鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

チキンライスの思い出

2009-07-03 | エッセイ
昭和40年代、父は種子島から東京へ出稼ぎに行っていた。
例年、正月前に帰省するのだが、家族6人で東京見物をすることになり、ある年の年末、母と子供たちで父の出稼ぎ先へ行った。
当時、飛行機は庶民のものでなく、西鹿児島駅から寝台列車で丸1日かけて東京へ行った。

着いたのは、江東区のビル建設現場にある父の飯場だった。
出稼ぎ者はみな帰省しており、残っているのは父と青森県八戸の人の二人だった。
その人は、私たちが来たことをとても喜んでくれたが、言葉がまるでわからなかった

東京、神奈川を見物し、日光にまで足を延ばして、家族旅行は楽しいものだった。
交通博物館という、一般の観光コースにないところへも行ったが、コースは全て父が決めていた。

ある晩、銀座のレストランへ食事に行った。
銀座というところを見せてやりたいという親心だったのだろう。
注文したのは、チキンライスだった。
おそらく、メニューの中で一番安いものだったろう。
値段は800円だった。
一般の食堂のチキンライスが200~300円のころである。
特に豪華でも美味でもなく、普通のチキンライスだった。
それどころか、量が少なかった。
華やかな銀座通りを眺めながら、家族で高いチキンライスを食べたことが記憶に残っている。

その後、母が自宅でチキンライスを作ってくれたことがある。
それを食べながら、話は自然と銀座で食べたチキンライスのことになった。
「東京のチキンライスは、たったこれくらいで800円もしたなあ」
私には、銀座のレストランのチキンライスより、母のチキンライスのほうがおいしく感じられるのだった。

今、チキンライスを見ることがなくなったが、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
コメント (4)
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