鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

五家荘の旅(2)左座家

2019-08-15 | 

五家荘の緒方家から、川の右岸へ渡り、絶壁の下の狭い道を左座(ぞうざ)家へ行きました。

 

仁田尾の民宿の向かいにある左座家です。

 

菅原道真は太宰府に流されましたが、二人の子供がいて、藤原一族から追われた兄は、左座太郎と改名してここに住み着き、仁田尾を支配しました。

 

茅葺の屋根。

 

玄関です。この建物は、200年前に建てられました。

 

玄関に向かって右側です。

 

中に入ります。民宿のおばさんが管理しており、案内してくれました。

 

畳の間。

 

奥へ行きます。

 

古い文書が展示されています。

 

床の間。

 

二階への階段があります。

 

二階の隠し部屋です。

 

庭を望む。

 

道路向かいの民宿です。ここに道路が開通したのは昭和41年ころで、それまでは人が歩ける道しかなかったそうです。

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五家荘の旅(1)緒方家

2019-08-14 | 

熊本の秘境、五家荘へ旅に行きました。五家荘は平家落人の里です。

 

山深い川辺川沿いをを上流へ行きます。

 

まず緒方家を訪れました。平清盛の孫清経は、1185年の壇ノ浦の戦いで敗れ、姓を緒方と改名して五家荘に住み着き、代々庄屋として椎原を支配しました。

 

側面。この家は300年前に建てられました。

 

裏側です。

 

中に入ります。80代のおじいさんが案内してくれました。

 

囲炉裏の間。

 

奥へ行きます。平清盛の像です。

 

立派な梁の天井。

 

屋根は茅葺の合掌造りです。改築をして、屋根の葺き替えだけで2000万円かかったそうです。

 

床の間。

 

琵琶です。

 

庭に下ります。

 

池を模した庭。

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熊本旅行(7)永国寺

2019-01-12 | 

人吉の永国寺(別名幽霊寺)へ行きました。

 

永国寺です。

 

千人塚石塔(耳塚)。

秀吉は朝鮮出兵で、諸大名に敵の耳鼻をそぎ落とし、塩漬けにして目録を提出するよう命じました。これはその霊を鎮めるためのものです。

 

楼門。対の仁王像があります。

 

右の像。

 

左の像。

 

五重石塔。

 

本堂です。

 

前の写真の右に見える西郷本営跡地の碑。

明治10年、田原坂で敗れた西郷軍は、4月27日に人吉に来て、33日間この寺を本営としました。

 

きらびやかな内部。

 

西郷隆盛の書です。

 

幽霊の絵(レプリカ)。西郷軍は寺を焼きましたが、この絵は残ったそうです。

近郷のある男の妾が本妻の嫉妬に悩んで身投げした後、幽霊となって本妻を苦しめていた。実底超真和尚が、幽霊の醜い姿を描いて幽霊に見せると、驚いた幽霊は和尚の引導を請い、和尚の引導により成仏したという。(ウィキペディア)

 

幽霊が現れたという池です。

熊本旅行を終わります。

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熊本旅行(6)青井阿蘇神社

2019-01-10 | 

一勝地から人吉に入りました。

 

青井阿蘇神社の前の池です。蓮の花の頃はきれいでしょう。

 

石橋の禊橋です。

 

神社側から見た禊橋。

 

国宝の青井阿蘇神社です。

 

豪華な茅葺屋根の楼門。

 

楼門に対の木像があります。

 

向かって左の像。

 

境内から見た楼門です。

 

茅葺屋根の拝殿。

 

本殿です。

 

境内に青井稲荷神社(左)と宮地嶽神社があります。

 

御神木のクスノキです。

 

根元。

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熊本旅行(5)橋詰橋と鬼ノ口の棚田

2019-01-08 | 

球泉洞から球磨川を上流へ行きます。

 

一勝地駅の近くにある橋から下流を見たものです。右上の建物が球磨村役場で、左(左岸)に一勝地駅があります。

 

肥薩線の一勝地駅。名前の縁起がいいので、スポーツ選手や受験生が訪れるそうです。

 

駅から左岸の支流を少し上流へ行くと、橋詰橋があります。

 

右岸から見た橋詰橋。

 

上流より見る。

 

橋詰橋から上流を望む。これをさらに上流へ行きます。

 

橋の上流左岸にある棚田です。

 

さらに上流へ行くと、右岸側に鬼ノ口の棚田があります。日本棚田百選に選ばれています。

 

前の写真の左。高い石垣があります。

 

左岸の高台にある道路から見た鬼ノ口の棚田。

 

上流側を望む。集落の周辺に棚田が広がっています。

 

さらに上流右岸の棚田です。

 

道路脇の石垣と棚田。

 

右岸側の棚田です。

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熊本旅行(4)球磨川と球泉洞

2019-01-06 | 

八代から球磨川を上流へ行きます。

 

