Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

プリンターの使い分け

2022年11月25日 21時08分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は実に暖か。でも夕方になるとさすがに冷えてきた。ストーブを点けることにした。

 午後遅くに杖を突かずに横浜駅まで出かけた。これまで使っていたプリンターのインクカードリッジの使用済みのものとまだ使っていないもの3つほどを廃棄。使っていないものはもったいなかったが、引き取ってくれるわけでもないようなので、やむなく廃棄。
 最大A4用のプリンターも、今度の新しいA3用のスキャナーとの複合機もインクはボトル式なのでカートリッジの廃棄がなく、結果としては安価な上、インクの補充の取り扱いも楽である。
  新しいプリンターは、スキャナー機能ならびにA3とA4の印刷、これまでも使っていたインクボトル式のプリンターはB5とA5、A6そしてハガキ等の印刷、ならびにスキャナーの予備と使い方を分けて使用する予定。
 人よりはかなり多いプリンターの使用頻度である。新聞の原稿の出来具合、退職者会の会議の資料の打ち出し、自分なりの資料の作成、スケジュール帳の更新ごとの打ち出し‥。ほとんどが退職者会関係の印刷で使用する。持ち出しばかりだが、そのことはやむを得ないと納得はしている。役員は皆同様である。

 本日の歩数計のカウントは約5000歩ほど。一昨日の半分程度。やはり横浜駅の人が大勢歩いているところは怖く、壁に近いところをつい足を引きずって歩いてしまう。しかし家の近くのバス停に降り立つと、人通りも少なく、車が余り通らない裏道を歩くので、足を引きずることなく歩きとおすことが出来た。
 膝の痛みは階段の昇り降り以外はほとんど感じなかったことが嬉しい。しかし用心をして寝る前には湿布を塗布したい。

 


社会の行き詰り

2022年11月25日 13時34分40秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 2014年3月2日付のこのブログに私は次のように記している。8年半たった今もこの私の思いは変わらない。変えなくてはならない点があるとすれば、現在の日本は経済的にも政治的にも「衰退途上国」になり、「経済的反映」がまだ続いているかのような幻想に浸りきっている社会になったという現状認識であろう。
 「国家」や政府、そして「企業」が国民や社員一人一人の経済的保障も、さらに政治的・法的な平等すらも平然と忘却し、あらゆる場面で格差社会が当たり前となったのがこの8年半であった。
 そして国家の論理が強まり、個人の生きづらさが増大し、若い世代のいじめから社会全体のいじめ構造へ、そして排他的な政治思想が横行し、閉塞的な社会になってしまった。文化的にも社会全体としても、他者を受け入れる柔軟性を喪失してしまった。
 ますます悲観的になっている昨今の私である。

 世界も、日本を取り巻く情勢も私の思いとはまるで正反対の方向に向いている。自国の制度がもっともすぐれているという思い込みの激しい国が、国力に物を言わせて他国をねじ伏せる力学が、新しい国も加わっていつまでたっても続く。
 「国家」を解体止揚しなければならない、という基本を踏まえた政治思想が大切だと私は今でも思っている。1960年代のあの問題提起はどこに消えてしまったのだろうか。戦後の日本の国家体制の中で、あの戦争に突入していったことへの根源的な批判・反省、そして戦争を遂行したものも、「終わらせた」という者も共に犯した戦争犯罪が、いつの間にか有耶無耶のうちに忘却されようとしている。
 政治というものが、あたかも市民社会全体の価値観を規定できるものだという錯覚を振りまいている政治家ばかりが大手を振っている。とても危険なことだ。過去への回帰を危ぶむ声が大きい。また日本の現政権のトップは過去についてあまりに無知である。しかし問題は、政治が社会全体を「導く」という大いなる錯覚を政治家が抱いていることである。またそれを当然であると支持する世論も怖い。経済的な繁栄、そして「国家の論理」に踊らされては道を誤ることは確かだ。
 「国境」という概念、「国家」という観念、ここから自由にならない限り、今の国際関係の止揚・解決はないように思っている。
 いたずらに危機を煽る政治家たち、とくに日・中・韓の現政権は国家内部の矛盾をそこで逸らそうとしている。実に古い手法である。経済がグローバル化している現在ではそれが手法として成立してほしくないのだが、私の甘い願望だろうか。
 他国を力で抑えようとすること、自国の価値観を押し付けること。このことは日本がかつて行い、アメリカ・ソビエトが戦後も行い今も実施し、そして日本はそのことを忘却しようとしている。
 他国を押さえつける国は、必ず自国の中で「国家の存続のため」という理由で国民を押さえつけている。これは間違いのない教訓である。
 私は1960年代に学んだことで今の政治状況に欠けていると思うことがもう一つある。それは戦後の秩序を形作った、保守-革新という対立構造を止揚するという志向が無いということである。
 「革新」の側からすれば「戦争の元凶は保守」であり、「アメリカという軍事力を背景に国民を押さえつけている」という。「保守」の側からすれば、「革新」はソビエト・中国の手先であり革命・戦争を画策しているという。
 そしてアメリカの強引な基地拡張や騒音問題に対する生活や命をかけた抵抗運動、反原爆・反核運動は「革新」の領分で、戦勝国による東京裁判への批判や天皇制の死守は「保守」の領分であった。
 もっと不思議なのは戦後の国際連合秩序という「戦勝国」による秩序、東西冷戦構造の妥協の産物に率先して参画したのが、A級戦犯を抱えた「保守」政権である。戦後の国際秩序の前提である戦後憲法を「アメリカの押しつけ」として否定しようとしているのが、国連加盟を推進した「保守」。その憲法を守れといっているのは「革新」である。
 このような不思議な捩れを私たちはずっと当然のように受け入れてきた。このような不毛であいまいで、不思議な構造を超える政治思想を模索しようとしたのが、1960年代に台頭した政治思想ではなかったのだろうか。残念ながらそれは日の目を見なかったが、忘却の彼方に追いやってしまっていいのだろうか。
 私は政治に関わることを断念した人間である。政治の非情を前にたじろいだ人間である。その私が偉そうなことは言えないかもしれないが、逆に政治の醜さの止揚と危うさへの警鐘は言い続けなければいけないと思っている。

