Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

14℃超えの横浜

2018年02月24日 16時17分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 退職者会ニュースの原稿、やっとA3の裏表の約80%終了。今晩と明日でほぼ出来上がるところまでできた。ただし原稿がひとつまだ届いていない。
 朝から昼食休憩をのぞいて休みなしでパソコンと睨めっこしてしまった。気がついたら一時間作業して15分の休みということも忘れてしまった。情けない。また目がおかしくなってしまう。

 気分転換と目の保養のためにこれから買い物がてらウォーキングへ。どこを歩くか、外は明るい陽射しで風もないようである。14時で14.6℃とかなり暖かい。汗をかきそうな気温である。こんな日に家に閉じこもっていたとは、やむを得ないとはいえもったいなかった。

高齢者の居場所

2018年02月24日 09時06分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の月は上限の半月、夜のウォーキングでは往路がちょうど月を真ん前にしたコース。地平線に近くになっているので、屋並みの屋根の少しばかり上に見えて美しかった。
 だが、どうしても2つの月に見えるので、じっと見ているととても目が疲れる。ウォーキングしながら月を見たり、星を見たりするのは危険なので、途中の公園などで見ることが多い。

 23時を過ぎても住宅街の中の公園には意外と高齢者数人がベンチで会話をしていることが多い。むかしは若者がたむろして問題になったが、最近は高齢者の会話が煩いという苦情が多いという。
 高齢化社会というが、高齢者のいる場所は一戸建ての住宅にもなくなっているのだろうか。


夜のウォーキングタイム

2018年02月23日 22時09分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 家を出るのが予定より20分ほど遅れて、結局一駅分は電車を利用した。帰途も一駅分歩くのを省略。1万4000歩ほどのウォーキングとなった。酔い覚めには有効であった。これから夜のウォーキングでその分を歩く予定。

 久しぶりの立食パーティー形式の食事、動物性たんぱく質の多い食事、体にはよくないことはわかっているが、つい食べ過ぎてしまう。会場の写真は40枚ほど撮影したが、何枚利用できるか。残念ながら整理、取捨選択するだけで時間がかかってしまう。

 本日の最高気温は16時前の8.6℃と予想よりも1.5℃ほどひくく、本日も寒い一日であった。風が弱い分、幾分かは過ごしやすく感じたかも知れない。明日の予想は13℃、暖かく感じると嬉しいのだが‥。


これより「出勤」

2018年02月23日 16時27分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後は退職者会ニュースの原稿作りで終了。これから夕食の支度をできるところまでしてから、退職者会の取組みで関内駅まで。帰りは夜遅くなる見込み。妻の熱はとりあえず上がっていないので、私が出かけても問題はないと希望的に判断。
 日が時々さしているが先ほど外に出たらとても寒かった。予想では最高気温は10℃となっていたが、いまところ8.4℃となっている。
 関内駅まで往復で約1萬8千歩ほどであろうか。時間があれば歩いてみたいのだが、遅刻するわけにもいかない。途中から地下鉄あるいはJR利用になるのだろうか。

こじれるインフルエンザ

2018年02月23日 11時57分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 インフルエンザに振り回されてなかなかいつもの日常のペースが戻ってこない。妻のインフルエンザもなかなかしつこい。解熱剤を服用しないと熱が下がらない。咳も大分出ている。
 昼はうどんのリクエスト。何を具材にするか、考えているうちに正午になってしまった。これから冷蔵庫をのぞいて考えることにした。

 本日は夜から退職者会の取組みがあり、カメラを持って行かなくてはいけない。夕食の献立も何がいいか、悩みどころ。

なけなしの髪

2018年02月22日 22時35分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 金子兜太の俳句から。

★北風(きた)をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす     金子兜太

 この句、なかなか諧謔に富んで面白いと思った。寒い乾燥した北風の吹く季節、作者もすでに髪の毛は少ない。しかし若くはないとはいえ活力旺盛な風貌の作者が、社会の荒野をズンズンと胸を張って進んでいく。金子兜太らしいエネルギッシュな句の境地ではないだろうか。私は冬の荒野を歩く気概はあるが、社会のなかでは軟弱である。金子兜太氏のように傍からみれば自信に満ちて堂々としている姿を見ると圧倒されてしまう。私の場合は「なけなしの髪」とともに自分の思考など富んで行ってしまう。
 ひょっとしたら金子兜太氏も地震に満ちた風貌の下には私のように弱々しい自己が隠れていたのではないか。そう思えば、私にも少しは自信も湧いてくる。

