Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

初夏の陽射し

2021年04月26日 12時36分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩1時前には瞬間最大風速が20mを超えた。風は北寄りの風。23時過ぎに15分ほどのウォーキングをしたが、そのときは少し弱かった。日付が変わると再び強まっていた。

 瑞々しい緑の葉が、ときどき風にあおられ太陽の光を細かく振り撒いている。私の部屋の中にもゆらゆら揺れる緑がかった光が届き、家具や壁を水面のように動かしている。陽射しは初夏のようだが、気温は低め。

 午前中は、いつものように退職者会ニュースの編集。本日は記事は書かずに細かな微調整で時間を費やした。数ミリ単位で見出しの大きさや、囲み記事のバランスを直す作業は、面倒というよりはたのしい側面もある。読む人は気が付かないところでもあるが、読みやすくする工夫の一つでもある。割付の不具合が気が付かないことが、スムーズに読んでもらえるポイント、というところである。
 残念ながら私の技量ではワードではこれは困難。一太郎というワープロソフトでこなしている。編集専門のソフトならばもっと楽だというが、高価なのでとても購入できない。

 15時からは眼科の診療。そのあとはいつものとおりウォーキング&コーヒータイム。
 


ワクチン接種通知が届いたが‥

2021年04月25日 22時50分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日親あてに横浜市からのワクチン接種の通知(80歳以上対象)が届いた。必要なことはほとんど記載てあるのだが、ただ一点、肝心なことが記載されていない。
 いつから受け付けるのか、その日付が記載されていない。これはいくら何でもまずいというか、混乱させるだけである。これでは予約なしで接種会場に行ってしまう高齢者がいてもおかしくない。しかも今回は、80歳以上の高齢者が対象である。ネットも電話も難しい人も多いであろう。
 私の親は、私の隣に住んでいるに等しいのだが、手紙を見て、自分で電話で受付開始日時を聞いたそうである。余計な手間を掛けさせるものである。高齢者対象の通知なのであるから、わかりやすく、過不足なく説明がなされなくてはいけない。
 大事なことが、委託業者任せになって、チェックがなされていないのではないだろうか。部所が違うとはいえ、自分が勤めていた市役所のチェックの甘さが気になる。年寄りの出る幕ではないとはいえ、残念である。

 風が強くなり、唸り声を上げ始めた。北よりの風で気温が下がってきた。湿度も低くなっているようだ。強風・乾燥注意報が出ている。
 本日は小望月(待宵月)、雲が切れていると美しい月が見えるはずなのだが‥。
 夜の短時間のウォーキングが少しだけ愉しめるかもしれない。外に出てみて風があまり強ければ、中止のつもり。

 明日の午後は先日行きそびれた眼科の受診予定。忘れないようにあえてここに記しておく。


大きな雷鳴に驚愕

2021年04月25日 19時41分32秒 | 天気と自然災害

             

 先ほどの記事をアップしてから、15分ほどして出かけようと玄関を出た瞬間に、大きな雷がなった。光ってから3秒ほどで大きくするどい雷鳴が高らかになり、大粒の雨がポツリポツリと落ちてきた。
 慌てて家の玄関に戻った。用心のために折り畳みの傘をショルダーバッグに入れてはいたが、ウォーキングはいったん中止にした。50mmの雨の区域が横浜の北部を通過して港のほうに抜けていった。それとともに北から雲がなくなり、太陽が照り始めた。
 妻が言うには「天気予報が外れたというので、雷と雨雲が怒った。それとも予報士が怒ったのかも」。
 私は「これで雨が降ったという実績はできた。雷注意報も出した気象庁の面目も保てたのかも」と反論にならざる反論。
 雲の間から漏れる夕陽を浴びながら、75分ほどのウォーキングを完了。残念ながら虹は見えなかった。


天気予報ははずれか?

