Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日も夜の豪雨

2020年07月12日 22時49分47秒 | 天気と自然災害

 先ほど夜のウォーキングに出ようとしたら強い雨が降り出した。雷注意報が亡くなったばかりなので、もう降らないと思っていた矢先であった。神奈川県の中央部を西から東に50ミリを超える雨の区域が横切って行った。私の住むところも50ミリの雨の区域に一瞬だが覆われた。

 しかしレインアイよこはまがまだ点検中である。XRAINに頼るしかないが、5分のタイムラグがあり、リアルタイムとはいかない。この梅雨の時期、横浜市の災害対策の第一線の部所はどこもこのレインアイよこはまを画面に表示したまま、いろいろと対策を練っていた。
 河川の水位情報などはちゃんと稼働しているので、氾濫などの対応には支障はないと思われるが、しかしこの時期に「点検中」がずっと続くというのでは、苦言も呈したくなる。
 行政の担当部署だけでなく、多くの市民や企業などが活用していることを考えると、もっと移転にスムーズに対応してもらいたかった。 


洲干島についての展示

2020年07月12日 20時42分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 同じ建物の横浜都市発展記念館では、7月23日から「横浜市新市庁舎完成記念 近代横浜を掘る -洲干島から広がる都市のすがた-」が再開されるとの情報である。
 横浜市立歴史博物館で開催されているはずの企画展示「明治・大正ハマの街-新市庁舎建設地・洲干島遺跡-」を明後日以降見に行きたいと思っている。

 また本日は時間があまりなかったので入場しなかったけれども、新市庁舎の近くの神奈川連立博物館ではトピック展示の「二代歌川広重「諸国名所百景、第四弾」を見に行きたい。私は二代広重の作品を時々見ることがあるが、気に入っている。以前壱岐郷土館で初代と二代の同じ「壱岐志作」と題した作品を見て、気に入って二作ともポストカードを購入した。
 ともに優れた作品というわけではないと思うが、初代が雪の景色、二代が多分夏の景色と対照的。構図的には私は二代の方のデフォルメに惹かれたものの、色彩は単調だと思う。初代の雪の描き方は細かいものの類型的で、画一的である。

 天候次第だが、来週はこの三つの展示を楽しみにしたい。
 


横浜ユーラシア文化館

2020年07月12日 19時34分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 久しぶりに晴れあがった日曜日、横浜の日本大通りにある「横浜ユーラシア文化館」に行ってみた。特別展は3階の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館蔵品巡回特別展「しきしまの大和へ―アジア文華往来-」展。同時に2階の一部で関連展示「くらべてみよう!よこはまと大和を」が開催されている。
 手の消毒と体温測定の後にようやくチケット購入。65歳以上は200円。

 チラシにも掲載されている「船形埴輪」「金製垂飾付耳飾」「翡翠製合わせ勾玉」「銀象嵌三葉環頭太刀」が目当て。
 船形埴輪が刳り抜き船なのか構造船なのか、という議論があったが、私には構造線のように見える。そのようにも講座で教えてもらった記憶がある。
 金製の耳飾りは以前から実際に見たかったもの。想像よりも煌びやかに見えた。
 勾玉がこのよに二つが連なっているのは、当初製作途中のものと思い込んでいたが、単体で見る限り二つのつながりによる構成をはじめから意図していたもののように感じた。
 環頭太刀は石製のものを見た記憶があるが鉄製のものは初めて目にした。

  同時開催の「くらべてみよう!よこはまと大和を」展では、栄区の公田ジョウロ塚遺跡から出土した縄文中期の土偶(?)を見たが、これは土偶というのは無理がありそう。これは土偶ではなく「顔面把手」とあくまでも素人としての私は感じた。

   


雷ふたたび

2020年07月11日 22時39分55秒 | 天気と自然災害

 今しがた15分ほどウォーキングに出掛けようとしたら、雷鳴が聞こえ始めた。西の空が連続して光っている。
 私の家からは見えないが、この団地の西の端の見晴らしのいいところからは稲光が見えるかと思って出てみた。しかし途中から雨が降り始めて、断念。思ったよりも近くで、そして鮮明に光っていた。稲光そのものは見ることは出来なかったけれども、光った時の明るさが、近距離で発生していることを教えてくれている。
 XRAINで見ると、先ほどよりも強い50ミリ以上の雨の区域が、わたしの住んでいる地域に向って東に進んできている。かなり強い雨となりそうである。雷鳴も頻繁になっている。