 


ライトアップへの違和感

2022年11月24日 21時58分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 みなとみらい地区で、ランドマークタワーや現在工事中の横浜美術館前のモミジ、イチョウはいつも見ごたえがある。
 日が照る暖かい日は子ども連れの若い家族、若いカップルが集い、賑やかでもある。
 だが、幹に巻き付けられたライトアップの小さな電球で樹木が痛々しいのは可哀そうである。
 横浜では横浜駅界隈でもこのライトアップの電球はなんとかならないものか。通年でこのように巻きつけられるように鳴ったのはいつからであろうか。
 夜は暗いのがいいのである。明るいのはビルと街路灯の明かりだけで十分ではないのか。私にはそれすら明るすぎると思う。

 以前にある人から、今のライトアップのライトは木に悪影響は与えない、木が疲れることはない、だから文句を言うな、ということを声高に文句を言われたことがある。それが本当のことだとしても、そもそもライトアップすることが私には違和感なのである。クリスマスイヴの一晩くらい、それは人の心を明るく照らすだろうことについては文句を言うつもりはない。
 だが、数か月あるいはイベントごとに点灯し、そして通年でライトを連ねて幹に巻き付け続けること、これに違和感を持つことの表明くらいは自由にものを言わせてもらいたいものである。
 昼間に木々の状態を眺めて季節の移ろいを感じ、夜は月と星を眺めて一年を感じる、そんな生活を主張することすらかなわないのだろうか。いくら都会に住んでいるとはいえ、そんな感性まで否定されたくない。


読書タイムの確保

2022年11月24日 20時27分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど歩数計をみたら、本日は1万歩を超えていた。歩幅を狭くしてゆっくり歩いているので、歩数は多くなる。ゆっくりなのでこれまでならば1時間もかからない行程を遠回りをしながら2時間近くかけて回った。これが原因で歩数が多くなっているのであろう。

 所用が終わってみるとさすがに草臥れた。喫茶店でコーヒータイムと考えたが、早く家で休みたいという思いのほうが強くなり、バスにて帰宅。
 友人や印刷所にいくつかのメールを送信してから、リビングルームの椅子で一休み。