雨はあがったが寒い1日

2018年02月22日 20時13分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜の最高気温は6.3℃であったらしい。しかもこの気温を記録したのは午前0時11分と深夜であるから、日中はそれ以下であったことになる。
 本日は一日中部屋に籠っていた。16時半過ぎに妻の代わりに買い物に出かけ、遠回りをして90分ほど歩いて帰宅した。歩き始めはコートの襟を立てても寒いくらいだったが、スーパーに着いた頃には汗をかいていた。雨はあがっていた。

 本日の夕食は赤魚の粕漬を焼き、がんもどきとサツマイモを煮、昨日購入したサラダの残りをバルサミコ酢をかけて食べた。いたってシンプル。しかし昨日コンビニで300円以下で購入したサラダだが、量がとても多い。昨日・本日と2回食べたがまだ一回分は残っている。とてもお買い得だったような気がした。もっとも野菜を買ってきて自分で包丁を入れれば、もっと安いのはわかっているが‥。
 解熱剤の効果が無くなるとまだ38℃ちかい熱が出る妻には申し訳ないが、夕食を食べながらお酒を1合飲んだ。


追悼 金子兜太

2018年02月22日 12時48分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 金子兜太氏が亡くなった。NHKの報道では、
☆戦後を代表する俳人の1人で、戦争などの社会問題を題材に伝統的な形式にとらわれない自由な俳句の世界を築いた金子兜太さんが、20日夜、入院先の病院で亡くなりました。98歳でした。
金子さんは大正8年、埼玉県に生まれ、旧制高校時代に先輩に誘われて句会に参加したのをきっかけに俳句を始め、大学在学中に加藤楸邨が主宰する俳句雑誌「寒雷」に参加して本格的な創作活動を始めました。
戦争などの社会問題を題材に、季語や花鳥諷詠(かちょうふうえい)といった形式にとらわれない自由な作風から「前衛俳句の旗手」と言われ、海軍の中尉として赴任したミクロネシアのトラック島から帰る船の甲板の上で、戦死した同僚を思って詠んだ「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」は代表作の1つとされています。
復員後、日本銀行に勤めるかたわら俳句を続け、戦争の悲惨さや人間の美しさを詠んだ作品は、戦後の復興のなか幅広い支持を集めました。
昭和37年に俳句雑誌「海程」を創刊して後継者を育てるとともに、昭和58年から17年にわたって現代俳句協会の会長を務め、テレビでも「NHK俳壇」や「俳句王国」などの番組に出演して俳句の普及に貢献しました。
平成15年に日本芸術院賞を受賞したほか、平成20年には文化功労者に選ばれ、戦後を代表する俳人の1人と評価されています。
金子さんは、平成23年に胆管がんの手術を受けたあとも各地で講演などを続けてきましたが、家族によりますと、今月6日に誤えん性肺炎のため入院し、20日午後11時半すぎに入院先の病院で亡くなったということです。
・句に込めた平和と反戦への思い
金子兜太さんは、前衛俳句の旗手として98歳まで俳句を作り続け、生涯を通じて平和への思いを17文字の世界に表現し続けてきました。
「銀行員等 朝より螢光す 烏賊(いか)のごとく」。
金子さんの代表作の1つとされるこの句は、勤め先の銀行の朝の光景を詠んだもので、それぞれの机の蛍光灯の下で仕事を始める行員たちの様子を、水中に光るほたるいかに例えました。
近代俳句の世界では、自然のありようをそのままに詠む「花鳥諷詠」の考え方が理想とされていましたが、金子さんはこうした伝統に異を唱え、人間や社会の姿を詠む自由な表現で戦後の俳句界に一石を投じました。
そうした金子さんが生涯を通じて表現し続けたのが、平和と反戦への思いでした。原点となったのは20代のときの戦争体験です。
海軍中尉として赴任したミクロネシアのトラック島では、米軍の爆撃や食糧不足による餓死で多くの戦友が非業の死を遂げ、戦争の残酷さとむなしさを目の当たりにしました。
敗戦後、1年3か月の捕虜生活を終えた金子さんは、日本への引き揚げ船の甲板の上で遠ざかる島に眠る死者たちに思いをはせながら、「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」という句を詠んでいます。
また、戦争を生きながらえた人間として、これから先、平和への思いを伝えていかなければならないという覚悟を込め「海に青雲生き死に言わず生きんとのみ」と詠みました。
復員してからは、各地で目にした情景を自身の戦争体験に重ねた句を発表し続けます。神戸の港では、魚を捕るために海に急降下していくかもめの姿を、撃墜され海に落ちていくゼロ戦の姿に重ね合わせ、「朝はじまる海へ突込む鴎の死」と詠みました。
また、長崎で坂道を下ってくるマラソンの一団を目にした時には、爆心地に入ったとたんに、ランナーの体が折れ曲がり焼けただれて崩れ落ちる映像が頭に浮かび、「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」と詠みました。そして、広島では、「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む」と詠んでいます。
こうした平和と反戦への思いは生涯変わらず、戦後70年を迎えた平成27年からは、作家のいとうせいこうさんとともに新聞の紙面で平和への思いをうたった句を募る「平和の俳句」の選者を3年間務めました。
また、同じく平成27年には、安全保障関連法案に反対する集会の場で掲げられた「アベ政治を許さない」という文字を揮ごうしています。