 大雨・強風・雷・波浪注意報である。用心のためパソコンの電源を落とすことにした。
 


夏掛け

2020年07月11日 22時39分55秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★夏掛けのみづいろといふ自愛かな    能村登四郎
★夏掛のみづいろこころ清くあらむ    辻美奈子

 第1句、水色というのはとても清々しい色である。涼しさも呼ぶ。夏掛けの生地は水色、薄い緑など涼しさを呼ぶ色合いが多い。それがまた体にやさしくふわりとかけられると、安らぐものである。「みづいろといふ自愛」いい表現である。解説していくと柔らかさや愛おしさがどんどん薄れてしまう。このままで味わいたい。
 第2句、同じく水色の夏掛け。こちらもそんな水色の性質を詠んでいる。

 しかし以前に取り上げた「夏掛の男のごとく頼りなき  小林貴子」も好きな句であるが、対極にある句である。夏掛けを出して来るたびにこの対極を思い浮かべる。


雷鳴にビクビク

2020年07月11日 21時19分45秒 | 天気と自然災害

 15時過ぎから雷が鳴り始めた。雷鳴が次第に近づいてきた。しかし雨が降ることもなく、一時間ほどで静かになった。遠ざかるときは速いものである。
 昨日に続いてこのときも強い雨の区域は湾岸部を通り過ぎており、それがわずかに北に逸れるだけでひどい雨になったと思われる。このときも最大雨量は時間雨量に換算して50ミリくらいだった。
 雷が鳴っている間は、不安がつのる。遠くのにぶい低い音が次第に近づいて鋭い音に変化してくる。この緊張感が、不安を増大させる。実際に雷光まで伴うようになるといっそう不安になる。たいがいはこのときには雨が降り出し、そして気温も急激に下がる。
 「地震・雷・火事・親爺」といわれる。この四つを怖いもの順に並べるとすると、雷は三番目になり、「地震・火事・雷・親爺」になると私は思っている。なお、「親爺」は「山親爺」で熊のことと教わっている。しかし「地震・雷」が自然災害、「火事」は人災、「山親爺」は「自然災害」と分類することには抵抗感がある。

 本日は妻と二人で外食、といってもごく家の近くの中華料理店で安く食べた。ハイボールを2杯飲んで、すっかり酔ってしまった。


「美術の物語」 その3

2020年07月11日 17時44分49秒 | 読書

 午後は、明日のオンライン講座の教科書である「美術の物語」(ゴンブリッチ)の第3章「大いなる目覚め ギリシャ 前7~前5世紀」を読んで過ごした。
 重い本でもあり、支えていると午前中の作業の影響で左右の親指の筋肉が攣ってしまい、筋肉痛のメントールを縫ってごまかした。

「(ギリシャでは)人間によって作られた、人間のための建築だと、だれもが感じるだろう。ギリシャには、民族全体を隷従させるほどの、またそれを望むような、神のごとき支配者は現れなかった。」

「大切なのは、作者が古い定式に服従するのではなく、自分の目で見ようと決意したことだ。人体を表現する出来合いの公式など、もう問題ではなかった。」

「ギリシャの画家たちの画期的な大発見、それか短縮法の発見である。美術史上に途方もない出来事が起こった瞬間だ。紀元前500年の少し前、画家たちは歴史上はじめて、正面から見た人間の足を描こうとした。」

「彼(フェイディアス)の作った彫像は、それまで考えられていた神々の性格や意味を、一変させるだけの威厳を備えていた。ひとりの偉大な人間の姿をしていたのだ。女神の力は、威力にあるのでなく、その美しさにあった。そのとき人びとは、フェイディアスの美術作品が神についての新しい概念をギリシャ世界にもたらしたことを、感じ取っていたのである。」

「ギリシャ彫刻に特有の偉大さ、荘麗な静けさと力強さもまた、その古い規則に従うところから生まれていることがわかる。古い規則が、芸術家の自由をしばる障害物ではなくなっているのだ。人体の構造を示すことが大切だ、という古くからの考えが、いまは芸術家たちを前へとかりたてる力になっている。」

「規則に忠実であることと規則のなかで自由を見出すこと――この両者の微妙なバランスこそ、後世、ギリシャ美術がこんなにまで称賛されてきた理由だった。」

「当時のギリシャ人たちがもっと重要だと考えたのは、‥どんな姿勢の、どんな動きをする人体でも自由に表現できる、という新しい技術を使って、彼らは人物の内面を映し出そうとしたのだ。‥表現すべきは「魂の働き」であり、それには「感情が体の動きに及ぼす影響」を正確に観察しなければならない。それがソクラテスの考えだった。」

