鈴木其一展」感想1

2016年09月16日 21時05分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
チラシの解説では、
「鈴木其一」(1796-1858)は江戸時代後期に、江戸琳派の優美な画風を基盤にしながら、斬新で独創的な作品を描いた画家として近年大きな注目を集めています。その其一の画業の全容を捉え、豊穣な魅力を伝える初の大回顧展を開催します。
江戸時代初期の京都で俵屋宗達(17世紀前期に活躍)が創始した琳派は、尾形光琳(1658-1716)により、さまざまな流派が活躍した江戸時代絵画の中で最も華麗な装飾様式として確立されました。光琳が活躍した時期の約100年後に、江戸の地で琳派の再興を図ったのが酒井抱一(1761-1828)です。抱一は京都の琳派様式からさらに写実的で洗練された画風を描くようになり、その新様式はのちに、京都に対して「江戸琳派」と呼ばれています。
そのような江戸琳派の祖・抱一の一番弟子が其一です。其一は寛政8年(1796)、江戸中橋に誕生しました。文化10年(1813)、数え年18歳で抱一に入門。4年後に兄弟子で姫路藩酒井家家臣の鈴木蠣潭(1792-1817)の急死を受け、養子に入り鈴木家の家督を継ぎました。
文政11年(1828)、其一33歳の時に抱一が没して以降は、一門の中でも圧倒的な存在感を示し、その作風は次第に師風を超え、幕末期にかけて大きく変容を遂げます。とくに30代半ばから40代半ばにかけてはダイナミックな構成や明快な色彩を多用し、新たな其一様式が築かれました。さらに晩年にはより挑戦的で自由な作風を開き、近代を予告するような清新な作品も少なくありません。
このように、抱一の実質的な後継者としての自負、光琳に連なる琳派画家としての誇り、さらに酒井家家臣という立場が上質で機智に富む画風を育み、多くの其一画が大名家や豪商の厚い支持を得ました。
本展では抱一画風を習得する門弟時代、躍動感溢れる作風を次々と手掛けた壮年期、息子・守一に家督を譲った晩年と、其一の生涯と画風の変遷を丁寧に追います。また其一は多くの弟子を育成して江戸琳派の存続に大きく貢献しており、近代まで続くその系譜も辿ります。まさに「江戸琳派の旗手」として目覚ましい活躍をみせた其一。広く知られた其一の名品や新出作品など、国内外からかつてない規模で作品が一堂に揃うこの展覧会は、江戸の画壇を豊かに彩った其一画の魅力とその展開を、存分に堪能していただける貴重な機会となります。」

と記している。

   

 鈴木其一の作品をはじめて見たのは2010年5月、根津美術館で「夏秋渓流図屏風」を見た時である。この時の驚きは今でも覚えている。琳派というものはすごいものだな、という感想をその時以来持った。むろん宗達や光琳や抱一の名も作品も以前から知っていたが、彼らの作品を見た時の驚きよりも大きかったと思う。
 何よりもその緑と青の深い色合いに特徴があるとすぐに感じた。また色彩の面が鮮やかで明確である。滲みやボケ味などという言葉をこの画家は知らないのではないかとすら思うこともある。この明瞭な印象が私にはとても好感が持てた。



 この「朝顔図屏風」はメトロポリタン美術館所蔵ということで、目にする機会をうかがっていて、ようやく実現した。
 今回の展示では「朝顔図屏風」だけがメインではなく、多くの惹かれる作品に接することが出来た。しかしやはりこの作品の前でいちばん時間をかけた。
 まずこの朝顔は根が無い。葉と鶴と花の部分だけを取り出して空中に放り投げて虚空に張り付かせたように浮遊している。左右のバランスがとてもいい。あえて言えば左の方がまとまりがいい。まとまりのいいおさまり方である。左上から右下に向かう流れが目につく。そして右双は左よりも均等に朝顔が散らばっている。とくに大きな流れはない。どちらかというと右から左に向かう流れがあるが、明確な主張を持ってはいない。この左右のわずかな違いが見ていて「飽き」ない理由だと思う。
 左右いづれも結果としては過不足なく、偏らずに平面を埋めている。この安定感がこの作品の大きな魅力だと思う。また背景の金色があまりしつこいとは感じない。これ見よがしの金箔は鼻に着くがこの作品ではそのように感じたことはない。たぶん緑が金色の暴走をとどめていると思う。
 実に丹念に計算されつくした色の配置と緑・紺色の配置だと思う。これは鈴木其一という人物のかなり律儀でキチンとした性格に裏打ちされたもののように思える。