 読書タイムが確保できずにいるので、これより読書タイム。


癖の矯正の困難さ

2022年11月24日 17時30分11秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 一昨日に続いて本日も杖を使わずに出かけた。本日はみなとみらい駅までの往復と途中で横浜駅で降りて、所用のため4箇所ほどをぐるぐる回った。杖を使わずに無事帰宅。
 しかし杖を使わずとも、普通に歩くのが難しい。理由は二つあった。杖を手放して不通に歩けるようになるまでにとても時間がかかることを自覚した。
 一つは、人混みではやはり怖さが先に立つ。横浜駅の地下街など人が多いところでは、小回りやとっさの立ち止まりが難しいので、杖を使わないとスマホ歩きや子どもだけでなく大人の不規則な早足・駆け足が怖い。そのようなところではつい壁やショーウィンドウにすぐに手をつけるところを歩かざるを得ない。
 ところが地下街などでは、横道から人が急に出てくるので、四つ角ごとに人が飛び出てこないか見極めながら歩くことになる。歩く速度が杖を突いているときよりも遅くなっている自分に気がつく。
 二つ目は、階段などで手摺りを使うと、足を引きずる動作に無意識のうちになってしまう。過剰に痛みに対して防御の姿勢を取ってしまうのである。そしてその足を引きずる動作のまま平らなところでもしばらく歩いてしまう。
 足を引きずる動作が癖になってしまっているのである。
 この二つの状態に本日気がついた。これは痛みではなく、杖を突いて歩くときの癖が身についてしまった結果であると思う。癖というのはなかなか直しにくいものである。1年かかって身についた癖を直すのはかなり意識的にならないと元には戻らない。

 「癖」の問題とは言い難いが、私は小さいときは左利きで、当時5歳になって浄土宗系のお寺の経営する幼稚園で厳しく強引に左利きを矯正された。何しろお昼のお弁当を右手でないと食べさせてくれないのである。通い始めのころはお昼を食べさせてもらえずに帰宅したことも多かった。右だ、左だと頭ごなしに叱られて、頭が混乱していた。
 今にして思えばずいぶん乱暴なことをされたと思うが、小学校を卒業するまでハサミやクレヨン、理科の実験道具は左手を使用していた。それでまた小学校の高学年の時には教師に「利き手の右手を使え」とずいぶん叱られた。これもいやな思い出である。右手と左手は意識しないと区別がつかなかったのがとても苦痛であった。

 こんな経験があるので、身についたものを元に戻すことの困難さは考えただけでもため息が出てしまう。
 杖を突いて歩いてきた1年間の癖が元に戻るのは、それと同等の時間が必要かもしれない。

 


杖からの卒業めざして

2022年11月23日 20時57分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 18時半頃に大雨・強風・雷注意報になった。本日は、最大20ミリ程度の雨が続いた。外では風の音が強くなっている。19時には最大瞬間風速が12.4mの北風。
 雨は今はやんでいるようだが、相模湾にはまだ雨の区域が広く広がっている。

 明日は10時からみなとみらいの神奈川大学の校舎で美術鑑賞の講座。午後からはフリータイムであるが、いくつか回らないといけないところがある。
 明日は、みなとみらい地区までの往復と横浜駅付近で所用を済ませで帰宅までを、杖を突かずに過ごしてみたい。一応リュックには杖を用心のために忍ばせておくが、なんとか使わずに家まで辿り着きたいものである。

 最近では杖を突かないと不安に駆られることがある。痛くないのに杖に頼って歩いている自分に気がつくことがある。杖を突き始めてちょうど丸1年、杖から卒業するのにも時間がかかるものであることを理解した。
 ただし、階段や急坂の昇り下りは手摺りが必要であるし、早歩きやとっさの小回りはまだ難しい。用心して人の少ないところを歩くように心がけなくてはいけない。

 


睡眠不足

2022年11月23日 18時06分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 14時ころの気温が本日の最低気温として10.7℃の表示。一日中ガスファンヒーターをつけていた。しかし我が家は1階でフローリングのためなかなか暖まらない。冬になると前面フローリングにしたことを悔いるのだが、夏の快適さと、掃除のしやすさでいつの間にかそれを忘れてしまう。この繰り返しでいつの間にか30年は経ってしまった。

 本日はここ数日の睡眠不足を解消しようと午後はベッドに横たわっていたが、今度はあまり眠れずにボーッとしていた。ベッドから立ち上がって椅子に座ると眠くなる。スッキリしないままに夕刻になってしまった。
 寝不足は気分が晴れないまま、体もスッキリしない。これはあまりいい状態ではないだろうと思う。今夜も早めの睡眠を試みたい。今月2回目となるが、睡眠剤を少量服用するのもいいかもしれない。いつも大人一人一回の服用量の1/8を服用している。
 


終日の雨と低温と低音と

2022年11月23日 13時40分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 予報通りに朝から雨。今のところ最大でも時間換算雨量10ミリ程度である。しかし山梨県では80ミリを超える雨の区域が北上していった。風は北風であるが、雨の区域は風とは反対に南から北へ向かっている。太平洋岸では激しい雷雨も予想されている。
 天気予報では昼間の最高気温は11℃という予測になっていた。日付が変わった直後の気温16.3℃が公式の最高気温になると思われる。

 昨晩送信した原稿にみなさん目を通してくれているようで、訂正などの箇所を指摘してくれている。
 この分では夕方までには全体の推敲、訂正、書き換えを終えられると思う。ありがたいものである。