「ギリシャの芸術館たちは、人と人とのあいだに行き交う、言葉にならない感情や気分を伝える術を、十分に心得ていたのだった。」


久しぶりの作業の手伝い

2020年07月11日 14時30分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は日もてる時間もあり、団地内の芝刈り作業のお手伝い。私は機械を使わずに刈り取った草を熊手で集める作業に専念。10時から始まるのだが、本日は11時から12時半過ぎの終了時間まで参加。
 エンジン付きの芝刈り機は刈った草も自動で集めるのだが、起伏のある所や狭いところ、樹木や電柱の周囲は仮払い機と熊手がどうしても必要になる。集めて草をビニール袋に入れて運ぶのも力のいる作業である。
 久しぶりの熊手の作業、腕と指の筋肉がだるい。現役時代はもう少し長く作業が出来たと思うのだが、なんとも情けないことか。力もなくなり、持久力もなくなった。作業の足を引っ張らないようにしている。自信のある雪掻きもそろそろ怪しくなってきたかもしれない。

 午後は休憩・休養ということで、ボーっとしている。風が少し出て来た。


木星と土星が目立った

2020年07月10日 22時27分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど記事をアップしてから、近くの郵便局のポストまで郵便物を出すことになり、往復15分ほど歩いてきた。体調は回復したばかりなので、ゆっくり・のんびり歩いた。
 帰りがけに南の空を見たら、ちょうど木星と土星のところに雲の切れ目があり、二つだけがよく見えた。木星が異様に明るい。街灯に邪魔されながらときどき空を見ながら歩いた。
 木星と土星のあるあたりになると不思議なことに、南から流れてくる低い雲が切れてそこだけ穴が空いているかのようだ。
 だんだん南の方の空に雲が無くなってきたので、団地の建物の向う側に見える南の空にはさそり座のアンタレスは見えた可能性がある。そこまで確かめに行く気力はわかなかった。

 本日は「方丈記私記」や「百年戦争」は頭に入りそうもないので、断念。ベッドに横になりながら推理小説を少し読んで見た。以前購入してベッドの脇に放置していた、赤川次郎の三毛猫ホームズの一冊。埃が溜まっていた。50ページのあたりに栞か挟まっていたものの内容はまったく覚えていない。最初から読みなおした。
 一応栞の挟んであったところを超えてこんでいるが、とてもあと一時間程度では読み終えそうもない。作者には申し訳ないが、明日以降はまたしばらく放置してしまうことになりそう。
 三毛猫ホームズのシリーズ3冊ほど以外赤川次郎という作家の小説は知らない。人は凄惨に死んでしまうのが私の好みではないが、話のテンポと登場人物の掛け合いは悪くない。気分転換にいい。


体調が思わしくない一日

2020年07月10日 10時02分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はどうも体調が思わしくなかったので、午前中のブログをアップした直後にベッドに戻って、昼過ぎまでぐっすりと寝た。遅い昼食後、近くの私鉄の駅まで遠回りをして40分ほど往復で歩いてみたが、汗が噴き出て快調には歩けなかった。公園のベンチで休養したのち、帰宅すると汗が大量に出ていた。
 買い物で別行動の妻も汗びっしょりで帰宅していた。妻に言わせるとあまりの蒸し暑さに体がついていかなかったとのこと。
 私も、念のために梅干を嘗めてから、シャワーを浴びたら気分が回復した。ひょっとしたら寝ている間に水分が補給できずに、熱中症気味だった可能性もある。昨晩寝る前の水分補給が足りなかった可能性があることに気付いた。
 すくなくとも昼に起きた時点でシャワーを浴びていたら、さらに昼食時に水分補給を自覚的にしていたら、もう少し快調に歩くことが出来たかも知れない。昨晩も、今朝も気温は高くなかったが、湿度はかなり高かった。

 用心をして本日は早寝ということにしたい。

 


カラスはピョンピョン‥

2020年07月10日 10時02分52秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨晩は、猛烈な雨の区域が私の住んでいる区の湾岸部を通り過ぎたようだ。我が家の周りではそれほどの雨は降らなかった。強い雨の区域はごく狭い範囲だったようだが、多分風もひどかったと思われる。
 本日も今のところ私の住む地域の北側をかすめるように通過している。私のところは雨は降っていない。
 昨晩から今までの幸運が続けばありがたいが、そんなことはあり得そうもない。出かけるときは傘と防水靴は必携。
 太陽は厚い雲の向うで顔を出してくれないが、久しぶりに風もなく静かな時間である。

