Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりにブラームス「交響曲第4番」

2017年12月27日 12時25分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 最近慌ただしさに紛れて音楽に耳を傾けるゆとりがまったくなかったことに気がついた。CDプレーヤーのなかにはルビンシュタインのノクターンが入りっぱなしになっていた。いつ聴いたか思い出せない。
 本日かけたのはブラームスの交響曲第4番(カラヤン指揮、ベルリンフィル、1988年の録音)。この曲を聴きながら、午後は机の上の片づけ。これは一日では終わらない。片付けても翌日からまた書類やら資料やら、本、図録などが積み上げられることになるのだが‥。1年に二度の恒例行事である。
 大掃除の私の分担はこれだけ。

セキセイインコの埋葬

2017年12月26日 23時17分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 食事をする前に、セキセイインコをベランダの下の地面に穴を掘って埋葬した。ねぎらいの言葉をかけ、妻がベランダで咲かせたヴィオラの花を添えた。このヴィオラの花をセキセイインコは、私どもが目を離したすきにちぎりそうになったものである。
 野良猫に暴かれないように少々深めに穴をほった。また、尻尾が長いので、穴の大きさはそれなりに広く掘った。
 これでベランダの下には6羽のセキセイインコを埋葬した。一番最初のセキセイインコは子どもがまだ小学生のころに飼っていた。以来オス・メス2羽ずつ3組を飼ったことになる。いづれも我が家ではおおいに癒しの役目を果たしてくれた。ありがたいものである。眠る6羽、仲良くしてくれるといいのだが‥。

納豆汁にありつけた

2017年12月26日 19時23分57秒 | 料理関連&お酒
 本日は待望の納豆汁。豆腐と里芋とナメコそしてたっぷりの葱を具にした。私はひたすら3パックの納豆つぶし。これは力づくでは潰れない。すり鉢で少しずつ丁寧に根気よくすりつぶす。ひとつひとつがプチンという音を立てるように潰れていくのは楽しいが、粘り気で擂粉木が重くなっていくのがつらくもある。
 実は納豆汁の作り方は妻が教えてくれた。山形・秋田・岩手で作られると聞いたことがある。ネット情報では、同じ東北でも福島では作ることはないという。関西地方の出の私の両親は、納豆は食べるものの、納豆汁は口にしたことはないか、好みではないらしい。現に私は供されたことがない。仙台に下宿して以降に初めて口にした。その時は納豆粒がかなり残っていたので、つぶつぶをまったく残さずに擂粉木でつぶす妻の作り方とは違っていた。
 具材も、納豆のつぶし方も、また供される場面も地域によって差があるのかもしれない。


年賀状、ほぼ終了

2017年12月26日 11時48分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年賀はがきの作成を再開。9割方終了。残りは親族の分。今年もひとこと欄は30数とおりの文章を作った。1枚だけのものもむろんある。顔を思い浮かべながら、受け取った方にうまく伝わることを祈りながら、楽しんで作っている。明日の午前中には投函できそうである。

 本日はこれから妻と買い物のため横浜駅に同行。帰りは所用があり私は別行動である。荷物運びは免除願った。

セキセイインコの存在

2017年12月25日 23時41分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 セキセイインコが息を引き取るという事態があり、年賀状の作成は本日はストップ。明日昼間は出かける予定があるので、朝と夜に作成時間を確保することにした。何とか明後日27日(水)の午後には投函できそうである。
 4年半はこのセキセイインコを軸に我が家の時間は回っていた。朝起きて籠に掛けた風呂敷を取って「おはよう」とあいさつするのが、妻の朝の最初の仕事。朝食前にベランダに出し、朝食後に餌やりと籠の掃除が私の役割。昼前に籠を部屋に取り込むのは妻の仕事。夕食前に籠の周りの掃除をして、風呂敷を掛けて暗くするのは私の仕事。いつの間にかこのような分担ができた。セキセイインコは人の顔色を実によく読む。私や妻の役割分担、期限のいい、悪いなど敏感に反応する。
 これまで飼った4羽に比べて短命だったので、次の鳥を飼う気持ちにはまだならない。暫くはまた二人だけの生活が続く。

