Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

目の奥の痛み

2018年02月19日 21時46分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日中は目の調子は悪くなかった。一週間前の見え方で安心していた。ワンコインの飲み会終了後、駅までの道を歩いていたら突然左目の奥で「ズン」とした痛みがあり、思わず立ちどまってかがんでしまった。痛みはすぐになくなり、その後は特に異常は感じられなかった。しかしあまりに突然の痛みにしばらく傍線としていた。この痛みは何なのだろうか。
 40代の頃に、関内のあたりで歩いている昼間に同じような目の痛みを感じたことがある。その時は同時に目の表面に鋭い痛みも発生し、しばらく目を開けられなかった。その時は職場の近くの眼科で見てもらったが、特に異常はないと言われた。眼底も異常は無く、眼圧も問題ないと言われた。花粉などのアレルギーになったのかもしれない、といわれたもののその後は花粉症にもならず、結局そのまま放置をしてきた。
 今回は目の表面の痛みは感じなかった。痛みがこのまま再発しないようならば、緑内障の次の診断までそのまま放置をしてみることにした。

たくさんの目やに

2018年02月19日 09時15分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝、眠くてなかなか起きる気にならなかった。そのうえ目やに〈眼脂(がんし)というそうだ〉が多く、目が開けにくかった。こんなことはもう何十年もなかったような気がする。片目は閉じたまま洗面所でぬるま湯で軽く拭ってさっぱりとした。
 昨晩のようにものがぼやけたり、焦点が合わないような症状は消えて、それなりにスッキリと見えた。もっとも多少ぼやけることはここ10年ほどの症状で、それは改善はしていない。1週間前の見え方に戻った程度である。
 朝起きられなかったので、予定より30分ほど出かけるのが遅くなった。会議のレジュメの印刷作業などはもうひとりの方にいつも頼り切ってしまっている。本日も許してもらうしかない。

ようやく業務終了

2018年02月19日 01時21分17秒 | 読書
 ようやく予定していた業務終了。これだけの資料をつくるだけなのに、いつになく疲れた。出来た資料を打ち出したが、だいぶ誤字・変換違いがあるようだが、とても直す気力はない。訂正しながら説明するしかない。これから入浴&就寝。
 明日は9時過ぎに組合の会館で会議の準備から。3つほどの会議をこなして16時ころから居酒屋へ繰り出す予定。

作業効率はどんどん低下中

2018年02月18日 22時58分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜のウォーキング、空には薄く雲がかかっていた。その間からは星が見えるはずなのだが、本日の私の眼にはただの黒い空間のみがあるばかり。ウォーキング途中の小さな公園のベンチの傍で星を探したが、残念ながらひとつも見つけられなかった。全体にぼんやりとした視界でぼやけて見える。
 帰宅後もやはりパソコンのディスプレイの辞が滲んでいる。焦点が合っていない。二重に見えている。なんとなく字を眺めながらおおよその感覚で字を判読している。作業は予定したよりもずっと遅い。予定の4割程度の作業量に落ちているようだ。小さな字は読めないので、120%ほどの大きな字にしている。そのためにしょっちゅう印刷イメージ画面に切り替えて全体の具合を見ているので、余計に疲れる。そしてはかどらない。

 あと2時間ほどは作業をしないと終わらないようだ。この文章を書いているのもまた苦痛になってきた。

目の焦点があわないまま‥

2018年02月18日 20時43分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 作業がなかなか進まないうちに21時になってしまった。明日の会議のための資料、まだ出来上がらない。午後からずっとパソコンの画面に焦点が合わなくなっている。休憩をはさんでも回復しない。休憩が短すぎるのか、少し酷使しすぎたか。ウォーキングに出て気分転換を図りたい。星に焦点を合わせられるのだろうか‥。