 先ほどから低音がかすかに鳴り続けている。遠雷なのか飛行機の音なのかわからなかったが、あまりに長く続く音なのでどうも遠雷らしい。
 羽田空域が広がり、低空で飛ぶ飛行機の低音がするようになり、ここまで不快な低音が響いてくるとは思いもしなかった。

 

 


反省中

2022年11月22日 22時42分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の会議での資料を整理してファイルに綴じ込む予定であったが、夕食後もまたリビングルームでうつらうつら。これからボチボチと片づけることに。

 明日は特に予定はないが、雨で寒いとのことなので、一日閉じこもりかもしれない。

 本日はやはり忘れ物というかうっかりが多い。まずこれまで使っていたプリンターのインクカートリッジを家電量販店の回収ボックスに入れようとして忘れて出かけた。出かけるときも財布と歯磨きを忘れており、家に戻った。
 さらに本日送信した原稿にあまりに突飛な間違いが数か所指摘されてきた。私の点検自体が出来ていなかった。本人としては見直したつもりだったが、受け取った方はいい加減な推敲だと思ったかもしれない。他の方に仕事を頼む以上、気を引き締めないといけないと、おおいに反省中。


子どもみたい・・・

2022年11月22日 20時49分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕方近くになって、横浜駅までバスで出かけた。地下街の混雑している喫茶店で30分ほどひと眠り。読書タイムとしたかったが、わずか1ページで寝てしまった。帰宅するときのバスの中でもうつらうつらとしていた。
 どうやらプリンターが朝の8時過ぎに配達になるということで、いつもより1時間以上早く起床したのが原因らしかった。昨日もいつもより1時間近く早く起きた。

 新しいプリンターが来て、何となくウキウキ。子どもが新しいおもちゃを手に入れたときのようなものだ、と妻には言われる。特に何枚も印刷する予定は今はないが、使ってみたい衝動もある。本日出来上がった1面・2面はA3の表裏で3枚ほど印刷してみた。来月になると退職者会ニュースの2面、3面の試刷りで何枚も印刷する。さらに大量に印刷するのは12月下旬の年賀状である。
 プリンターの同梱品として、インクボトル4色を1本ずつ、と記されていたが、ボトルには半分ほどしか入っていなかった。それでも数千枚は印刷できるので、インクの追加購入はまだ先である。

 他の役員には出来上がった原稿を送信して、チェックをお願いした。間違いなどの訂正は果たしてあるのだろうか。いつも送信するときは指摘を受けないように念じて送信ボタンを押しているが、その効果はないようだ。いつも必ず何か所かの指摘がある。それだけキチンを目を通してくれている、ということでとても有難く、そして嬉しい。

 本日は最高気温が20.8℃とずいぶん暖かであった。一転して明日は最高気温が本日よりも6℃も低い予報。しかも終日雨がふるという。


新しいプリンター到着

2022年11月22日 15時22分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど退職者会ニュースの第1面と第4面が出来上がった。夕方までには他の役員と印刷所に送信予定。

 午前中に新しいプリンターが配送された。古いものの廃棄も依頼してあったので、配送業者に引き取ってもらった。古いものが18.6キロあまり、業者の人は軽々と持ち上げていた。新しいものは21.5キロもあり、段ボールから出して、所定の位置に持ち上げるだけで大変であった。私一人では膝も痛いため、妻に手伝ってもらって持ち上げざるを得なかった。
 スキャナー機能も含めて新しいドライバーをダウンロードしてセットアップ完了。動きは早いし、きれいである。
 もっとも古いものは2014年発売で来年6月には修理機関が終わるらしい。新しいものであるから機能は良くなっていないと困る。またインクはカートリッジではなく、手間のかからないボトル式。これが一番気に入っている点である。
 高い買い物をしてしまった、と悔やまないような働きをしてもらいたいものである。

 プリンターにセットアップ後は、昨日の会議で決まった日程でスケジュール帳を更新してから、編集作業を再開。2時間ほどで完成した。まだまだ手直しが必要になるかもしれないが、とりあえずは完成。