となっている。

 朝日新聞は以下のように報道している。
☆埼玉県生まれ。旧制水戸高校時代に作句を始め、「寒雷(かんらい)」主宰の加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。東京帝国大経済学部を卒業後、日本銀行に入行。海軍士官として南洋トラック島で終戦を迎え、後に復職した。戦後は社会的な題材を詠む「社会性俳句」に取り組み、前衛俳句運動の中心となるなど、戦後の俳句運動の旗振り役を務めた。季語の重要性は認めつつ、季語のない無季の句も積極的に詠み、時に有季定型の伝統派と激しい論戦を繰り広げた。俳句をより多くの人に開かれたものにし、「お~いお茶 新俳句大賞」など軽くカジュアルな新潮流も楽しんだ。小林一茶や種田山頭火の研究でも知られ、再評価の機運を盛り上げた。
 代表句に、「銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく」「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」など。「おおかみに螢が一つ付いていた」など、故郷・秩父の骨太な風土に根ざした句も多い。62年に同人誌「海程」を創刊し、後に主宰に。高齢を理由に2018年9月での終刊を決めていた。
 反戦の思いから同時代への発言を続け、晩年は故郷や平和への思いを多くの句に託した。安全保障関連法案への反対が広がった15年には、「アベ政治を許さない」を揮毫(きごう)した。


 金子兜太氏の句はなかなか難しい。紡ぎあげられる言葉は連想ゲームのようにはすぐに読み手には合点がいかない。「なんでこの言葉やモノが出てくるの?」という疑問が出てくる。分からないのでそのまま放置してしまう句もたくさんあった。評者からひとことアドバイスを受けてから「なるほど」という句が多い。果たしてそれが俳句の王道か、という疑問も寄せられる。一方で読者の言葉のイメージの幅を広げてくれたということもある。危うい綱渡りのような言葉の世界を図太く闊歩したという感じがする。
 不思議と、取り合わされるびっくりするような言葉は、自然の景からというよりも動植物や人間である。あるいはそれらに喚起されたイメージである。そこに着目すると金子兜太氏の句に嵌ってしまうらしい。
 時々は金子兜太氏の俳句と格闘してみたい気もするが、まだまだ理解しきれていないという思いも同時に湧いてくる。
 以下、ネットでいくつかの句を集めてみた。