★ガラス切る音を短く冬銀河     対馬康子
★北風に吹かれて星の散らばりぬ   今井杏太郎



目がショボショボ

2018年02月18日 13時23分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 目を使い過ぎているようだ。目がショボショボして、とても眠い。あまり無理をしてもいけないので、ひと休み。
 新聞の編集はA3の用紙1頁の4分の3を画面上に表示しているので、字が細かい。画面の大きい23インチワイドというディスプレイなので、A4ならばほぼ実寸大で全体を表示でき、通常の文書作成にはとても楽である。しかしA3となると無理がある。これ以上大きなディスプレイは金額的にも購入は無理。
 思い切って昼寝をするか、外歩きをするか。考えているうちにパソコンの前で寝てしまっていた。

本日の業務はようやく終了

2018年02月17日 23時21分46秒 | 読書
 本日の会議は22時までかかって終了。先ほど急いで夜のウォーキングに出かけてきた。約5000歩ほど。寒い上にかなり早く歩いたので、草臥れてしまった。最後は息が切れた。
 本日はこれにて活動は終了。あとはお風呂に入って就寝のみ。明日はまた朝からパソコンと睨めっこが続く。明後日の会議は朝から夕方まで組合の会館に缶詰である。16時くらいからの打ち上げを楽しみに、あわただしい時間を過ごすことになる。
 

紅梅が開いた

2018年02月17日 18時42分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 会議の資料作りとコピーは終了。19時からの会議まで待機中。
 風が強く、そして冷たい。強風・乾燥注意報が出ている。15時半に北の風が風速10mを超えているが、今はそれよりも強く吹いていると思われる。
 そして20日(火)は雪の予報となっている。ここ数日雪のマークは変わらずに表示されている。だんだんと雪が降るという事が、現実味を帯びてきているようだ。
 家の前では紅梅が先週から咲き始めた。しかしまだ暖かさ、春らしさを感じない。まだまだ冬の様相である。人とちがって梅の花は季節を知っているのである。

★紅梅や枝々は空奪ひあひ      鷹羽狩行
★近づけば向きあちこちや梅の花   三橋敏雄


 第1句、冬の青い空に紅梅の紅は実によく合う。アクセントは黄色の雄蕊である。  

枯すすき

2018年02月17日 11時21分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 会議の資料作りは何とか昼過ぎまでには仕上がりそうな具合になってきた。19時からの会議なので、18時半には資料のコピーを始める必要がある。夕食は17時半からとすると17時には資料作りのリミット。ホッとしたところで先ほどティータイム。ウーロン茶を飲みながら目をタオルで温めてみた。
 目を閉じて思い浮かべたのが枯れ芒の情景。河は多摩川だったか、鶴見川の上流だったか。

★枯きつて風のはげしき薄かな     杉風
★枯芒朝日夕日をよろこべり      秋山牧車


「スポーツ」なるものは苦手‥

2018年02月16日 23時32分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一日パソコンの前に座りっぱなしというのはよくないので、午後からは横浜駅まで歩いて往復、コーヒータイムではのんびりさせてもらった。パソコン前にずっといるので、眼がちかちかするのでテレビもあまり見ない。もっともテレビ番組そのものを普段からあまり見ない。しかもオリンピック放送ばかりのようである。オリンピックに関心を示さないのは、どうも非国民と云われるようで、居心地が悪い。喫茶店でボーっとしている時も、耳に入ってくる会話はオリンピックの話題ばかり。
 私はどうも偏屈である。皆がオリンピックに関心を集めれば集めるほど、オリンピックの話題からは遠ざかりたくなる。マスコミなどで取り上げられる話題では特に偏屈である。皆がAに注目すると、Aからは顔をそむけたくなる。ワイドショー的な盛り上がりには小学生の昔から背を向けてきた。

 私は小さい頃から人と競い合うということが嫌であった。幼稚園の頃から運動会や、かけっこなど争ったりすることがどうしても理解できなかった。走ること自体遅かったし、そもそもどうして一緒にかけている子を追い抜かなければいけないのか、わからなかった。どうして赤組に勝たなくてはいけないのか、不思議で理解できない世界のことのように感じた。
 球技をしてもなぜ人をだますようなトリックプレーをしなくてはいけないのか、ボールを奪い合うということすらも理解できなかった。クラスの友達も、先生も納得のいく答えや考えを示してくれる人はいなかった。