 例えば「向日葵図」の真っ直ぐに伸びたような茎を見た時に、ここまでこの垂直の線にこだわって描いたことに驚いた。完成度の高い優れた作品だと思っている。花の黄色の輝き、葉のたらし込み技法を多用した葉と茎の現実感、特に葉の緑色が黄色と呼応しているのは、かなり意識した対比だと感じている。この天辺の黄色の花は、見る人の心を見通してしまう強さがある。当時はやりの観音像の視線のような感じも受ける。ひょっとしたら仏像なのかもしれないと感じた。
 この直線のような真っ直ぐな線というのは、絵画の中に取り入れるというのは思い切った手法だと思う。なかなか成功はしないのではないだろうか。



 完成度はこの向日葵図ほどではないが、水墨画のような「繭玉図」も同様に、向日葵図よりも垂直で直線にこだわった作品である。まるで電信柱を写生したような作品で、思わず明治維新後に他の画家が描いたのかと作者名を再確認した。一部だけを切り取るという構図も斬新だと思う。
 いづれも垂直の直線一本だけを中心に据え、他に主要な要素がない大胆な作品であると同時に、そこにこだわる性格というものを考えさせられた。かなり理詰めに物事を考え、対象をそのように観察し、そのように画面を構成した画家と私は想像している。そこがまた魅力だと感じる。
 後期展示も行ってみたい気がする。チケットショップで格安に手に入ると可能性が出てくる。だが人気が出ると団体割引の価格で販売されるので、あまり美味しくはない。

   

カラオケの写真取材

2016年09月16日 10時21分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の午後は雨は降らず、組合の会館から家までゆっくりだが、歩いて帰った。行くときは電車利用だったため、結局一日の歩数としては1万4千歩となった。
 夜は十五夜の月を幾度もベランダから眺めながら虫の音を聴いていたが、夜中過ぎから再び雲が出て来て、すっかり空を覆ってしまった。

 さて、本日の午前中は内科で血圧の薬を処方してもらう予定。12時からはカラオケの取材。できるだけお酒は控えるつもりでいるが、終了は17時ということなので、それなりに飲む羽目になりそうな気配もする。
 カメラの電池の充電などの準備はとりあえず終了した。暗い室内と広さを考えて広角のズームレンズ1本で済ませたい。ミラーレスでは無理そう。一番軽いという謳い文句の一眼レフを持って行くが、ミラーレスに慣れてしまうとやはり重く感じる。
 鈴木其一展の感想をそろそろ準備したい。展示を見ながらいろいろ湧いてきた感想を頭の中で整理しているうちに、だんだん記憶があいまいになってきてしまった。図録をもう一度見ながら思い出さないといけないようだ。


十五夜

2016年09月15日 23時21分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 心配したほど雲は厚くなく、雲の向こうにあるいは雲の切れ目に十五夜の月が見えている。虫の音も静かにしかししっかりと聞こえてくる。スズムシが多いようだ。私の家のベランダからは残念ながら芒は見えない。しかし高い欅の先端に見える月には、欅の枝の先の細かな葉が影のように張り付いている。月の周囲の雲が大きく割れて、南西の方向は空がみえている。雲が切れていく、というのはなかなかいい風情の十五夜である。
 当初はベランダに100円ショップで購入した小さな椅子を出してお酒を飲もうとしたが、妻から蚊にくわれるだけのこと、やめなさいと強くお叱りを受けて断念。時々ベランダに出て、月を見上げることをしている。もう10回ほど戸を開け締めしたであろうか。蚊が部屋の中に入ってきたかもしれない。