★海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ
★頭痛の心痛の腰痛のコスモス
★霧に白鳥白鳥に霧というべきか
★麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人
★大頭の黒蟻西行の野糞
★れんぎょうに巨鯨の影の月日かな
★廃墟という空き地に出ればみな和らぐ
★鮎食うて旅の終わりの日向ある
★夏の山国母老いてわれを与太(よた)と言う
★富士二日見えず遠流の富士おもう
★遠い日向を妻が横切りわれ眠る
★馬といて炭馬のこと語るもよし
★激論をつくし街ゆきオートバイと化す太
★土手に横一線の径ことばの野
★北風(きた)をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす
★梅咲いて庭中に青鮫が来ている
★曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
★彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン
★人体冷えて東北白い花盛り
★霧の村石を投(ほう)らば父母散らん
★暗黒や関東平野に火事一つ
★おおかみに蛍が一つ付いていた
★夏の山国母いてわれを与太という
★水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る
★定住漂泊冬の陽熱き握り飯
★朝はじまる海へ突込む鴎の死
★銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく



雨水

2018年02月21日 23時40分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 二十四節気の雨水であった。雨水は、降る雪が雨に、積った雪や張った氷が水になる季節、という説明がある。歳時記で「雨水」の項を見ても私から見て素敵な句と感じるものがない。項目だけはあっても例句が掲載されていない歳時記もある。
 多分現代の人にとっては、あまり身近で切実なことばではなくなっているようだ。といっても二十四節気全体でみると、啓蟄や大雪などはたくさん句がひいてある。二十四節気でも現代の人にとって身近な季節感のある節気とそうでない節気があるという事なのかもしれない。
 そんな中で、

★骨の音ためしてをりぬ雨水の日     鳥居おさむ

という句を見つけた。「骨の音」というのが何を指しているのだろうか。断定できないのがもどかしいが、首や指の関節をポキポキ鳴らすことを言うのであろうか。私のようにポキポキ鳴らすのが癖になっていると、なるほどと思うこともある。あの音は関節包のなかの空気の音と最近言われている。だが、一昔前はいろいろな説がありわからなかったと聞く。さてあの音、他人が鳴らすと聞きたくない音であるが、本人にとってはなんとも言えず心地よい時がある。そして湿気や気温や、さらに気分で聞こえ方が違う。この句の作者は雨水という節気を迎えて、これまでとは違った湿気と気温をなんとなく嗅ぎ分けたのではないか。そして癖となっている指の関節を鳴らす音にもどことなく滑らかな、暖かみを感じたのかもしれない。

明日からは日常にもどる予定

2018年02月21日 19時49分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は職場の先輩二人と楽しい時間を過ごさせてもらった。13時に待ち合わせて、16時まで3時間、ホッピーを2本と中身を4杯。ツマミは刺身の盛り合わせ。思ったよりも安く済んだ。退職した人間には、この程度の値段でないと外で飲むことは出来ない。
 帰りにサラダと野菜の煮付けを購入して歩いて帰宅。薬が効いているのであろう、妻は頭痛はするものの熱はあがらず、肉を焼いてくれていた。私は家に着いた途端に酔いがまわってテーブルの前でボーっとしていた。歩いて帰宅した割には酔いは醒めなかった。後片付けは私の仕事としてこなしたが、前段は役に立たない夫を演じてしまった。明日以降回復に向かいそうな気配がしている。

 目の調子は悪くない。眼の奥にわだかまるような疲労感などはなくなった。インフルエンザの症状のうち、最後まで残っていた鼻の違和感が一昨日からは感じなくなった。明日からは、熊谷守一展の感想のその2と、読書とそして退職者会のホームページの更新、団地の管理組合の業務を手掛けたいものである。


インフルエンザB型

2018年02月21日 11時33分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻の症状はインフルエンザB型との診断。インフルエンザ菌の潜伏期間は2~3日らしく、私のものがうつったのではないと医師に言われたらしい。「夫婦で責め合わないように親切に言ってくれたみたいだよ」とは妻の言。ということは買い物に出たときにうつされたようだ。
 タミフルを処方された。私が先々週処方された解熱剤が妻にはよく効いているようで、熱は平熱に近い。思いのほか元気である。

 病院は、私がかかった時と同じ9時半ころに訪れたのだが、待合室はいっぱいだった。ようやく11時を大きくまわって帰宅。昼食をつくるゆとりはないので、コンビニで少々高価な洋風と中華風のスープ各1種を購入。ごはんの代わりにリクエストのお餅を焼くことにした。

