午前中の作業の合間に聴いていた曲は、シューマンの「クライスレリアーナ Op.16」と「幻想曲 Op.17」。アルトゥール・ルービンシュタインの演奏による1964年と65年の録音。クライスレリアーナは、はじめ伊藤恵のシューマンの全曲録音で初めて聴いた。ルービンシュタイならばどのように聴こえるのか、と思い2000年に購入してみた。
クライスレリアーナという曲は、第1曲目の初めの出だしがあまり好みではないのだが、1分過ぎからの私の好みの曲に変わる。第2曲以降は、作業のするときにはうってつけの曲想である。
最初はすんなりとは好きになれなかったのが、夜更けに音を絞って静かに、そして幾度も聴いているうちにいつの間にか、気に入ってしまった曲である。
ルービンシュタインは1900年の13歳のデビューから76年後に引退するまで長い演奏活動で有名である。この録音時の1964年でも77歳ということである。若々しいというのであろうか、私には年齢相応の乱れというものを感じない。旋律が浮きたつように聴こえてくるのが魅力である。
ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第3番、第4番を聞きながら、明日の作業の準備をしているうちに23時になってしまった。これよりメールを1通送信して、本日の作業は終了。
明日は、A4で1頁の文書をひとつ。退職者会の総会の決議文ということで、方針案などの要約を中心にコンパクトで分かりやすい文書に仕上げる必要。5月10日の幹事会までに仕上げるものだが、他の役員の承諾も必要。できれば明日中に一応は、仕上げて、メールで意見を聞きたいものである。
肩もかなり凝ってきたので、これより15分ほどの夜のウォーキング。
※上弦の月が西の空で潤んでいた。潤んだ半月というのも美しい。
もっとも有名で、私もこの曲が聴きたくてこのCDを購入したのは、第4番《ドゥムキー》であった。しかし今回は、第1番~第3番の印象が非常に良かった。
以前は第4番《ドゥムキー》ばかりを聴いていた。ドゥムキーとはスラブの哀歌のドゥムカの複数形という。しかし今回は、哀歌・悲歌という印象は第3番のほうがよりその傾向が強いと感じた。
昨日から、この二つの曲を続けて聴いていると、あまり記憶になかった第3番が実に懐かしく思い出されてきた。解説の文章を読むと、第1楽章は冒頭から「ブラームス的」ということらしい。リズム、ハーモニー、旋律どれもがたしかにブラームスのニュアンスは強い、と感じた。
第1楽章から第4楽章まで、とこからでもすでに幾度も聴いている懐かしいような感覚に襲われる。第3楽章は、悲歌・哀歌という表現が似合う。
第4番はあまりに凝りすぎのように聴こえた。ドラマチックすぎるというのだろうか、語りすぎている小説のようである。聴き終わるとどっと疲れが出てしまう。あるいはこれでもかと進められて、食べ過ぎてもたれた食事のようでもある。
多分聴いている私のほうの精神のありようが原因であることは分かっている。しかしこれまで味わったことのない、満腹感であった。
昨日の会議の結果、宿題が六つほどあったが、午前中にひとつ、夕方にひとつ片づけた。午後は必要な用紙を購入するちために横浜駅そばの家電量販店へ出向いた。
平日の昼間でもあり、横浜駅の地下街の人出は少なかった。それでも帰り際には中・高校生の下校が始まった時間帯で、制服姿が押し寄せるように横浜駅の地下街を歩いてきた。学校のある方角は避けて少々遠回りをして帰宅。
本日は夜に残りひとつの仕事を片づける予定。本日仕上げなかった残りの三つのボリュームが大きい。いづれも来週の連休に入る前には片づけておきたい。
頭の整理をしながら原稿書きの仕事なので、気分転換のウォーキングや音楽などは別として、読書は3日くらいはつらいと思われる。読書ができなくてイライラがつのれば別だが‥。
朝からの会議、16時過ぎに終了。夕食前に帰宅。
夕食時に軽く飲んだつもりが、昨日の疲れが残っていたためだろうか、そのまま寝てしまった。
本日の会議の結果、来月の連休明けまでにいくつかの宿題をもらってしまった。しばらくはそれに専念しないとこなせない。重たい宿題を抱えて、本日は早めに就寝予定。