★名月や門の欅も武蔵ぶり   石田波郷



 しかし武蔵の国らしい欅の姿というのはどのような欅なのだろうか。たぶん無骨な形という意味なのだろうが、それが具体的な形としては想像できない。丸くて、悟りの境地にたとえられる満月に「無骨」な形の欅を対比させる。その欅の向こうに名月がある。無風流な人までもが名月を見る、という舞台設定なのか?
 そうはいっても忘れられない句である。私は高島野十郎の描いた満月を思い出している。

 明日は昼から退職者会のカラオケクラブの交流会に顔を出して取材。私はカラオケはどうしても馴染めない。何しろ歌を歌うのがどうしても嫌である。聞いている分にはいいのだが、カラオケの場面に放り込まれるとひたすらお酒を飲んで寝てしまうことにしている。今回は取材なのでお酒をときどき飲みながらカメラを構えるだけ。出来れば参加したくはないが、仕事だと割り切るしかない。
 世にカラオケというものが無ければ、世の中はもう少し明るくなるのだが‥。カラオケなどというものを発明した人を心から憎んでいる。昔はどこの世界でもカラオケや宴会芸の強要がひどかった。私の勤めた公務職場でもひどかったが、勤めてから5年もしないうちに強要は無くなってきた。宴会芸もどんどんなくなっていった。勤めて10年もしないうちに強要は皆無となり、あくまでも歌いたい人だけが歌うようになった。宴会芸などもまったく廃れた。昔は歓送迎会などで、送られる人、迎えられる人かならず歌うか、芸を求められたものである。私は一貫して拒否をしてきた。逃げ回ってきた。
 しかし今でも多くの職場ではまだそのような強要が残っているらしい。私にはどうしても理解できない習慣である。
 退職者会では、宴会の席でも、このようなクラブの催しでも、強要はない。それぞれに楽しみたい人間が楽しんでいる。人をはやし立てて楽しむということはまったく考えていない。とても嬉しい組織である。

「エッシャー展」感想

2016年09月15日 21時22分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 版画家マウリッツ・コルネリウス・エッシャー(1898-1972)については、私はチラシに掲載されている「上昇と下降」(1960)や「ベルベデーレ(物見の塔)」(1958)などで知っている程度であった。
 オランダ出身ということもなくなったのが1972年とわたしが学生時代の時だったということも知らなかった。まして初期の作品がどのようなものであったかもまったく知識はなかった。
 本人も最後まで「デザイナー」として振る舞おうとしていたらしい。平面の中にジグソーパズルのような反復と連続、立体の視覚のトリックに基づく平面化等々には私は昔も今もあまり惹かれることはない。今回の展示でも1930年代後半以降の後期から晩年にいたるまでの一連の作品にはあまり惹かれることはなかった。細部への精緻なこだわりには惹かれることはあっても、作品そのものから「感動」はなかった。



 ただし、これらの一連の作品では初期にあたる「昼と夜」(1938)は昔から印象に残っている。ここには言い知れぬ抒情性のようなものを感じている。人間の営みに裏打ちされた畑や町並や道路といった景観からどこか疎外されて、着地点を喪失している人間の寂漠を感じる。社会との接点がうまく構成できない「不器用」と烙印を押されてしまう人間の飛翔しようにもあまり高くには飛翔できない人間のもどかしさのようなものを感じ取っている。
 今回の展示を見て、初期作品に私はおおいに惹かれた。



 始めから精緻な描写にこだわりを示し、遠近法と明確な明暗にこだわっていたと思われる。それは1930年代半ば以前の作品に見出すことが出来る。私が今回の展示で一番惹かれた「カルヴィの松林(コルシカ)」(1933)はその典型のような気がする。
 このように強調された明暗と極端な遠近感の作品は、広重の風景画を思わせるものがある。そして枝の先の葉の描写の細かさにたじろぐように驚いた。伝統的な職人技に基づく風景画にも思える。しかしながら、精緻な描写の向こうには人の姿、人の要素というものがまったく欠けている。エッシャーという画家にとって風景というのはこのように精緻で、そして人を寄せ付けない何かを持っているのではないか、と感じた。風景が画家の中に取り込まれていく回路をもともと喪失していて、どこまで行っても画家の外部に画家とは対立するように立ちはだかっているのではないかとすら感じた。人がかかわって有機的な関係を取り結んでいる自然ではなく、自然が人間と初めから終わりまで交じり合えことなく、いつまでも併行関係にあるようだ。
 明確な明暗と遠近法を組み合わせて幾何学的な構成を突き詰めていると、錯覚によってどこかで遠近が逆転したり、奥行き感が逆転したりすることがある。このような体験は私も幾何学的な模様で体験することがある。