47年も続いているとは

2022年11月21日 22時44分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会の幹事会はなんとか無事終了。朝から役員会議など3つの会議をこなし、ニュースなどの封入作業を終了後に、本番の幹事会を迎えた。
 ニュースばかりか8種類の宣伝物を封入する作業が一番体力を使う。1000名を超す会員へのメール作成作業である。封筒やセロテープ、コンテナなどの準備、チラシの印刷や送付されたきた宣伝物の用意、ごみの処分など、役員の厄日でもある。作業そのものは単純作業の繰り返しで根気も必要である。
 私は足りなくなった印刷物の増刷にも翻弄され、昼食を摂れたのは、幹事会が始まってから30分後の14時過ぎとなってしまった。
 シャケと昆布のおにぎりを頬張りながら、幹事会の議事進行を見守った。こういう時に好きなおにぎりというのはいいものである。
 16時過ぎに会議が終了し、忘年会を兼ねて恒例のワンコインの呑み会。後片付けは他の仲間にまかせ、会議資料の廃棄などの仕事。
 17時過ぎてから、近くにあるいつもの居酒屋に流れ込んで、二次会。本日は草臥れて半分は寝ていた。
 こんな慌ただしい会議と作業と呑み会に参加するようになって早や10年が経過した。いつまでこれが続けられるのだろうか。いつの間にか生涯の仕事になってしまったようだ。
 もっとも現役の時から数えるともう47年もこんなことを繰り返している。よくも続くものである。自分のことながら呆れつつ感心している。

 


毎年恒例、年末の綱渡り

2022年11月20日 22時58分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど作成した資料のうち、ニュースの編集作業はよくよく見たら思ったよりもはかどっていた。1面と4面では面積にして75%ほどが出来上がっていた。明日揃う原稿で水曜日の入稿までには十分に間に合う。2面、3面はまだ手付かずなので、37%の出来高、といったところ。
 2面、3面は来月の中旬までに原稿が確定する。それを利用して一気に一日で編集作業を終了しようというもの。これはとんでもない過酷なスケジュールである。この日に体調でも崩したら正月号の発送日までに間に合わない。

 年寄りのくせにこんなスケジュールを作るのはナンセンスなことは分かり切っているが、印刷所のかたの年末年始の休みのことを考えるとこうならざるを得なかった。毎年のこととはいえ、綱渡りのつらい日程である。

 明日の早起きのために本日も入浴と就寝は早めに。


テレビ電話の功罪

2022年11月20日 21時06分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の退職者会の幹事会に提出する私の担当するニュースやその他の諸資料の印刷がようやく終了。半分は金曜の午前中に終了していたので、本日は楽であった。

 夕方からの団地の管理組合の理事会への報告は短時間で終了できた。帰宅直後に懐かしい友人から電話。実に4~5年ぶりくらいに長電話をフェイスブックのメッセンジャー機能を使ってカメラ付きで行った。
 恥ずかしかったのは、本棚から本があふれている部屋の状態が見られてしまったこと。Zoomならば背景に写真を使って隠せるのだが、これはそうはいかない。そして1ミリのバリカンで刈った頭もまた見せてしまった。
 テレビ電話というのは親族間や普段から顔を突き合わせているごく親しい人とのやり取りは、気恥ずかしさはあまり感じない。実際に娘とは時おり行っている。
 親しい友人でも久しぶりであったりするととても恥ずかしいものだと実感した。しかしこの場合は数分も話をすると何とも思わなくなる。今回のようにかえって親近感が増す場合もあるかもしれない。
 だが、ほとんど付き合いのない人とは、どうだろうか。ちょっと遠慮したいものである。特に営業などの勧誘やオンライン診療など部屋を見せたくない人とはとてもではないが、勘弁してもらいたい。営業目的は端から拒否をしたいが、もしもオンライン診療などを受けるとしても、Zoomのように部屋のなかが映し出されたりできないようなものにしてもらいたいと思う。相手としてもプライバシーが覗けてしまうのは避けたいであろう。

 電話相手とは、同じ歳で、横浜市の職員として、労働組合運動を通じて知り合った。若いうちに退職されてしまったのが私としては残念に思った友人である。共通の友人の消息などを確認し、お互いの健康を気遣った言葉を交わして終了。やはり緊張して話をしていたようで、終わったら体の力が抜けたように思われた。

 雨は昼前から降り始め、明日の朝まで降り続くという。最大でも10ミリ程度の雨だが、これだけ長く降り続くとちょっと憂鬱になる。しかも明日は朝から出かけなくてはいけない。傘と杖を手放せないのがつらい。

 


「仕事」それなりに進展

2022年11月20日 14時17分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から引き続き退職者会の新年号の編集作業。本日までに出来るところはほぼ出来た。少々の手直しを夜に行ってから、明日他の役員の素案として示すことが出来るようになった。4面の内、1面と4面の6割以上は出来上がった状況である。記事2本が未着。

 本日は昨日よりも4℃近く低くなっている。まだ外には出ていない。パソコンの前に座ったままだったので、とても寒く感じる。
 これより少し体を動かしてから、団地の理事会の会合に出る予定。