2021年04月25日 15時15分25秒 | 読書

 先ほどまで、退職者会のニュースの原稿作成。全体面積の75%ほどが出来上がった。未だ記載していない記事が2本。これからが仕上げの段階。

 午前中は曇りで降水確率は10%、午後からは雨で降水確率50%で、強風・雷注意報も出ていた。しかし午前中は太陽が長く顔を出し、午後は雲が多くなったものの、雨が降るような様子はない。風も穏やかで、雷名はどこからも聞こえない。
 油断はできないが、ウォーキングに出かけるには支障がないように見受けられる。

 目も疲れたので、これより一時間ほど出かけることにした。


視力の衰え Ⅱ

2021年04月24日 22時22分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 (続き)白内障の手術をいてくれて眼科医が、「近視・遠視はもともと眼球のいびつさが原因。あなたの眼球はとても奥行きがある。生まれた時から奥行きがこんなにあったか、あるいは成長とともに長くなるような遺伝的なものなのか、不明だがそれが近視の原因」というようなことを行った。
 遺伝的と言われたものの、両親ともに近眼ではなかったので不思議な思いはあった。しかし遺伝的といってもすべての子にそれがあらわれるわけではない。たまたま私がそのような遺伝的な形質が発現したのかもしれない。
 少なくとも眼球の歪が、本と目の距離が近かった所為でも、目の周りの筋肉の疲労などが原因ではないことは想像できた。むろん外からの強い衝撃などが原因の場合は否定できないが、少なくとも私はそのようなことは当てはまらない。

 こんなことを考えたり、思い出したりしているうちに、再び目がショボショボしはじめ、そして眠くなってきた。能の疲労による睡魔とは違い、焦点が合わなくなってきた。

 本日はこれ以上目を開けていることは無理。早めに寝るしかないようだ。

 


視力の衰え

2021年04月24日 21時07分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 講演会とシンポジウムは無事終了。
 午前中の作業のためか、目がのショボショボがなかなかなおらず、帰宅後も30分ほど目を温めてみた。ようやく先ほど症状がおさまった。眼鏡を変えたほうがいいのか、月曜日に眼科で相談してみることにした。

 視力の衰えというのは、実につらいものがある。若いころは視力がこのように悪くなるというのが、想像もできなかった。想像できないのか当たり前であるが、しかし、目を大事にしろと言われたものの、大事にするとはどういうことなのか、誰もが分かっていなかったはずである。それは多分今でも同じだと思う。
 本と目の間の距離を離すように、と言われてもそれが本当に視力の悪化を防ぐことだったのか、誰も証明などしてくれない。もしもそれが本当のことならば、人は本など読まずに、また字など書かずにいたほうが、いいに決まっている。
 しかも現在は私が子どもの時よりも、目の負担はもっと大きい。パソコンやスマホなど論外である。私の視力の衰えは、それらだけが原因とは到底思えない。読書やパソコンやスマホが原因ならば私は、とうの昔に視力そのものを喪失しているはずである。
 視力と目の周りの筋肉の疲労とは、相関関係にあると断定していいものなのだろうか。

 健康に良くないこと、というのは意外と眉唾ものなのだと最近思うようになった。


午前中の作業は終了

2021年04月24日 12時36分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 少し早めに起きて、8時45分から退職者会のニュースの編集作業。今回はA4版の両面といつもの半分の小型版。A3版の両面の通常号の記事の4分の1の分量になる。今回は私の作った原稿をそのまま輪転機で印刷する予定。
 写真やチラシを新聞用に加工したりしているうちに3時間があっという間に過ぎてしまった。途中で10分ほどの休憩を2回とったものの、もう目がショボショボ。本日の作業はここまでにしたい。

 午後は元国連事務次長の明石康氏の講演会とシンポジウム。この報告記事も作成中のニュースに掲載予定なので、聞きながら記事用にメモ作成と写真撮影。いつものバターンである。
 昨年までと違うのは、終了後に退職者会からの参加者で感想を述べあいながらの自主的な歓談は中止であること。むろん支払いは自費である。会話しながらいつもまとめを考えている。そうすると独りよがりの報告ではなく、多角的な視点での報告にすることができるのだが、致し方ない。喫茶店でも声が大きくなりがちなので避けている。 


眼科に行くのを忘れた

2021年04月23日 22時16分07秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日眼科の診察を受ける予定であったが、すっかり忘れてしまった。そもそも診察を受けに行くことを覚えていたとしても、診察代をもらう前に妻が買い物に出かけてしまった。
 結局、私は500玉1個しか持たずにウォーキング&一服に出かけた。そしてウォーキングの途中で眼科に行くことを忘れていたことに気が付いた。スマホの電子マネーがなければお手上げであった。
 眼科は、予約をしていたわけではないので、来週月曜に忘れずに行くように、メモをパソコン前に貼っておくことにした。