 昨年の秋くらいだったか、記載するのをわすれていたけれどもウォーキングの折り返し点の公園でお茶を飲んでいたら、保育園児のひとりがハトを見ながら「パパが、カラスさんはビョンピョンで、ハトさんはテクテクだよ」と引率の保育士に語りかけていた。保育士は「ハトさんかわいいね」とだけ答えていたが、私はこの子の言っている意味がすぐには飲み込めなかった。
 お茶の一服がおわり、しばらく歩いているうちにようやく気がついた。カラスは地上では両足で跳ねるようにして移動する。ハトは首を前後に動かしながら足は人間のように互い違いに動かして移動する。
 カラスとスズメ、そしてハトの歩き方は頭の片隅のどこかに追いやられてしまっていた。あらためて「なるほど」と感心した。
 この保育園児の父親はきっと観察力がある人なのかと想像した。小さな子どもに身近なことをじっくりと観察することを教えているようで、とても好感が持てる親に思えた。園児と保育士の会話のニュアンスからは保育士も、私と同様に、園児の話を理解しているようには思えなかった。
 想像をたくましくすると、この父親は始めから子どもに「カラスさんはビョンピョン、ハトさんはテクテク」と教えたとは思えなかった。カラスの歩き方を子どもに見せて、「ハトさんはどう歩くかな?」と、ハトの歩き方を観察するように宿題を与えたような気がする。
 子どもからハトの歩き方の監察結果を聞いたうえで、「カラスさんはピョンピョン、ハトさんはテクテク」と覚えやすいように教えたのではないだろうか。観察することへの動機づけに成功している。そして言葉遊びで覚えることもたくさんあるが、観察力を同時に植え付けることで、言葉遊び以上に実感を伴って覚えさせることが出来る。言葉遊びだけで知ったとしたら保育士に伝えただろうか。自分で観察して、多分父親に褒められた結果として、「ピョンピョン、テクテク」を覚えたのであろう。
 私はこのように子どもを教えることが出来たかというと、まったく自信はない。この子どもはとても幸せだと思った。


衝動買い

2020年07月09日 23時43分41秒 | 読書

 本日の衝動買い。衝動買いは避けなくてはいけないと決めていた。なにしろ「積読」本が棚から溢れ始めている。小遣いも切迫している。しかしつい手が伸びてしまった。

 「万葉集の起源」(遠藤耕太郎、中公新書)、「100分de名著 吉本隆明 共同幻想論」(先崎彰容、NHK出版)。合わせて1566円。予定外の出費。


「方丈記私記」その5

2020年07月09日 21時12分08秒 | 読書

 本日は「方丈記私記」(堀田善衛)の第7章「世にしたがへば、身くるし」を読み終えた。

「私は大空襲の期間中に、とくに1945年3月10日の東京大空襲のあとに、ああいう大災殃についての自分の考え、うけとり方のようなものが、感性の上のこととしてはついに長明流れのそれを出ないことを口惜しく思ったものであったが、そのことと、そういう人災、大災殃を招いた責任者を人民が処刑をする、あるいはリコールをする政治的自由、思想的自由のない長い長い歴史とは並び立つものであろうと思う。私は長明氏の心事を理解し、彼の身のそばに添ってみようととしてこれを書いているのだが、同時に私は長明の否定者でもありたいと思っているのである。」

 何もそんなに口ごもらずにストレートに表現した方がいいと私は思うと同時に、現代の重苦しい社会状況を考えると頷けなくはないような気もするのが悲しい。

 本日はさらに昨日打ち出した「江戸時代Ⅲ 錦絵の誕生から浮世絵版画の発展を中心に」( 28ページ)を読んで土曜日のオンライン講座の予習終了。


震度3と大雨・雷注意報

2020年07月09日 10時56分39秒 | 天気と自然災害

 早朝6時9分の地震は私の住んでいるところも震度3であった。
 最初の振動で目が覚めたようだ。はじめの振動が鋭かったのであろう。20秒ほどは揺れ続けたようだが、目が覚めた後はゆっくりとした振動でしかも弱かった。妻がすぐに寝室のテレビをつけた。
 緊急地震速報が発せられたらしく、テレビでは「強い揺れに気をつけて」のアナウンスから「揺れを感じました」に変ったところであった。揺れがおさまったらすぐに寝息を立てて寝てしまったとのこと。