 遠景の火山と近景の岩の大地を描いた「ブロンテ付近のエトナ山(シシリー)」(1933)はさらに景観の方から人を拒絶しているような作品である。



 一方で人工物などには強い親和性を示していたようで、「サン・ピエトロ寺院の内部(ローマ)」(1935)などでは強い明暗と強い光による反射面と影に、そして極端に幾何学的な遠近法表現こだわりを示している。



 これをさらに一歩歩を進めると、「静物と街路」(1937)のように近景と遠景の浸潤、混合、相互滲出へと進展するのではないか。視覚の錯覚への強い関心に行きつくように思える。私はこの一歩踏み越える手前と踏み越える瞬間の時期の作品群が、このエッシャーという版画家のもっともすぐれた地平のように思える。

   

 一連の平面の正則分割、あるいは形而上絵画のようでもある視覚のトリックに純化した作品を作っていた時代にも、「水たまり」(1952)や「三つの世界」(1955)のような作品を生み出している。
 極端に遠近法を排して、日本画を彷彿とさせる画面構成である。そして画面いっぱいに紋様のように素材を執拗に描写するところは紋様の執拗な繰り返しと反復によるデザイン性を前面に出している。とはいえ、どこかで画家が自然との関係の修復を求めているような助けを、あるいは叫びを感じ取れないだろうか。人間は自然との関係をあらかじめ対立概念だけではとらえきれないものがあるはずだと思う。どこかで交感しないと、そして互いに浸潤しあわないと、相互に関係は構築できないし、持続できない。むろんその度合いや関係の結び方は地域や文明により種々の変容があるが、基本は変わらないはずだ。それが人類のつくる文明の共通事項だと私は解釈している。



 そして一連の後半生の無機質ともいえる作品群の中に「婚姻の絆」(1956)が存在する。人間の関係を象徴するような作品だと感じた。それがどのような水準の関係なのかはこの際は問わないでおこう。少なくとも作者であるエッシャーが社会を律する人間関係に着目しているということが現われている。






中秋の名月だが‥

2016年09月15日 13時10分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は退職者会のホームページを一カ月半ぶりに更新をした。8月は夏休みということで更新をしていなかった。会議も行動もとりあえずなかったのを理由にして。
 9月は行動と会議が目白押し。更新も忙しくなる。さらに本日は15時から会議に代理で出席となった。

 会議が終了後は何をするかまだ決めていない。雨が降るかもしれないとの予想なので、中区から歩いて帰宅するのは今から決断できない。喫茶店で読書でもするのが一番いいかもしれない。
 本日は十五夜だが、満月ではない。18時の段階では月齢14。中秋の名月も雨および雲で見ることは出来ないようだ。無月ということで、それを理由にベランダに出てお酒でも飲みながら寝てしまうのもいいかもしれない。ただし蚊が酔ってこないような工夫が必要。


モーツアルト「ピアノ協奏曲第21番 K.467」

2016年09月14日 23時05分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 今回も、内田光子のピアノ、ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の組み合わせで1985年の録音である。
 この曲は1785年にピアノ協奏曲第20番がつくられてから、早くも1か月後の予約演奏会のために作られた。モーツアルトは短い間隔で曲を作る時に対になるような曲をつくることがある。この第21番も第20番と性格的に対照的な曲として扱われる。
 短調ではなくハ長調と明るい調性であり、第1楽章の印象はとても明るい。第2楽章は第20番がモーツアルトの生涯を扱った「アマデウス」で繰り返し登場して有名になった。この第21番の第2楽章もスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」に使われている。ともに印象的で美しい曲である。 この曲は第20番と違いモーツアルト自身のカデンツァはないという。このCDでも内田光子による。
 第20番が33分24秒に対し、この第21番は28分23秒。実際の時間以上に短く感じる。第2楽章の軽快感故の感じ方のような気がする。