 この物忘れが、認知機能の減退が原因ではないことを祈りたいものである。

 これより20分ほどのウォーキングの予定。
 


横浜市のワクチンの見通し

2021年04月23日 21時35分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の作業はこの時間で終了。これ以上やってもはかどりそうもない。目も疲れたので、読書は中止。
 緊急事態宣言で、またしても東京に出かけることが遠のいた。美術館巡りもまた断念ということになってしまった。
 横浜市のワクチン接種の日程が公表されているが、本日4月23日(金)から80歳以上29万人に個別通知発送、私が対象となる65歳以上は5月14日(金)に個別通知の発送となっている。
 65歳以上は約93万人。ワクチン数は92万。これは医療従事者分も含めての数であるらしい。わずかだが足りない。辞退者も含めて間に合うと踏んでいるのであろうか。
 集団接種の受け付けは5月3日(月)以降で接種は5月17日(月)から、個別接種は6月以降となっている。
 2回目の接種については「すべての高齢者のワクチン6月末までに供給される見込み」という表現に留まっている。
 来週中に私の親の分の通知が来るはずだが、実際にどのように受付を済ませるのか、など具体的なことは通知を見ないとはっきりしない。
 私ども夫婦までせめて一回が終了するのはいつのことになるやら、見通しがたたない。まして全市民が2回終了する見通しなど今語るのは到底無理なようだ。
 いかに安倍前首相の「ワクチン確保」の発言がいい加減だったか、今更ながら‥。

 これでは、緊急事態宣言を繰り返さなくてもいい根拠になどならない。オリンピック・パラリンピックを開催する気でいるのであろうか。選手団を派遣できる国がどのくらいあるのであろうか。「聖火リレー」など継続するメリットがあるのだろうか。医療従事者をボランティアで募集して集まるのだろうか、彼らに過度な負担をかけているのではないか。「医療崩壊」ないしそれに近い状態が終息していない時期ではないか。
 オリンピックの日程に合わせた緊急事態の宣言ではなく、真に感染症を抑え込むことをめざした緊急事態宣言であってほしいものである。
 


昼間の月

2021年04月23日 20時50分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 上弦の半月から3日経って、月齢11.3の月を横浜駅の上空に見つけた。
 空を見上げるのは好きな私だが、昼間に月を見つけることは無いに等しい。見上げるとしたら高いビルや樹木を見る程度。月を探すために空を見上げる機会はない。
 現役の頃は、仕事中に空を見上げながら外を歩くことはまずなかった。働いている多くの人にとっては、そんな心のゆとりなどないはずだ。
 そして退職すると、現役の頃の癖が残っているので、空を見上げることはないのだろう。私もおなじであった。
 空を見ることはあったとしても、地平から20度程度までだと思う。わざわざ天頂まで顔を上げることなどない。

 本日は横浜駅近くの喫茶店の外のテーブル席で鳩が飛んでいるのを眺めていたら、たまたま月が目に入った。


宿題は残りふたつ

2021年04月22日 22時30分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 退職者会の宿題六つの内、四つ目が何とかできた。他の役員の方に送信。手直しがないとうれしいが、多分ありそう。
 残る二つの内、一つが一番ボリュームが大きく、28日までには仕上げて、できれば30日には組合の会館で印刷をしたいもの。A4両面の新聞。記事の材料はとりあえずそろっている。
 残り一つは14日までにA4片面の依頼文書。こちらはまだゆとりがある。

 明後日の午後は講演会が一つ。講演者は明石康元国連事務次長で「国連の歩み・世界の食糧事情~我が国の食の自給率の向上に向けて~」。
 最近は、300人は入れる会場で100人限定という講演会ばかり。今回も。人がまばら、というのは寂しいものであるが、致し方ない。
 


梅の実

2021年04月22日 20時23分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 本日、神奈川大学の六角橋キャンパスの傍を歩いていたら、もう梅の実が小さいながらたくさん実っている木を見つけた。さらに道路のL型側溝には実が落ちていた。大きくなって実が落ちたのではなく、風で落ちたのだろうが、それにしても例年よりも2か月は早いのではないか。
 今年はすでにつつじは満開、花木が一斉に咲いてしまった。連休前にヤエザクラも散ってしまった。八百屋ではタケノコがもう店頭から消えている。
 そして空には秋を思わせるスジ雲が乾燥した空気をもたらしているようだ。