夕刻から、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲第1番と第2番を聴いてくつろいでいた。演奏はヨゼフ・スークを中心としたスーク・トリオで、1977年の録音。ヨゼフ・スークはドヴォルザークの娘婿の孫にあたる。
CDの解説では、第1番は1875年、その翌年に第2番が作られている。ドヴォルザークが35歳、36歳の時の作品である。
第1番は第2楽章を除いて明るく、屈託のない表現がきわだつ。第2楽章はピアノで始まる悲歌ともいうべき楽想が私には忘れられない。ピアノからチェロに受け継がれ、ヴァイオリンにたどり着く。ヴァイオリンでは絞り出すようなメロディーに変わっていく。
第2番は、悲痛な気分満載の曲。解説によると、長女を亡くした悲しみを込めた作品ということである。第2楽章は、第1番と同様悲歌ともいうべき曲であるが、ヴァイオリンの高音の響きがより印象に残る。第3楽章、チェロの美しい旋律が印象的である。忘れられない。
昨日は雨で予定より少な目だったので、本日は思い切ってかなり遠くまでの周回コースを歩いた。途中で厚い雲に太陽が隠れ、雨の心配もした。どうやら雨が降ることはなく、無事帰宅できた。途中の喫茶店で一服していると眠気に襲われ、慌てて店を出て、ウォーキングを再開。2万歩ほど。
帰宅後は、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲を聴きながら、一服。ドヴォルザークの甘い旋律は疲労感たっぷりの筋肉には心地よい。かなりの運動量だったせいか、おなかも空いた。
横浜市域の雨は日付の変わった直後の0時30分過ぎに上がった。
10時現在は晴れ渡り、空気も乾燥している。ほとんど雲がない。レインアイよこはまを見た限り、神奈川県内には雨の区域はまったくない。しかし風は強め、強風・雷・波浪注意報が継続している。秋のさわやかな天気のような明るさである。予報では、大気が不安定で、雷や突風に注意したほうがよいという。
昨晩の雨と風による被害は今のところ報道はないようだ。雨が上がるのは強い雨の時ほど急激に回復する。
朝の宮城県沖を震源とする震度4の地震、横浜でも震度2の地震であった。東北地方の太平洋沖を震源とする地震が続く。ゆっくりとした揺れを感じると、また東北か?と心配になる。
今、洪水警報が出た。現在はこれに大雨・強風・波浪・雷注意報も出ている。
我が家のあたりを時間雨量50mmの区域が通過している最中である。隣の区では80mmの区域が移動中である。
風も強まり、11mを超える南南東の最大風速となっている。さいわい雷鳴はまだ聞いていない。
深夜になり次第に雨は強くなってきた。横浜市域では時間雨量最大30mmの雨の区域も近づいている。
日付が変わるころにはひと段落するという予報があったが、是非そうなってもらいたい。
夕食後、オンラインでの音楽鑑賞会。久しぶりにシベリウスの「フィンランディア」「トゥネラの白鳥」を聴いた。前者は初めて合唱付きの曲として聴いた。
さらにサン=サーンスのビアノ五重奏曲を初めて聴いた。若いころの作品で、ドイツロマン派的な曲、ということであった。
サン=サーンスはピアノの名手だったとのことで、曲もピアノ主導の曲であることは否めなかったが、旋律も美しく、その処理も好ましく感じた。ピアノ主導の曲といっても、ヴァイオリンもビオラもチェロも響きは美しかった。特に私はビオラの音色をうまく使っている、思った。
普段聴くことのないサン=サーンスだが、機会があれば交響曲・協奏曲(ヴァイオリン・ピアノ・チェロ)も聴いてみたいと思った。
昨晩ニュースを聞いていたら、小池都知事が記者会見で不思議なことを言っていた。どうしても気になるので、他のチャンネルを回したがやはり同じことを言っていた。私には暴言に聞こえた。
「(エッセンシャルワーカー以外)都内に来ないで」というのだ。この人はたしか「都民ファーストの会」を立ち上げて、会派として都議会では最大である。「都」のことしか考えない「都民ファースト」の面目躍如というところか。