 私は午後出かけるが、特に支障はないようだ。

風邪とインフルエンザは違うのだが‥

2018年02月20日 22時18分53秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日の朝は妻を連れて近くの内科へ。昼からは友人と横浜駅で会う約束をしている。たぶん昼食は作っておくので、ひとりにしても大丈夫だと思うが‥。
 夕方には帰宅するが、夕食を作っている余裕はないので、何か総菜を購入して手早く作れるものを考えるしかない。食べやすく栄養価の高いものを見繕わなくてはいけない。横浜駅の地下街が本日一斉休業で助かったのかもしれない。明日が休みならば、友人と会ったのち遠回りをしてスーパーの総菜ないし弁当を探さなくてはいけなかった。出来合いの総菜は味が私には濃いと感じる。甘みも強すぎる。自分好みというか、妻の味付けに近いものが無いので、総菜を利用した食事はかえって手間取る。難しい。多少時間をかけても最初から作るのが一番いいのだが‥。

★風邪心地部屋の四隅の遠さかな     遠山陽子
★風邪の眼に解きたる帯がわだかまる   橋本多佳子


 第1句、何もするにもしんどい、発熱していればなおさら。そして何でもないことが気になり、寝ていられない気持ちになってくる。不思議である。
 第2句、風邪で着替えるのももどかしく布団に入ったはいいが、放置してしまった着物、それも仕舞わないとだらしなく思える長い帯がどうしても気に障る。しかし体は動かない。何か気持ちの上でわだかまる何かがあるのだろう。そのスッキリとしない気分がますます放置された帯への気分を苛立たせる。捉えようによっては、なかなか艶のある句ともいえる。風邪でたおれてもこだわるものへの強さが、着るものへのこだわりをとおして暗示させる。芯の強さもまた感じさせる。

妻もインフルエンザか?

2018年02月20日 20時13分33秒 | 読書
 お昼を過ぎてから遠回りをして横浜駅までウォーキング。遠くを見通せる尾根道を歩いた。足もとを見るよりも遠くの丹沢や富士を見るつもりで歩いたが、あまりよく見ることは出来なかった。私の眼のせいではなく気象条件のせいだと思う。
 横浜駅の繁華街についてみると西口は一斉休業中で、地下街はどの店も閉まっていた。有隣堂も地下の喫茶店も閉店。やむなく山の用品店で買うつもりもない登山靴やリュック、ばかーなどを見、近くの喫茶店と家電量販店でひととき。
 帰途も少し遠回りをした。
 帰宅して見ると妻が38℃熱でダウンをしていた。私の先々週のB型インフルエンザがうつったようだ。しかしうつるのに二週間もかかるだろうか。
 魚の煮付けは作ってくれていたので、ごはんを炊いて、みそ汁と昨晩のおかずの残りを暖めて急遽私が夕ご飯を作った。私が台所に立つのは妻は嫌いである。そうも言ってられないので、せめて熱が下がるまでは私が料理をするしかない。明日一番で病院に連れて行かなくてはいけなくなった。

目にも休養

2018年02月20日 10時32分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 目の調子は悪くはなさそうである。昨日の朝は目やにがたくさんついてびっくりしたが、本日はそんな状態ではなくなった。しかし用心したい。昨日は友人からパソコンは1時間やったら目を休めることを忘れないように強く言われた。
 本日は45分作業、30分休憩で、併せて4サイクルくらいでおしまいにすることにした。まずはこのブログをアップした後は、昨日の会議で決まった日程を透くジュール帳に打ち込む作業から。これは11時10分まで。
 休憩中の読書もなしにして、タオルで目を暖めることにした。

明日は休養日、ノンビリできそう

2018年02月19日 23時16分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日遅くまでパソコンと睨めっこしていたので、本日はこれにて就寝。明日の雪の予報は二日ほど前の天気予報でなくなっていた。この冬、3回目の雪掻きかと心配したがどうやら回避できた。これで明日はゆっくりと休養できる。眼を休めることができる。