池田湖の西岸にある池田馬頭観音を紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/71/ef0c255c3a60300cf4f182396fafdd40.jpg)
小浜バス停の少し北から、池田湖を眺めたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/78/b6d87822a30716a89e19593e19c8c7ea.jpg)
後ろを振り返ると、カルデラ壁の急崖となっています。
鳥居をくぐって進むと、馬頭観音があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bd/81f9982f652672caf4b3c1a135c56863.jpg)
溶結凝灰岩の垂直の崖があり、この下にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/82/3ba1d7fb6ece0e8a333a17974aa9dcb2.jpg)
池田馬頭観音の碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/38/b211c50e5f4ea542a6a6829549fd800f.jpg)
前の写真を正面から見たもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f5/0ed5f71f924f14e2e3aa99acb1e7869d.jpg)
崖の中腹(2枚前の写真の右上)に祀られている馬の像。
馬頭観音は、馬の健康や安全を願う守護仏で、馬の放牧が行われていたところなどに祀られています。
ここの馬頭観音は、古い歴史や伝説があるそうで、案内板に説明が書かれていますが略します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/71/ef0c255c3a60300cf4f182396fafdd40.jpg)
小浜バス停の少し北から、池田湖を眺めたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/78/b6d87822a30716a89e19593e19c8c7ea.jpg)
後ろを振り返ると、カルデラ壁の急崖となっています。
鳥居をくぐって進むと、馬頭観音があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/bd/81f9982f652672caf4b3c1a135c56863.jpg)
溶結凝灰岩の垂直の崖があり、この下にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/82/3ba1d7fb6ece0e8a333a17974aa9dcb2.jpg)
池田馬頭観音の碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/38/b211c50e5f4ea542a6a6829549fd800f.jpg)
前の写真を正面から見たもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f5/0ed5f71f924f14e2e3aa99acb1e7869d.jpg)
崖の中腹(2枚前の写真の右上)に祀られている馬の像。
馬頭観音は、馬の健康や安全を願う守護仏で、馬の放牧が行われていたところなどに祀られています。
ここの馬頭観音は、古い歴史や伝説があるそうで、案内板に説明が書かれていますが略します。
行くのに大変そうですね??
山が白く見えるのは山藤でしょうか??
山奥まで行かれてご苦労様でした。
馬頭観音は、放牧に適した所にあることが多いです。
ここは、崖の下に平坦地が少しあるところで、放牧にはあまり適さないところですが、なぜかありました。
ここに行ったのは、3月下旬ころで、山肌に白く点在するのは、山桜です。
道路から歩いて数分のところにあります。
一ヶ所だけ ご本尊が馬頭観音のところがありました。。
放牧・・・なるほどですね。
大宰府の九州国立博物館の近くに観世音寺って言うのがあります。
国宝の梵鐘 があるんですが そこに有名な馬頭観音があるんですよ。
博物館の様な明々したところに並んでおられます。
崖が何となく(色のせいか)柔らかく見えますね。。
鹿児島の他の場所にも馬頭観音がありますが、そこは広々した山で、いかにも放牧に適しています。
馬頭観音は、六観音の一つで、憤怒の形相をした像とのことですが、その像はありませんでした。
大宰府の馬頭観音、見てみたいです。
崖の岩は、石橋に使う溶結凝灰岩です。
わたしの曽祖父は、馬の繁殖農家で畑の横にある「馬の神様」という鳥居のある森に参っていました。
大正、昭和の初期と北九州市まで種馬の買い付けや馬の売買で行っていたそうです。
戦後の農地改革で、馬の放牧地のほとんどを取られ、幼いわたしに「あの土地もじいちゃんが馬を放していた・・」と嘆いていました。
その悔しさは、いかんともしがたいものだったろうと、このこごろ思うことです。
森には、さんご礁の岩を集めた御神体がありましたが、今はその森もありません。
そうですか。
種子島で、馬の繁殖をやっていたんですか。
平坦な土地が多いから、放牧地には適したでしょうね。
今もその土地があれば、大地主でしたね。
私の家も農家だったので、農耕馬は飼っていました。
農耕だけでなく、遠出をするときは馬で行っていました。