 走る、ということも一人で楽しんで走ることを自分で理解したのは30歳を過ぎてからである。ジョギングを覚えて、スポーツとは一人で、自分の記録を楽しみながら伸ばすことだと知った。伸ばす記録というのは、タイムであったり、距離であったり、さまざまである。人と争わなくとも記録は伸ばせる。自分の限界を少しずつ伸ばすこともできる。人と競り合わなければできない身体能力などと言うのはないはずである。
 本来はスポーツというのは孤独なものなのではないだろうか。孤独に耐えられることが、身体能力への大きなばねだと思う。私は集団競技というものは本来のスポーツとは異質なものだと信じている。
 私の理想から言えば、スポーツから「国家」や「企業」、「母校」、「クラス」、「地域団体」やら「金」や「宣伝」、「企業イメージ」というような集団性・共同規範などをはぎ取ってしまうべきだと思っている。残すのはあくまでも個人であるべきだ。

枯れ芭蕉と枯れ蓮

2018年02月16日 20時38分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先月友人と横浜市の港南区を流れる馬洗川の源頭を訪れるウォーキングを行った。途中の休憩施設をもうけた水辺には芭蕉が飢えられ、見事におおきく育っている。芭蕉の葉の枯具合というのは見事である。あのようになんら躊躇なく見事に枯れる、ということが羨ましく感じた。
 同時に芭蕉の葉のあの見事な枯れ具合は好みがいろいろあるようだ。みごとと云えば蓮の枯れた様もいい。芭蕉は芭蕉なりの見事さがある。蓮には蓮の見事さがある。

★芭蕉枯れて水面はネオン散らしけり    五島高資
★大芭蕉従容として枯れにけり       日野草城
★ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる     秋元不死男
★彼蓮のうごく時みてみなうごく      西東三鬼

霜柱

2018年02月16日 11時03分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日と明日、団地の管理組合の明日の会議のための資料作り。明後日も退職者会の資料作りで、都合3日間パソコンと睨めっこである。
 熊谷守一展の感想の2回目は、会議の資料作りの合間を縫って、出来れば明日までにはアップしたいとは思っているが、はたしてできるであろうか。

 今年は霜柱を多く見かける。寒さが厳しい日が続いているためである。まだ小学生の頃は道路の舗装がされていないところも多く、霜柱を踏んで歩くのが当たり前だったが、今では霜柱を踏んで歩くことはまずなくなった。建物の北側の草地にでも足を踏み入れない限りは霜柱の感触は味わうことが出来なくなった。
 靴の下でサクッサクッという音と感触は独特である。踏むと倒れて氷が露出し朝日にあたってきらめく。2段、3段になった塊を手にして太陽にかざすと宝物のように感じたものである。同時にごく近い箇所の霜柱でも、短く硬く、乗っても崩れないものもあれば、長くてすぐに崩れるものとがある。聴覚と触覚と視覚で楽しめるのが霜柱である。

★くづれゆく自負のもろさや霜柱     平賀扶人
★霜柱踏んで朝の日散らしけり      池田寿江
★霜柱踏めば軍靴の音生まれ       田中矢須彦


 第1句、もろく崩れる霜柱ほど融けやすく、持ち上がったローム層の赤土や黒土などですぐに汚れてぐちゃぐちゃになる。無惨に崩れる自負ほど本人にとって厭わしく思われるものはない。自分のことであるのでなおさらである。傍からみれば、そんな自負など無い方がいい、と冷たく言ってしまいたいものなのだ。
 第3句、霜柱を踏んだときの小気味のいい音に、軍靴の音が重なる。これはとても悲しい体験である。初めは小気味のいい行進の音とともにあった軍靴の音、しかしそれは悲しい現実に転化するものでもあり、さらには国家そのものの破滅への音でもあった。心地よいものに惹かれてしまった悔恨を感じた。

