芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

孫の見守り

2024-12-17 07:06:07 | Weblog

突然に我が息子のトラさんから私のパートナーへの緊急依頼。

それは夕方のお迎えから数時間の夜間の時間帯に両親とも用事があるので助けて欲しいというSOS。

私にお願いすると「ノー」と断られると思っているのか、そのような依頼は必ず「お母さん」にしてきます。

毎日顔をあわせているわけではありません。

3時間という短時間といえども「おばあさん」だけでは対応は無理だろうとの判断で、私も同行することにしました。

 

優しく子どもや孫にも過度に気を遣うおばあさんは、百貨店で夕食のお弁当とデザート、そしてお菓子を購入。

荷物を両手に抱えた「おばあさん」と私はトラさん宅の最寄り駅で待ち合わせました。

実は私も孫が大好きなドーナッツを購入してきたために両手に荷物を抱えていました。

この時点ですでにバカ祖父母です。

まず向かったのは保育園。

お迎えも頼まれていたからです。

保育園で「ママ」が迎えに来ていないことに気がついた孫は大泣きです。

帰るよと説得しても5分程教室で泣いていました。

食べ物の話、アンパンマンの話、お散歩の話をしてなんとか気を紛らわせてから帰宅することができました。

当日は週末という事もあり、薄手の敷マットのお持ち帰りの日にも重なってしまいました

前が見えないほどの大量の荷物を私が抱えて、おばあさんが手をつないでの帰宅となりました。

自宅に到着すると、エアコンがついていて部屋も明るい状態。

気が利くなとも思ったのですが、部屋の鍵まで開いていることには驚きも・・。

せっかく用意した夕飯は殆ど口にしませんでした。

食べたのは「ピカチュウーのドーナッツ」。

耳をかじり、ほっぺたにある赤色のチョコを食べ、顔の真ん中に指を突っ込んでクリームを食べるという大胆さにビックリでした。

食べ終わるとiPadを本棚から持ち出し、パスワードを入れてユーチューブを見だした3歳の孫。

早業ザッピングのように人差し指を巧みに使って直ぐに画面をチェンジ。

その画面が全て英語バージョンであることにも驚くとともに、世代の違いを思い知ったしだいです。

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『Emotional Roller Coaster:エモーショナル・ローラーコースター』

2024-12-10 07:07:07 | Weblog

毎年、勤務校でも校内合唱コンクールを実施しています。

全国的にも中学校での実施が多いようです。

今年の合唱コンクール後に発せられたローダ先生の感想は「エモーショナル・ローラーコースター」。

一言でいえば、コンクールの結果発表で優勝したクラスは大喜びし、入賞を逃したクラスは涙を出して皆で悲しんでいました。

練習では、真剣に参加しない級友に対しての怒り、そして練習疲れによる落ち込みなど、正に感情のジェットコースターです。

 

アメリカ合衆国では合唱をしたい人がするそうです。

日本では人間教育を念頭にもおいてクラス単位で全員が合唱練習をする(させる)不思議さがあります。

 

約3か月前から行われるクラス毎の放課後練習。

中学生も忙しいのです。

放課後の通塾、放課後の習い事、そして放課後の通院など。

皆が集まってこその合唱練習ですから、それに参加できない級友がいることでクラス内ではイライラが発生して、その延長で毎年、クラス内で喧嘩が絶えずに発生しています。

時には親も巻き込んでのクラス内トラブルにも発展しているのも現状です。

 

さて、今年の合唱コンクールは、保護者の観覧も多いために公共の施設をお借りして実施しました。

来客数は保護者数×1.5を超えて計算したところ、在校生を考慮すると事前に予約してあった1200名収容可能な板橋文化会館では収まりませんでした。

実際には午前午後で学年を分けることで保護者を分散しての実施となりました。

校内合唱コンクールは教員審査により点数をつけることで優劣をつけたコンクールとなっています。

入賞できないクラスは悲しみで泣き出します。

優勝したクラスはおお喜び!

これぞ、まさに先ほど述べた感情のジェットコースターです。

このコンクールを通じて、クラスが団結するという人もいます。

人間関係を学ぶ場であるという教員もいます。

そのような意味から学校とコンクールの親和性があると言えるのかもしれません。

しかしながら、合唱が嫌な子もやらされることや部活動にも参加できない等のディメリットもあり、一部の生徒からは不平不満も出てくるのも当然です。

問題や課題があっても終わりよければ全てよしとしてしまうのが、例年の学校行事です。

さて、来年の行事となっている。

このようなコンクールの特性などに興味がある方は、ぜひ宮入恭平・増野亜子、神保夏子・小塩さとみ「コンクール文化論」青弓社の一読をお勧めします。

 

 

