鶴丸城跡をもう少し見ていきます。
黎明館の裏にある御池。
池に架かる桁橋。
石灯籠と桁橋です。
田の神が4体あります。本物ではなく、鹿児島の有名な田の神のレプリカです。
これは、加治木町日木山上(里)の田の神。
姶良町平松触田の田の神。
武家屋敷の二つ家。横川町の海老ケ迫家を移築したものです。
「おもて」(左)と「なかえ」が合体した造りです。
武家屋敷の裏には、本物の田の神があります。
以上が、黎明館の裏側でした。
西郷隆盛が設立した私学校跡の石垣。西南戦争の引き金となったところです。
石垣には、西南戦争の銃弾跡が生々しく残っています。
私学校跡の門。
薩摩義士の碑です。
薩摩藩は、幕府から木曽川治水工事を命じられましたが、工事は困難を極め、84名の犠牲者と40万両を費やして完成させました。
総奉行の家老の平田靭負(ゆきえ)は、犠牲者と工事費の増大の責任をとって自刃しました。