セキセイインコが息を引き取った

2017年12月25日 23時25分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日飼っていたメスのセキセイインコが息を引き取った。ここ数週間はじっとしている時間が次第に多くなり、先週からはだいぶ弱ってきたようで、籠の中でほとんどじっと膨らんでいた。食欲は昨日まではあって、餌もかなり食べ、便通もあった。ときどき元気なそぶりも見せていた。本日になってさらに弱々しくなり、夕方には、歩いて20分位の処にある動物病院へ連れて行くことに決めていた。
 そうこうしているうちに止まり木の上で止まっているのが怪しくなり、妻が手に取ってあたためている間に二声ほど弱々しく「ギー」と鳴いて、そのまま目を開けなくなってしまった。
 昨年も一緒に買っていたオスのセキセイインコも弱々しくなり、ロウマクから血が出ていたのでぬぐってやろうとして妻が手に包むと突然「ギー」と二回鳴いて目を開けなくなってしまった。
 昨年も今年も妻の手に抱かれて亡くなったのがせめてもの救いかもしれない。もっと早く医者に連れて行くことも可能だったのが悔やまれる。しかし治療法があったかどうかはわからない。
 昨年のオスも、今年のメスもともに息を引き取った時は4歳から5歳になろうかという時期。よく言われるように10年近く生きる、ということからすると短命であった。それまで飼った4羽も8年から10年近く生きていたので、飼い方が悪かったとは思えない。
 本日息を引き取ったメスは、水道の蛇口から細く水を出しているときに水を浴びるのが大好きで、盛んにそれをせがまれた。水道の蛇口からの水でないと水浴びはしない。器に水を入れたのには近づきもしなかった。
 気が強く、一緒に飼っていたオスを寄せ付けもせず、そして人の指や耳たぶを思い切り噛む。一方で人がいないと餌は食べない。昼も夜も人が見えないと餌は食べない。帰宅したりするとあわてて餌を食べ始めるなど、それなりに寂しがり屋であった。
 妻はだいぶショックだったようで、本日はお通夜となった。明日の夜、歴代の5羽を埋めてあるベランダの下の地面に埋めてあげるつもりである。


「地べた」ということば

2017年12月25日 09時55分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の雨で路面がまだ濡れている。湿度が90%に近いと天気予報で述べていた。喉や鼻にはいいようだ。気持ちの上で穏やかな空気に包まれていると感じる。少しホッとしている。だが、これから北西の強い季節風が吹きはじめるらしい。

 一昨日テレビを見るともなく見ていたら、「スカイツリー、三丁目の夕日、下町、石田波郷」というコンセプトの番組の再放送をしていた。石田波郷の句と文章も紹介されていたので、見ていた。若い女性タレントの頓珍漢なコメントと喋りが半ば煩わしかったが、それでも楽しめた。しかしあの頓珍漢なコメントと喋りが台本にあるものならば、製作者のお惚けもなかなかのレベルであると、感心はしている。本日はあの頓珍漢の評価には触れないことにしよう。
 番組の中で地元のお年寄りが「当時は地べたがまだ舗装されていなかった」ということばが妙に頭に残った。1960年代、まだまだ未舗装の道路がたくさんあった。当時は道路も宅地の庭も、路地も公園内も境界はあいまいで、「地べた」として一体であった。
 自動車の交通量が極端に増え、道路の舗装と拡張が大きな社会的な要請になり、道路の舗装が進んでアスファルト化が進展。境界があいまいな地続きの「地べた」がアスファルトの構造物として「ひとり立ち」を始めた。人々の意識からは道路の舗装とともに「地べた」から道路は除外され始めたのではないか。そして川や水路も下水道として埋め立てられて舗装され、公園も「地べた」から芝生が植えられ、一部は舗装され始めた。それぞれが「公共物」として「地べた」から人間の意識として、独立し、生活からは疎外され始めた。
 今では「地べた」という概念そのものが希薄になってしまった。なにしろ私道も路地も、個人の車庫も庭も舗装され、境界がきちんと定まり、境界は所有権の範囲の確定とともに厳格になっている。最近では戸建ての家からも庭すらなくなり、「地べた」はほとんどない。土はせいぜいプランターの中で生き延びている程度になってきた。
 時代が変わったし、道路の舗装が進み、境界が定まったことは悪くはない。しかしこの都市化が私たちの意識にこれほどの影響を与えていたとは思わなかった。


賀状を購入

2017年12月24日 23時03分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年賀状を購入するためにチケットショップを訪れたら、すでに売り切れの店が2店もあった。絵柄を印刷した年賀状はまだまだ在庫はあるようだが、無地のものが売り切れていた。結局4店目で1枚48円で購入。どうも本日から値崩れが始まったらしい。並んでいる人の話をそれとなく聞いていたら、明日あたりもう1円か2円安くなる可能性があるらしい。
 だが制作の都合上、明日では少し遅すぎるので、そのまま購入した。後ろの人の立ち話を聞くと、今年はあまり安くないという。
 といっても購入するのは130枚余りなので、あまり欲張っても仕方がない。400枚も500枚も購入するなら別だが‥。

 夜のウォーキングに出かけたら、雨に降られてしまった。家を出たとき妙に暖かい感じがして不安になったがそのまま歩き始めた。2500歩ほど歩いて一番遠くの折り返し地点で急に強く降り出し、慌てて速足で戻ってきた。