 午前中は曇で午後から雨という予報。今のところ風も弱く、雨も降っていない。風と雲の流れは南南西から北北東へ。南と東の空は少しだけ明るい。しかし富士山や箱根が見える西の空は低い雲で、どんよりとして不気味で黒っぽく厚い。
 10時半ころに、大雨・雷注意報に切り替わった。

 午後は眼科の予定。 


「方丈記私記」その4

2020年07月08日 21時32分26秒 | 読書

 「方丈記私記」(堀田善衛)の第4章「古京すでに荒れて、新都はいまだ成らず」、第5章「風のけしきにつひにまけぬる」、第6章「あはれ無益の事かな」を読み終えた。

「空襲下にあってこの方丈記を読み耽っていると、戦時に生起することのほとんどすべてについて、思いあたることがあるようになって来る。空襲による生命の危険だけでなくて、物心両面の一大不自由などのことから、心底から戦争下にある日本、ひいては日本国自体が厭になって来たような瞬間には、まことに待ち構えていたかのようにして、“羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。”ということばが口の端を衝いて出て来るのであった。」(第4章)

「千載和歌集を、定家の父俊成が撰を続けていたことを記しておいた。‥洗練の極致を行こうとする観念と形而上の世界、“天の原おもへばかはるいろもなし秋こそ月のひかりなりけり”(定家「初学百首」)という、その月の下の現実世界では、連続大地震、兵乱、殺戮などのことが日もあえずに行われていた、そういん現実の一切の捨象を可能にしたものは、やはり私は朝廷一家というものの在り様と無関係ではないと思うものだ。朝廷一家の行う“政治”なるものが、怖るべき政治責任、結果責任などというものとまるで無関係なところにあるものとして在るからこそ、怖るべき現実世界の只中においてあのような形而上世界を現出させえたのだ、‥‥千載和歌集や、やや下って新古今和歌集などの、繊細さ、人工独立詩歌の世界、その形而上性などをフランスの象徴詩などとならべて、いやそれ以上のものとして人間が持ちえた最高のものの一つとして考えるものであるけれども、それを可能にした一つの要素が、当時における天皇制のあり方とどうしても関係がある‥と思う。」(第5章)

「鎌倉は、たしかに関東武士に発する新しい理念、京都にはまったくない機動性ゆたかな理念を生んだ。そこに新しい日本は、たしかに芽生えていた。けれども、同時に、その理念をうたたてるために払わなければならなかった犠牲もまた、あまりに多すぎた。そうしてその犠牲の多くは、極めて短期間のあるいだの、近親殺戮に類したものであった。幕府開設以来、公暁出家まで、二十五年に満たずして、鎌倉はすでに疑心より暗鬼の生ずる夢想、夢魔につかれたような状況になっていた。眼前の事実よりもいわゆる流言飛語の方が現実感においてまさっているという経験は、戦時末期において私たちの経験でもあった。鎌倉は、新たなる理念ではではなく、夢想、夢魔が日常となった場所となっていた。」(第5章)
 この「鎌倉」を1944年以降の敗戦にひた走る日本にたとえているが、戦後日本の反体制派の「内ゲバ」状況にもあてはめることが出来る。その周辺であったとしてもまったくそことは無縁ではないところにいた私自身もまた、この先験的な指摘に愕然とする。同時に体制派の政治状況もまた同質であったことも指摘しておきたい。飛躍しすぎるという指摘は当然あるが、しかし、敵に合わせて自らも変質することに自覚的でなければならなかった。誰もが無縁では無かったのである。

 「定家のようなひたむきな芸術至上主義者は、決して自賛自慢などしはしない。詩をして、その極限まで、行き止まりまで行かせることに定家は献身する。自嘲などもってのほかである。この道において帝王も問題にはならぬ。後鳥羽院御口伝なるものは、そういう定家が、時に「坊弱無人」と見え、「ゆゆしげ」であり、「ことはりも過ぎたりき」と同じく詩人であったこの帝王さえ呆れている様を伝えている。定家は断じて長明が一方において認めている、「心にいたく思ふ事になりぬれば、おのづから歌はよまるゝ也。歌よみならねば、ただおもふあまりに、おのづからいはれたりるにこそ」といった自然歌詠を認めない‥」(第6章)