版画家マウリッツ・コルネリウス・エッシャー(1898-1972)については、私はチラシに掲載されている「上昇と下降」(1960)や「ベルベデーレ(物見の塔)」(1958)などで知っている程度であった。
オランダ出身ということもなくなったのが1972年とわたしが学生時代の時だったということも知らなかった。まして初期の作品がどのようなものであったかもまったく知識はなかった。
本人も最後まで「デザイナー」として振る舞おうとしていたらしい。平面の中にジグソーパズルのような反復と連続、立体の視覚のトリックに基づく平面化等々には私は昔も今もあまり惹かれることはない。今回の展示でも1930年代後半以降の後期から晩年にいたるまでの一連の作品にはあまり惹かれることはなかった。細部への精緻なこだわりには惹かれることはあっても、作品そのものから「感動」はなかった。
ただし、これらの一連の作品では初期にあたる「昼と夜」(1938)は昔から印象に残っている。ここには言い知れぬ抒情性のようなものを感じている。人間の営みに裏打ちされた畑や町並や道路といった景観からどこか疎外されて、着地点を喪失している人間の寂漠を感じる。社会との接点がうまく構成できない「不器用」と烙印を押されてしまう人間の飛翔しようにもあまり高くには飛翔できない人間のもどかしさのようなものを感じ取っている。
今回の展示を見て、初期作品に私はおおいに惹かれた。
始めから精緻な描写にこだわりを示し、遠近法と明確な明暗にこだわっていたと思われる。それは1930年代半ば以前の作品に見出すことが出来る。私が今回の展示で一番惹かれた「カルヴィの松林(コルシカ)」(1933)はその典型のような気がする。
このように強調された明暗と極端な遠近感の作品は、広重の風景画を思わせるものがある。そして枝の先の葉の描写の細かさにたじろぐように驚いた。伝統的な職人技に基づく風景画にも思える。しかしながら、精緻な描写の向こうには人の姿、人の要素というものがまったく欠けている。エッシャーという画家にとって風景というのはこのように精緻で、そして人を寄せ付けない何かを持っているのではないか、と感じた。風景が画家の中に取り込まれていく回路をもともと喪失していて、どこまで行っても画家の外部に画家とは対立するように立ちはだかっているのではないかとすら感じた。人がかかわって有機的な関係を取り結んでいる自然ではなく、自然が人間と初めから終わりまで交じり合えことなく、いつまでも併行関係にあるようだ。
明確な明暗と遠近法を組み合わせて幾何学的な構成を突き詰めていると、錯覚によってどこかで遠近が逆転したり、奥行き感が逆転したりすることがある。このような体験は私も幾何学的な模様で体験することがある。
遠景の火山と近景の岩の大地を描いた「ブロンテ付近のエトナ山(シシリー)」(1933)はさらに景観の方から人を拒絶しているような作品である。
一方で人工物などには強い親和性を示していたようで、「サン・ピエトロ寺院の内部(ローマ)」(1935)などでは強い明暗と強い光による反射面と影に、そして極端に幾何学的な遠近法表現こだわりを示している。
これをさらに一歩歩を進めると、「静物と街路」(1937)のように近景と遠景の浸潤、混合、相互滲出へと進展するのではないか。視覚の錯覚への強い関心に行きつくように思える。私はこの一歩踏み越える手前と踏み越える瞬間の時期の作品群が、このエッシャーという版画家のもっともすぐれた地平のように思える。
一連の平面の正則分割、あるいは形而上絵画のようでもある視覚のトリックに純化した作品を作っていた時代にも、「水たまり」(1952)や「三つの世界」(1955)のような作品を生み出している。
極端に遠近法を排して、日本画を彷彿とさせる画面構成である。そして画面いっぱいに紋様のように素材を執拗に描写するところは紋様の執拗な繰り返しと反復によるデザイン性を前面に出している。とはいえ、どこかで画家が自然との関係の修復を求めているような助けを、あるいは叫びを感じ取れないだろうか。人間は自然との関係をあらかじめ対立概念だけではとらえきれないものがあるはずだと思う。どこかで交感しないと、そして互いに浸潤しあわないと、相互に関係は構築できないし、持続できない。むろんその度合いや関係の結び方は地域や文明により種々の変容があるが、基本は変わらないはずだ。それが人類のつくる文明の共通事項だと私は解釈している。
そして一連の後半生の無機質ともいえる作品群の中に「婚姻の絆」(1956)が存在する。人間の関係を象徴するような作品だと感じた。それがどのような水準の関係なのかはこの際は問わないでおこう。少なくとも作者であるエッシャーが社会を律する人間関係に着目しているということが現われている。