クリスマス・イヴ

2017年12月24日 20時58分44秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 夕食を横浜駅傍のレストランで食べた。横浜駅について余りの人の多さにビックリした。本日は日曜日だという認識はあったが、日曜日にしても人が多いと思っていた。妻に本日は12月24日、クリスマスイヴと聞いてようやく混雑の理由がわかった。地下街のあちこちでケーキを売っていた理由も理解した。残っているクリスマスケーキはひとつ4000円前後のものが多かったようだが、実際に売れているものはどのくらいの値段だったのだろうか。

★行きずりに聖樹の星を裏返す      三好潤子
★イヴの灯のとどかぬ闇に生きるもの   大西やすし
★襟を立てイヴの裏道足早に       庄司 猛


年賀状の作成を始める

2017年12月24日 13時35分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人10余名に出す封書がようやくできた。予定では金曜日くらいまでには投函したいと思っていたが、遅くなってしまった。本日の夜から年賀状の準備。27日前にはこちらは投函したいと考えているが果たしてできるであろうか。賀状は本日購入予定。
 この歳になると、生存確認のための年賀状という意味合いが強くなる。パソコンが出来て効率的になった。共通する部分以外の、「ひとこと」も相手によってすべて変えている。この部分も、あとからパソコンで追加印刷にしている。パソコンの賀状は心が籠っていない、といわれるが、効率的になったといってもそれなりに手間はかかっており、気持ちは込めている。

湯冷め

2017年12月23日 23時35分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩、柚子湯に入ったのち、再びパソコンの前でグズグスとしていたら、クシャミを3つほど。湯冷めしたかな、とあわてて部屋にある小さなガスストーブを点けて部屋を暖めた。柚子湯に入って湯冷めでは情けない。
 湯冷め、という季語がある。冬の季語である。体か暖まるまで歳時記をめくってみた。

★つぎつぎに星座のそろふ湯冷めかな     福田甲子雄
★湯冷めして急に何かを思ひつく       加倉井秋を
★探しもの始めて湯冷め忘れをり       神島倫子


 第1句、銭湯の帰りだろうか。温泉地での夜の散歩だろうか。冬の星空は星座が美しい。一等星をたどって行くだけでも時間の経つのも忘れる。
 第2句、第3句、風呂から出てからふと何かを思いついてそちらに熱中してしまうこと、よくあることである。学生時代は宿題を思い出したこともある。現役で仕事をしている時もふと心に引っ掛る何かを思い出して布団に入らずにいろいろ思いを巡らしているうちに、寒さを覚えたこともある。今では、供しなくてはいけなかったことを思い出してオロオロするようになった。いくつになっても変わらないものである。

福島泰樹の短歌で思いだしたこと

2017年12月23日 15時20分57秒 | 読書
 福島泰樹の歌集「バリケード・一九六六年二月」から

樽見、君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火群(ほむら)ゆらぐを

 福島泰樹は「一首の風景」で以下のように記している。

〈樽見、君はいまどうしているのだ。六六年二月、ぼくたちがかかげた狼煙(のろし)は、日本のカルチェ・ラタンの先がけとして、今日へと問いつづけているのではないのか、「七〇年国会で会おう」とは、活動家、樽見が最後にくれた消息不明の手紙だ〉。これは、級友樽見への問いかけではじまる、第一歌集『バリケード・一九六六年二月』の巻頭に掲げた一首だ。一月、全額バリケード突入から、六月、バリケードの自主撤去をもって終わる、学生運動史上類例のなかった早大学費・学館闘争を、短歌をもって私は劇詩的に再構築してみたのだった。
〈電話ボックスに樽見立ちしが茫々と煙る驟雨に見えなくなりぬ〉。以来二十四年の冬が過ぎ、樽見の消息は不明のままだ。そして、〈血の滴る童貞歌集〉とは、塚本邦雄がバリケードの出版記念会に贈ってくれたメッセージの一節である。


 私は以下の作品も好きである。

もはやクラスを恃(たの)まぬゆえのわが無援 笛噛む唇(くち)のやけに清(すが)しき

 状況はひび先鋭化していった。卒業をまぢかにひかえた同期生のおおくは戦列を離脱していった。もう、クラスに呼びかけ、討論をし、動員に時間を割くこともないのだ。やっとひとりになったのだ。雨の隊列を指揮しながらそんなことを想った。
 岸上よ、感傷に別れを告げたところに、いま俺の歌はある、六〇年安保以降の戦いはある。十二月の雨に全身を濡らしながら、五年前の暮、〈恋と革命…〉と、なかば自嘲的に書き散らかし、雨の朝を二十一歳で死んでいった学生歌人岸上大作を想った。彼がのこしていった絶唱〈血と雨にワイシャツ濡れている無援 ひとりへの愛うつくしくする〉の一首を想った。そうだ、歌は読み継がれ、歌い継がれていけばいいのだ。


