鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

バイトの思い出(3)

2012-11-14 | エッセイ

学生時代は、貧乏学生だったのでアルバイトに明け暮れ、経験した仕事は20を超える。

学生アルバイトでは、その職業を理解したなどとは言えないが、一断面を覗くことくらいはできた。

 

鹿児島市郊外にある花火工場でアルバイトをしたことがある。

工場内では、打ち上げ花火用に、球状の入れ物に丸い火薬を詰める仕事をしていたが、アルバイトにはそんな難しい仕事はやらせない。

私がしたのは、仕掛け花火作りだった。

仕掛け花火は、さまざまな形を表現する花火であり、ナイヤガラの滝や富士山などというのがあった。

木枠に、決められたとおりに火薬の入った線を張り巡らせ、固定していく。

真夏の炎天下に、工場の庭で作業した。

 

湯之元温泉の花火大会に行った。

今は、打ち上げ花火は電気で点火し、間隔をコンピューターで制御するそうだが、当時は花火師が打ち上げ用の筒に次々と火をつけていった。

私が作った仕掛け花火も、さまざまな形をきれいに浮き上がらせていた。

自分が作った花火を眺めるという、貴重な体験をしたのだった。

 

その後しばらくして、その花火工場で爆発事故があり、死者が何人か出た。

私は、「自分がアルバイトしているとき爆発があったら・・・」と、思わずぞっとしたものだった。

 

霧島の牧場で、泊り込みのアルバイトをしたことがある。

草刈りの手伝いだった。

草刈りと、草を束ねるのは機械で行い、それをトラックに積み込む仕事だった。

これも真夏の仕事だったが、高原のため頬に当たる風が気持ちよかった。

この牧場では、競走馬を飼育しており広い馬場があった。

夕方仕事が終わってから、乗馬をさせてもらったが、広大な馬場を駆けるのは実に爽快だった(当時、私は馬術部にいて乗馬ができたのだ)。

 

夜は、牧場主の奥さんの手作りの食事をご馳走になった。

このとき、生まれて初めて食べたものに、鶏の刺身があった。

当時、種子島の実家では、鶏を生で食べる習慣がなかったのだ。

生で食べることに抵抗があり、このときはあまりおいしいと思わなかった。今は大好きである。

食事が終わり、庭に積まれた干草の上に寝転んだ。

高原の澄み切った夜空に満天の星が輝いていた。

乾燥した草の香りが心地よく、昼間の疲れと焼酎の酔いで、いつしか眠りに落ちていった。

コメント (8)
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