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『七五三の祝い』

2024-12-03 07:07:07 | Weblog

私には子どもがいますが、神社で七五三のお祓いをしたことはありません。

友人から5歳用の晴れ着を購入して写真館で写真をとって、神社にて賽銭を入れて健康をお願いした程度でした。

 

時が経ち、私も「おじいさん」と呼ばれるようになってしまいました。

今年の11月は5歳の祝いと3歳の祝いの実施。

5歳の男の子は自宅近所の神社で3歳の女の子の祝いは王子神社で実施しました。

自分の今後の人生の中でも、このような非日常的なイベントは、ありそうにもありません。

そこで私も仕事を早引けしての参加をしたしだいです。

祖父母も七五三の祝いに参加するのは少子化現象の象徴かもしれません。

5歳と3歳の今回の子どものお祓いには、当然のこととして祖父母、叔母も出席したのです。

祈祷の時間は約10分間。

お金を払っているのに短いとも感じましたが、子どもが座っていられる限界時間からすればしょうがないかもしれません。

 

自宅そばの神社はこじんまりしていることもあり1家族のみでの祈祷。

それに対して王子神社は30分刻みで、何組もの家族が祈祷を受けていました。

両神社に共通するのは、祈祷が終わると「千歳飴」が貰えることです。

三歳児は千歳飴に加えられていた、吹き戻し(ピロピロ笛)に大喜びでした。

私は定刻に到着するように神社に到着すると、一通のメール着信。

それは、私の息子のトラさんが寝坊したので30分遅れるというメールでした。

いつまで経ってもトラさんらしいというのが私の感想です。

30分後に神社に主役の家族が到着。

3歳児は髪にはカラフルな飾りをつけて赤が鮮やかな着物を着ていました。

それは母、姉、従姉妹が着用してきた着物だそうです。

三歳児の母も着物を着用。

それは私のパートナーが1、2回しかきていない三松の着物がプレゼントされたものでした。

そして、何と父親のトラさんも髪を綺麗にカットして着物を着用。

彼に対しては、「好青年のように見える」との言葉をかけた私です。

式典後には、近場の飲食店にて両家でランチをして解散。

「みてね」という写真共有サイトを見て、とってもほのぼのとした良いイベントだったと思い返している私です。

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『今年も残り一ヶ月』

2024-11-26 07:07:07 | Weblog

今年も残り一ヶ月となりました。

月日の経つのは本当に早いものです。

お陰様でボケるのを忘れさせてくれるように仕事以外でも1週間に一回はちょっとしたイベントが入っています。

先日は大正大学の先生との飲み会でした。

大手門学院大学の事務員だったTさんが今年の4月から大正大で教鞭をとっており、彼と語ろうということで学会繋がりの四名にて久しぶり会が行われました。

 

来週は横浜アリーナで行われる「日本体育大学」の「体育研究発表実演」に行くことになりました。

日体大で教員をしているパートナーの友人からの誘いもあり、今回は特等席での鑑賞。

会場のある新横浜へは職場のある王子から乗り換えなしで約1時間。

18時開演なので仕事が終わったらすぐに会場に向かいたいと思います。

 

先々週は武蔵小山の神社にて七五三の5歳の祝いに出席しました。

今週末は王子神社での3歳の祝いに参加することになっています。

勤務を早退しての出席となりますが、そのようなイベントに参加できるのは一生に一回しかありませんから、それも今から楽しみです。

 

12月に入ると2学期期末考査が行われます。

12月の中旬には、人生初のバレー講演鑑賞です。

義理のお父様が仕事関係からチケットをいただくことが多く、昨年から其の「おそそわけ」していただいています。

昨年は新国立劇場でのピアノリサイタル、今年は東京文化会館でのバレーの鑑賞と文化的なイベントを経験することが続いています。

ウクライナの国立バレー団は白鳥の湖も行うそうです。

素人の私にとってはありがたい限りです。

今から、それも楽しみです。

その前後に、生まれ故郷に行き墓参りと新年にむけてのみかん購入、そしてできれば親戚訪問で年をしめることになります。

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『震災ツーリズムに関する卒業論文作成のお手伝い』

2024-11-19 07:07:07 | Weblog

先日、仕事上でお世話になっている石巻の元校長先生から電話がありました。

その要件は東北大学の学生が卒業論文で震災ツーリズムについて書いているのですが、旅行を企画してきた立場からヒントを与えて欲しいとの依頼でした。

お世話になっている方からの依頼なので、喜んでお引き受けした次第です。

その学生さんは、群馬出身で社会学を専攻されているそうです。

11月に実家に帰省する予定があるので私の都合の良い日に合わせて職場に来ていただくことにしました。

当日現れたのは地味で真面目そうな女子大生。

開口一番、彼女に私からは卒業論文ってこんな時期まで取り組んでいるんですか?との柔らかな、そしてチョット意地悪な質問をしました。

それに対しては、私のんびりしているんですとの返答でした。

 