      

本日の展覧会の概略の感想

2016年09月14日 22時13分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日中に「エッシャー展」だけでも記事をアップしようとしたが、画像の取り込みだけでこの時間までかかってしまった。慌てずに頭の中の整理をしてから記事をアップすることにした。本日の作業はここまでにして、あとは明日以降としたい。

 エッシャー展はいわゆる立体のだまし絵や平面の正則分割と云われる作品ばかりのイメージしかなかったが、初期の作品にはとても惹かれた。購入する予定が無かった図録を購入してしまった。
 鈴木其一展は期待にたがわない展示で充実した鑑賞タイムを過ごすことが出来た。サントリー美術館の図録は「若冲と蕪村」の時と同様重質したものに思える。ただし今回も前期と後期の展示替えがあるので全作品を一度に見ることが出来ないのは残念である。特に後期展示の「夏秋渓流図屏風」と「風神雷神図襖」は後期である。ただし前者は根津美術館の所蔵なので別の機会に見ることは出来る。後者は東京富士美術館所蔵ということでこれまでも機会はなかった。2度訪れる資力は無い。


本日は「エッシャー展」と「鈴木其一展」をはしご

2016年09月14日 18時59分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は思い切って二つの美術展を見に行った。
 始めに正午から、横浜駅にあるそごう美術館で「エッシャー 視覚の魔術師」展。コーヒータイムの後に六本木の東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で開催している「鈴木其一 江戸琳派の旗手」展。
 二つというのはとても疲れるが、9月は予定がたて込んでしまったので致し方ない。台風14号と16号に刺激された秋雨前線が関東地方に停滞する中、二つの美術館と日比谷線の空調の効いた空間の中に居たので汗はあまりかかなかった。それが、体に良くないことなのかは別問題として‥。

 二人に共通点があるなどの理由はまったく考えずに、ただ思いつきで行った。特にエッシャー展は全日にチケットショップで半額の500円という値段を見て、見に行く気になった。動機は結構不純である。展覧会を見た後にそういえばデザイン性、反復的な平面構成などまったく接点のない鑑賞とはならないかと思いついた。どれだけ私がそれに言及できるかはまったく心もとないが、そんな視点があってもいいかもしれなかったと、思い至った。

 しかしそのようなことよりも正直に言ってさすがに疲れた。

焦点が合わないつらさ

2016年09月13日 23時56分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は買い物から帰ってからは結局グズグズと時間を過ごしてしまった。明日も雨模様で出そびれる予感である。
 少しはしゃきっとしないといけないが、目がつらい。目の症状はものが二重に見えるということ。
 退職後から強く意識するようになった。以前は夕方になると散歩している時、月や信号が二重に見えるようになった。乱視も少しあるが、それが原因ではないと云われた。念のため脳のMRIも撮ったが異常は見られなかった。単純に二重に見えるということは、左右の目の筋肉が衰えて調節する能力が弱くなっているという診断を受けた。
 そのために読書とパソコン画面を見続けるのが最近はかなり効くなっている。長時間のウォーキングや登山を続けていると遠くの物が二重に見え、遠近感が無くなる。最近では、パソコン画面もほとんど勘で判断している。読書も15分するとほとんど焦点が合わなくなり、眠くなる。目を凝らしても効果がない。眼帯をかけて片目をつぶった方が楽なので、しばらくはこれを続けようかとすら思うようになった。しかしこれを続けると今度は外に出かけるのも眼帯に頼るようになるのではないか、という恐怖心もある。
 目のこのような症状については、別の眼科医に相談することも含めて決断が必要かもしれない。