当然にも近隣の県にしてみれば「都からやってくる人を止めてください」と売り言葉に買い言葉の喧嘩になることは必定である。
中国の様に鉄道と、道路を強引に封鎖でもしようというのか。どうしても必要な仕事であるという証明書を携帯しなくては行き来してはいけないとでも宣言したいのであろうか。国との合意や近隣県との連携抜きに、そして営業補償もなしにそれをしようという発想ならば怖いことである。
都と埼玉・千葉・神奈川は経済圏として、いくらリモートワークを推進したとしても、人の流れも、物の流れも、商業活動も止めることはできない。数千万人の人間の住んでいる首都圏を封鎖しなくては無理である。
このような発言をする以上は、緊急事態宣言で昨年4月のような事態をしなくてはまずいと思いながらも3県との足並み、あるいは政府との調整がうまくいかないことのいら立ちなのだろうか。ならばそのことをまず言明するのが筋なのではないか。
知事として「打つ手が無くなった」といういら立ちばかりを反映した言葉にしか聞こえない。政府も都知事も、オリンピックは強引に実現する、人の流れは止めたい、ワクチンは来ない、営業補償はできない、ではどうしろというのであろうか。
マスコミもまたそのことを報道すべきではないのか。
都知事の発言とは裏腹に、NHKでは東京国立博物館の「鳥獣戯画展」や、東京芸大での「渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画」展の宣伝を首都圏向けに行っている。これではいくら知事が危機感を表明してもだれも信じないであろう。
独り相撲での八つ当たり策では、都民も首都圏の住民も、国民全体も迷惑である。やるべきことをきちんとしてもらいたい、と切に思う。
強風・波浪・雷注意報が出ている。
午前中の美術の講座は、パナソニック汐留美術館で開催されている「クールベと海 展― フランス近代 自然へのまなざし」の解説。見に行きたいと思っている美術展である。しかし感染拡大を受けて躊躇っていた。
根っからのへそ曲がりの私は、都知事の「都内に来るな」という勝手な一言を聞いて、行ってみたくなった。横浜から新橋なので、時間帯を間違えなければ、往復とも空いている電車に乗車はできる。日時は状況を見極めたいが、事前予約制というのは不便極まりない。
14時ころいったん雨は上がったが、15時過ぎからしだいに強くなってきた。本降りとといっても10ミリ程度の雨である。今のところは予報よりは弱い雨である。雷注意報も出ているが、まだ雷鳴を聞いていない。このままおさまってほしい。
14時前に、買い物に付き合って、歩いて25分ほどのところにある大型のスーパーへ。私はついでになくなりかけている焼酎の4合瓶と日本酒の300㏄の瓶を確保。日本酒も4合瓶が欲しかったが、リュックが重くなるので断念。
帰りには喫茶店で一服。その間に雨が少し強まってきたが、1時間に1本のバスには30分以上の時間があったので、結局傘をさして歩いて帰宅。
風は南風、気温は18℃を超えて平年並みの気温。湿度が高く不快な空気に包まれた一日となった。
昨日受診できなかった内科で降圧剤の処方をしてもらった。冬の間、追加していた降圧剤は取りやめて様子を見ることになった。薬の量が減ることはうれしいものがある。この5週間で2回ほど最高血圧が100以下になる日があった。冬になると血圧が全体として上がり、温かくなると下がる、ということが証明されたようなもの。
眼科は、来週に行くことにした。固定資産税と、雑誌の定期購読代などを振込んだ。
残念ながら降水確率10%という本日の予報は見事に外れた。
本日は雲がときどき全天を覆って、ポツリポツリ降ることがあった。陽射しがある時は温かかったものの、太陽が隠れると冷たい風が身に沁みた。最高気温18℃の予報だったが、気温自体は20℃近くになった。
夕方には、いっとき本降りになった。さいわい私は本降りになる前に家にたどり着いたが、妻は自転車と買い物袋、そして着ているものを冷たい雨に濡らして帰ってきた。
現在は雨は上がっている。
夜のウォーキング時には果たして雨は上がっているであろうか。明日は一日雨の予報、しかも風が強くなるらしい。外に出るのは億劫である。