「美術の物語」(ゴンブリッチ)の21章

2021年04月22日 13時42分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中はオンライン講座で「美術の物語」(ゴンブリッチ)の講読。第21章「権力と栄光 Ⅰ イタリア 17世紀後半~18世紀」。イタリアのローマと彫刻家ベルニーニ(1598~1680)を中心に解説があった。
 予習というかあらかじめテキストに目を通していなかったので、資料を見ながら本文に目を通したりと忙しかった。もう一度テキストを読み直さないといけない。
 全28章を4回のシリーズに分けて、1回1章ずつ、月に2回の講座。今回で3回のシリーズは終了。5月から4回目のシリーズで7回で終了予定。考えてみれば丸2年と2か月掛けた連続講座ということになる。
 次回からはいよいよアルプスの北側に舞台が移動し、近代の足音が近づいてくる。

 


「衝動」を大切にする

2021年04月21日 22時08分21秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 まだこなれていないが、メモとして記載。思い付きを連ねただけなので、論理破綻もあるが、ご容赦を。



 先日神奈川大学の生協に出向いたとき。振り向くと太陽が眩しかったので、だいそれた写真ではないが1枚撮影してみた。
 人はふと理由などないまま、何かをしたくなる。若い10代の頃ならば、その自分の行為が何なのか、気になっていつまでも引きずることもある。しかし70歳に近くなって、それを否定的に引きずって考えることはしなくなった。肯定的に咀嚼をして、自分の体験の中に組み込むことをするようになった。
 衝動に素直に従って行動に移す場合もある。自重する場合もある。そんな時でも、歳を重ねると自分の頭の中で抵抗や摩擦や軋轢などなくごく自然に自己決定する。決定した後は、それを引きずることはない。自己決定したことに対する自己嫌悪も、自己合理化もしないで、自然に時間が過ぎていく。
 それが大人の行為だ、というふうに達観する。だが、10代のころのこだわりを「若気の至り」「若い証拠」といってしまうことは私はしたくない。
 私が周りの同じような年齢の方たちと違うと思うのは、最初の衝動で「何かをする」という行為の割合が高いのではないかと思う。「何もしない」という選択は少ない。多くの人はそのような自己決定をしたこともすぐに忘れるらしい。気に留めないようだ。
 今回、ふと振り向いて太陽が眩しかった。それでたまたまスマホで撮影してみた。俳句にしてみることもできたかもしれない。立ち尽くしたかもしれない。何らかの行為に及ぶ選択が多い、それを誇りに思うことにしている。ふと振り向いて、太陽がまぶしかったが、どうしてそんなことをしたのか、ということにはこだわらない。その眩しさを自己のうちに自然にうまく取り込めるように無意識に処理をしている。
 私は、小さな衝動的な行為の結果を大切にしたいと思う。しかしこれが昂じてこだわるようになると、少し危ういことになるのかもしれない。そういう感覚があるうちは、「正常」と思っていい。
 


ウーロン茶

2021年04月21日 20時29分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は退職者会での「宿題」の一つに着手。これはまだ終わらない。午後はもう一つの「宿題」を片づけるための資料集めと、出来上がった「宿題」を届けるために組合の会館へ出かけた。
 帰りがけに、残り少なくなったウーロン茶葉を購入するために近くにある中華街へ。200gで税込み604円だったものが、税込み590円に値下がりとなっていた。消費税表示の変更に伴う処置なのか、この間のコロナ感染症対策での客足の落ち込みによる対応なのか、判断はできないが購入する立場からすれば、たった14円でもうれしいことはうれしい。しかし一番安い茶葉である。末端の小さな商店にとってはつらい決断だと思われる。
 中華街は平日の16時前後にしては私の思っていた以上に人出はあった。

 私は、ウーロン茶ばかりを毎日飲んでいる。1合入る湯呑に一つまみ半ほどの茶葉を入れ、熱い湯をそのまま注いで、3煎ほど飲む。それを一日に3回は繰り返している。21時過ぎると茶葉を入れ替えるのも面倒になり、4~5煎も入れてしまう。そのときは色も着かないが、それでもウーロン茶の味はする。白湯を飲むよりも喉は喜ぶ。

 妻は原則煎茶、時々ほうじ茶。好みは違う。最近はウーロン茶が自販機でもあまり見かけなくなってしまった。一時は自販機には必ずウーロン茶があった。それが懐かしい。