「熊谷守一展」 感想その1

2018年02月15日 21時26分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 熊谷守一展は来月3月21日まで。行けるときに行っておきたいということで、妻と二人で出かけた。妻のお目当ては「猫」。
 会場の展示は3部構成。初めは「闇の守一:1900-10年代」。守一が20歳からほぼ40歳まで。20歳で東京美術学校に入学し、1910年にいったん故郷の岐阜県中津川にもどり材木運搬などの仕事をしたのち、1915年に画家として再上京するまで。いわゆる習作時代というのであろうか。裸婦像を中心に昏い色調の作品が並ぶ。解説では「感心を抱いたのは光と影」と記しているが、闇に融け込むような裸婦が執拗に描かれている。形はあまり判然とはしない。



 1913年の「馬」という作品は故郷での山仕事で乗っていた馬を描いた作品。たぶん実際よりも足が短く、胴が長く形は歪だ。しかしどこか惹かるものがあった。
 第2部は「守一を探す守一:1920-50年代」。40歳から70歳までの時期である。風景画や裸婦像が描かれるが、裸婦像は対象の形態からますます離れていき、色面と構図の要請に従う形態に変化していく。同時に不思議なことに私には抽象的な質感が増していくように感じた。形態が周囲に融け込むにしたがい、色彩の塊としての存在感が浮き出てくるように思われる。魂が浮かび上がるように思った。第1部の「轢死」の主題が第2部の時代にまで尾を引いているのであろう。
 1930年代後半から1940年代、戦争の時代を大きな転換点として画風の転換、確率がされていく。戦争がどのように画家に作用したかは展示だけではわからないが、この大きな変化は画家の内発的なエネルギーによるものなのか、戦争という外在的な刺激が作用したのかは、解らない。しかしこの時期に転換したことは確かだ。わたしから見て大きな転換点となったと思われた作品は次のとおり。

 画家が獲得する赤い輪郭線を用いた作品が1940年代後半以降一挙に開花していく。


「陽の死んだ日」(1928年)


「裸婦」(1930年)


「夜の裸」(1936年)


「式根島」(1939年)


「谷ヶ岳」(1940年)


「萬の像」(1950年)


 「陽の死んだ日」について解説では、「次男、陽は数え年4歳で急逝しました。熊谷は「陽がこの世に遺す何もないことを思って、陽の死顔を描き始めましたが、描いているうちに“絵”を描いている自分に気がつき、嫌になって止めました」と熊谷の言葉を引用している。しかし熊谷は後年、21歳で亡くなった長女萬の病中の像を描いている。「萬の像」(1950)を見ると“絵”として画家の眼をとおした作品に仕上がっていると思った。
 亡くなろうとする夫人を描いたモネを思い浮かべた。



   


熊谷守一展を訪れた

2018年02月15日 18時16分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 東京国立近代美術館、久しぶりである。東京駅から歩いた。本日は陽射しが暖かく、風もない。皇居の堀のまわりは柳が芽を膨らませ、垂れ下がる枝の先端で葉が開きかけているものもあった。椿が花芽を大きく膨らませていた。鴨や鴛鴦が泳ぎ回り、長閑な散歩を楽しみながら近代美術館にたどり着いた。
 熊谷守一展は、200展の作品と80点近い資料がならび、すべてまわるとさすがに疲れた。コレクション展をまわる気力はなくなってしまった。
 それほどの混雑ではなく、ゆっくりと見て回ることができた。
 帰りに毎日新聞社屋の1階でコーヒータイムでようやく一息。


本日の講座は「くらべて楽しむアート」の2回目

2018年02月15日 12時25分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中は「くらべて楽しむアート観賞」という講座の2回目「華やかでファッショナブルな時代「ロココと江戸・美人画」」。講師はいつものとおり中村宏美氏。
 服飾のことはとんとわからないのだが、引き込まれて聞いた。ファッションが庶民に広がる画期としての17世紀の捉え方・・・。新たに知ったこと、思いだしたことなどいろいろある。いつも新しい何かを教えてくれる講座である。

 お昼に講座が終わってすぐに、東京駅経由で東京国立近代美術館へ向かった。