横浜で再び震度2

2016年09月13日 20時39分31秒 | 天気と自然災害
 横浜ではまだ大雨・雷注意報が発令されたままである。今朝方の激しい雨は正午前に止んでくれた。しかしすっきりとした空にはならず、ずっと厚い雲が覆いかぶさっている。しかも最高気温は深夜1時に記録した24.4℃ということで、日中はその気温よりも低かったことになる。
 午後に横浜駅まで買い物に出かけた。行きは歩いたが、横浜駅に着く直前に再び雨が落ちてきた。さいわい強い雨になる前に地下街にたどり着くことが出来た。買い物で重い米をリュックに詰めて帰宅した。さすがに再び歩いて帰る気はなくなり、バスで帰宅。家に着く直前に再び雨が落ちてきた。

 明日も本日のような天気らしい。しかし気温は27℃と3℃ほど高い予報がでている。

 つい先ほど19時過ぎに横浜で震度2の地震があった。縦揺れが長かったと思う。小刻みの縦揺れのあと少し強くなってから、横揺れとなった。縦揺れの継続時間、横揺れの時の方向のよみとりなど、自分で調べられるはずなのだが、実際のところはうまく計れていない。残念である。
 この地震は、埼玉県南部が震源で深さ80キロ、マグニチュード4.8と発表された。千葉県北西部から埼玉県南部にかけてのところは地震の多発地帯。今朝8時半頃にも横浜で震度2を記録した。千葉県北西部を震源として深さ70キロ、マグニチュード4.1となっている。この朝の地震は気がつかなかった。

モーツアルト「ピアノ協奏曲第20番 K.466」

2016年09月13日 17時57分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 いつものとおり、内田光子のピアノ、ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の組み合わせで1985年の録音である。

      


 モーツアルトのピアノ協奏曲で聴いてすぐに好きになった曲であり、今でももっとも惹かれるピアノ協奏曲のひとつである。モーツアルトの短調の曲らしいデモーニッシュで、モーツアルトの情緒が不安定な一面、感情の起伏の激しさをあらわしているとも思われる曲である。作品に作者の性格や伝記的な出来事をそのまま二重写しに投影することはされなければならないのは承知をしているが、ついそのようなことを感じてしまう。短調のピアノ協奏曲はこの20番がニ短調で、第24番がハ短調である。わたしはモーツアルトの曲は短調が好きである。シンフォニーでは第25番と第40番の2曲。この4曲はモーツアルトの神髄のようにも思える。

 この曲は1785年、モーツアルト29歳の時の作品である。作曲家がもっとも充実した時代に作られた曲でもあるという。ベートーベンやブラームスもこの曲を大変気に入っていたようで、第1楽章のカデンツァはベートーベンのものがよく知られていて、たいがいがこれを弾くということである。
 第1楽章の不安感がある出だし、美しい第2楽章、第1楽章を受け継いだような第3楽章の前半、そして華やかな雰囲気の第3楽章の後半と、変化にも富んでいる。
 私はこの20番に至ってピアノ協奏曲というよりもモーツアルトの管弦楽曲の響きが大きく広がって、壮大な音の構築物へと飛躍したのではないかと勝手に想像している。これは学問的な実証ではなく、あくまでも個人の無責任な感想であるが‥。


本日の横浜は強い雨

2016年09月13日 10時29分48秒 | 天気と自然災害


 横浜では朝から強い雨がずっと降り続いている。秋雨前線が活発になっているようだ。雨の区域は北東方向に移動している。
 先ほどまで横浜市域の一部には時間換算雨量80ミリ以上の区域表示(赤)もあったが、少しだけ雨は弱まり、まもなく上がりそうである。横浜では朝から強い雨がずっと降り続いている。

 ベランダに出ると手すりやベランダの床に直接当たった雨が跳ね返り、風はあまりないのに、横と下から雨にあたることになってしまった。セキセイインコも多少びくびくしているようなので、籠の掃除と餌の取り換えが終わったらすぐに家の中に取り込んだ。

 さいわい出かけなくてはいけない予定はないので、この雨では出かける気力は無くなってしまった。雨が上がった時点でもう一度考えてみる。

 この文章を書いているとどんどん外が明るくなってきた。まもなく上がりそうである。