 そしてつぎのような歌へとつづく。

ここよりは先へいけないぼくのため左折してゆけ省線電車
二日酔いの無念極まるぼくのためもって電車よ まじめに走れ
カタロニア賛歌レーニン選集も売りにしコーヒー飲みたければ
この川の流れをゆきしかばセーヌへ! 投げしビラ漕ぎゆかば
吾(わ)を賭して奪取せしものなにもなし去りゆかん暁(あけ)のカルチェ・ラタン
流血に汚れしシャツを脱がんとも掌はひとくれの塩のごとしよ


 私の持つ体内リズムでは、「ここよりは‥」と「二日酔いの‥」「吾をとして‥」くらいしか共鳴しないのだが、歌われている内容からはどれもが共振する。詩や歌などの韻律のあるものはリズムと歌われた意味との二重のフィルターがある。これが韻律のある詩や歌の醍醐味でもある。
 歌われている内容は、体験が無ければほとんどが伝わらなくなる。おそらく1970年代の学生運動体験者が観賞しなくなれば、その世界は言葉すら伝わらなくなるのかもしれない。あるいはまた別のところから政治的な共同体験が生まれるのかもしれないが、それは私たちには想定もできない。
 1960年と1960年代後半、そして1970年代の共同の体験は大きく位相を異にする。ここでも岸上大作と福島泰樹の共同体験は根本的に位相が違っている。1970年代の私たちとも違う。しかし2017年の今から見ればその位相の違いは、当時の体験者にしかわからないものとなってしまっている。
 この三世代の違いは、本当は決定的なものである。人生へのかかわりも、見つめる都市の風景も、人間とのかかわりの在り方も‥。だが、それらはことごとく遠い彼方の風景となってしまったといえよう。

「横浜美術館コレクション展2017年第2期」

2017年12月23日 12時12分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜美術館で開催されている「横浜美術館コレクション展2017年度第2期」を見てきた。
 すでに目にしている作品もあるが、毎回違った切り口でそれらを展示している。今回は「全部見せます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」と題して、11の枠組みと「イサム・ノグチと近代彫刻」とを設定している。
 今回は同時に石内都の「絶唱、横須賀ストーリー」のなかから55点も写真展示室で展示されている。当日は時間切れで「イサム・ノグチと近代彫刻」は後日見ることにした。
 ホームページの解説では以下のようにコンセプトが語られている。

 横浜美術館では、開館前の1983年からシュルレアリスムの作品を収集してきました。
マグリット、デルヴォー、ダリ、マン・レイ、エルンスト、アルプ、ミロ、マッソンといった代表的作家についてはそれぞれ複数点収蔵され、油彩画だけでなく、コラージュや彫刻、版画、写真など、さまざまなジャンルに挑戦した彼らの多彩な創作活動を見ることができます。
 チリ出身のマッタ、カナリヤ諸島出身のドミンゲス、キューバ出身のラムや、イギリスのアームストロングなど、国籍や民族を超えたシュルレアリスムのひろがりを代表する作品もあります。
 写真でも、マン・レイのほかに、ベルメール、シュティルスキーやヴォルスなど、少しマニアックな作品を含む充実したコレクションがあります。
 今回のコレクション展は、3つの展示室をフルに使って、当館所蔵のシュルレアリスムに関わった作家の作品を可能な限りまとめてご覧いただく、開館以来はじめてのコンセプトです。
 また、写真展示室では、同時開催の企画展「石内 都 肌理(きめ)と写真」に関連して、石内の初期の代表作「絶唱、横須賀ストーリー」を全55点展示します。


 今回は全体を見て回ったが、これだけの作品群全体ではさすがに食傷気味。後半は息切れで印象に残したくとも残らなくなってしまった。これから会期末の3月4日まで何回かに分けて見て回ることにした。

   

 今回は3番目のコーナー「その風景は、見つかることもある」でジョアン・ミロの「岸壁の軌跡Ⅰ」から「Ⅵ」までの6点が印象に残った作品。左が「Ⅰ」、右が「Ⅵ」。6点並べてみるのが私は気に入っている。この作品は主に黒と赤と緑、青の4色からなる。いつ見ても「どこか懐かしい風景」である。ある人は夢の中で時々見る風景、という。ある人は幼児の頃どこかで見た、という。ある人は胎児のときの記憶、ともいう。中心の無い構図であるが、色と形の配置のバランスがとても心地よい。
 マン・レイやポール・デルヴォーの作品も多数。さらに瑛九、川口軌外などなど、惹かれた作品も多かった。



 石内都「絶唱!横須賀ストーリー」の#5「野比海岸」は初めてこのシリーズを見て印象に残った作品。荒い粒子に画面の半分以上を占める旺盛な草が対角線よりもはみ出すように風にざわついて印象的。このような大胆な構図は実に新鮮で、そして迫力がある。風の力とざわつく音、強い陽射しを感じる。