霧島市国分の、舞鶴城跡と大隅国分寺跡を紹介します。
国分小学校の朱門(あかもん)。
ここに、島津義久の御屋形(舞鶴城)がありました。
1604年に完成した屋形造りの城です。
朱門。
当初、舞鶴城内にあったものを移築したといわれています。
城跡の国分小学校。
城跡の石垣と堀の跡。
なお、この堀に石橋がありますが、次回紹介します。
左が国分小学校、右が国分高校です。
国分高校の塀と堀跡。
与謝野晶子、寛(鉄幹)の歌碑。
むら雨と山のあらしの末見せて 川波をどる国分郷かな 晶子
今日あへる国分の町のをとめたち 皆静かなりこの浦のごと 寛
少し西へ行くと、国指定史跡の大隅国分寺跡があります。
聖武天皇の詔によって、奈良時代末から平安時代初期に建立されました。
国分寺跡の仁王像。
国分小学校の朱門(あかもん)。
ここに、島津義久の御屋形(舞鶴城)がありました。
1604年に完成した屋形造りの城です。
朱門。
当初、舞鶴城内にあったものを移築したといわれています。
城跡の国分小学校。
城跡の石垣と堀の跡。
なお、この堀に石橋がありますが、次回紹介します。
左が国分小学校、右が国分高校です。
国分高校の塀と堀跡。
与謝野晶子、寛(鉄幹)の歌碑。
むら雨と山のあらしの末見せて 川波をどる国分郷かな 晶子
今日あへる国分の町のをとめたち 皆静かなりこの浦のごと 寛
少し西へ行くと、国指定史跡の大隅国分寺跡があります。
聖武天皇の詔によって、奈良時代末から平安時代初期に建立されました。
国分寺跡の仁王像。