荒瀬ダムの跡です。荒瀬ダムは、発電用ダムとして昭和29年に完成しました。球磨川の清流を取り戻すため撤去が行われ、平成30年に撤去完了しました。

 

上流を望む。ダム湖があったところです。

 

肥薩線の鉄橋を上流から見たものです。鹿児島本線(今の肥薩おれんじ鉄道)は西海岸を通っていますが、元は肥薩線が鹿児島本線でした。

 

瀬戸石ダムです。

 

鍾乳洞の球泉洞に入りました。

 

鍾乳洞の中を進んでいきます。

 

フローストーン。水が岩盤の表面を流れ、炭酸カルシウムの結晶ができたものです。

 

天然橋。

 

中央ホール。天井の高さ20mです。

 

階段を登って上に行きます。

 

石柱。石筍がつらら石とつながったものです。

 

フローストーンと石筍の結合。

 

つらら石。細いのは鍾乳管。

 

カーテン状の鍾乳石。

 

ホマーテ型石筍。盃を伏せたような石筍です。

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熊本旅行(3)日奈久温泉

2019-01-04 | 

八代市の日奈久温泉を散策しました。

 

日奈久温泉です。八代市街地の少し南にあります。

 

前の写真に見える山頭火句碑。種田山頭火は、昭和5年9月10日から3日間、おりやに宿泊しました。

「温泉はよい ほうたうによい・・・」と書かれています。

 

前の写真から海岸へ行くと、西南戦争の官軍上陸之地の碑があります。

 

明治42年に建てられた旅館の金波楼です。

 

温泉神社へ向かいます。

 

鳥居の横にある恵比寿。このような祠が多いです。

 

階段を登って温泉神社へ行きます。

 

温泉神社社殿。

 

温泉神社から日奈久温泉街と八代海を望む。

 

神社から下りて散策を続けます。これは大師堂で、弘法大師が祀られています。

 

上野窯です。

 

隣にある足手荒神。

 

金毘羅です。

 

目の神様。

 

不知火ホテルに泊まりました。温泉は晩白柚の湯でした。

 

夕食です。手の込んだ多くのおかずが並びました。

 

トマトの丸揚げ。他にスープの椀のパン包み、デザートなどが出ました。

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熊本旅行(2)八代城と松濱軒

2019-01-03 | 

八代城と松濱軒(しょうひんけん)へ行きました。

 

八代城の堀と石垣です。八代市役所の隣にあります。

 

八代城は細川忠興が治めていましたが、忠興没後、1646年、細川家筆頭家老の松井興長が入城し、その後松井家が治めました。

 

熊本では、熊本城とこの城の一国二城体制が認められていました。

 

八代城の役割は、薩摩藩を見張ることだったそうです。

 

前の写真に見える橋。

 

橋を渡って城内へ行きます。

 

橋から見た堀と石垣。

 

城内にある八代宮の門です。

 

八代宮社殿。

 

城の近くにある松濱軒です。

 

松濱軒の庭。松濱軒は八代城主三代松井直之が母のために建てた茶庭です。

 

お屋敷と池。

 

国の名勝に指定されています。

 

池に架かる桁橋。

 

お屋敷から見た池。

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熊本旅行(1)佐敷隧道

2019-01-02 | 

熊本県南部の旅行に行きました。

 

芦北町にある佐敷隧道の南側坑口です。

 

左側に換気設備が残っています。今は使われていません。

 

近景。

 完成:明治36年

 延長:433.5m

 幅員:5.5m

 

国登録有形文化財です。

 

内部。レンガトンネルです。

 

アーチ部。

 

右側。

 

左側。

 

チョークの跡は、点検・調査の跡でしょう。

 

反対側(北側)坑口です。

 

近景。

 

隧道から北へ行き、海浦と天草を眺めたものです。

 

斜面に、ミカン畑が広がっています。

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肥薩線の旅(4)

2018-11-16 | 

大畑駅から、いさぶろう号で吉松駅に着きました。

 

吉松駅です。かつての鹿児島本線、日豊本線の分岐駅であり、昔はにぎわったそうです。

 

蒸気機関車が展示されています。

 

運転席。

 

石倉。明治36年に造られた燃料庫です。

 

鉄道資料館。

 

昔の鉄道の資料が展示されています。

 

観光列車のはやとの風で、鹿児島中央駅まで行きます。

 

シックな雰囲気の内部。

 

大隅横川駅に着きました。5分くらい停車して見学できます。

 

ホームの柱に残る機銃掃射の跡。

 

駅舎内部です。

 

大隅横川駅の駅舎。明治36年開設の県内最古の駅舎です。

 

嘉例川駅のホームです。

 

駅舎内部。

 

これも、大隅横川駅と同じ明治36年の駅舎です。

 

前の写真の猫。以前、にゃん太郎という人気猫がいましたが、それとは違う猫です。

この後、鹿児島中央駅まで帰りました。鹿児島県、宮崎県、熊本県を巡る列車の旅でした。

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