当日は、彼女からの質問に対して私が返答するインタビュー形式でのやりとり。

私がその学生さんに力を入れて語ったのは、震災「語り部」についてです。

・当初は、被災された方々から仮設住宅で、震災体験を直接聞けることに価値があったこと。

・家族や家を失い孤独な老人たちは、車座になって、茶飲み会形式で高校生の訪問を喜んで受け入れていただけたこと。

・プロの震災語り部ではない普通の地元の人々からの震災経験談は、高校生たちの心に響いたこと。

 

しかしながら、復興が進んだ今は職業としての「語り部」が気に掛かるのです。

仮設住宅に暮らしていた多くの人々が、コンクリートで出来た複層階の復興住宅に住み人的な結びつきが弱まってきているので、当時と同じことはできません。

現在、南三陸の津波の被害を被った旧庁舎の震災遺構について語るガイドさんはハンドマイクを片手に持ちながら、スラスラと説明をされています。

団体旅行客が震災遺構に立ち寄った際のオプショナルツアーとなっていることがどうも私には気に掛かるのです。

かろうじて、多くの小学生が犠牲になった大川小では、その犠牲者の父親である元中学校教諭のSさんからの力の入った「語り」からは自然と涙が出てしまいます。

大川小と、本校の震災ツーリズム実施に協力的な元校長先生により商業的でないオリジナルな旅となっているので、現在まで旅が継続されていることをお話しさせていただいた次第です。

 

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『成人式と着物』

2024-11-12 07:07:07 | Weblog

先日、学生時代の親友のOSA君と会いました。

ドアの鍵は閉めたのですが掃き出し窓のロックを閉め忘れた私。

アパートに帰ると知らぬ間に彼が部屋に帰り布団を敷いて寝ていることがありました。

それぐらいに仲の良い間柄でした。

そんなOSA君が学卒後に就職したのは大手着物販売店です。

彼からは着物と5歳の子供用に羽織と袴を購入させていただきました。

彼との再会をきっかけに田中治彦さんの『成人式とは何か』を読んでみました。

 

さて、「成人の日」は1948年に制定されています。

現在の成人式が満20歳で行われているのに対して、民族としての成人布は13歳ないし15歳という若い年齢。

成人式が1948年制定と聞くと成人式と成人布が混同されているのではないかとも思われます。

1960年代の前半の成人の日の参列はスーツ、普段着、訪問着、振袖などが交じっていましした。

1967年頃に晴れ着ブームが始まったとノンフィクションライターの窪田順正さんが指摘されています。

1960年代の後半から晴れ着で成人式に出席する女性が徐々に増加しています。

1960年代から1980年代にかけては、国民所得も伸びました。

成人式の服装に費用をかけられる家庭も増加したために、成人式に参列する新成人は晴れ着を着るようになったのです。

つまり、晴れ着の販売がその時代に増加しているのです。

成人の日に晴れ着を着るブームを作り出したのは1970年に刊行された塩月弥栄子『冠婚葬祭入門―いざというとき恥をかかないために』であるとこの本では指摘されています。

同書には「親は成人式を迎える娘に晴着を贈って祝ってやる」の項目があります。

その累計販売約700万部のベストセラーとなったことからも、その本の影響が大きかったことが容易に想像できます。

 

1991年1月6日の日本経済新聞には以下のことが書かれています。

 

「卒業式に着る黒い羽織(PTA羽織とも言われた)がパタッと売れなくなり、あわてた生産地の新潟県十日町の業者が振りそでの生産に切り替え、大衆化路線に歩み始めたのが普及にはずみをつけた」とのことです。

 

静岡市呉服商組合の渡辺実組合長「成人式がなくなるかどうかは死活問題。

和服全体の売り上げは10年前より3~4割も減った」と述べられています。

呉服小売金額が1982年の約1.8兆円から2013年には3000億円と大幅に減少。

約30年間で6分の1にまで縮小。

そのうち約4分の1は成人式での売り上げだそうです。

いまだに晴れ着や着物の販売は減少し続けています。

成人の日がかろうじて、その売りあげ減少の歯止めとなっていますが、今後の人口減少を考慮すると減り続ける事には間違いがなさそうです。

 

それにしても、OSA君はいい時期に入社して、いい時期に会社を去っていると思った私です。

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『しっー』静かにして下さい。

2024-11-05 07:07:07 | Weblog

口の前に人差し指を立てて「シー」。

これは日本だけではなく、世界で通用するサインのようです。

つまり、「シー」は「静かに」の「し」ではないのです。

一説によると、「シー」は赤ちゃんが静かになる音。

検証してみたい気がしますが、泣いている赤ちゃんに「シー」をすることは難しそうです。

というのも「シー」を発した人は他の人から冷たい人と見られる可能性があるからです。

それでは、口の前に置かれる人差し指はどんな意味を持っているのでしょうか。

お口チャックであれば、人差し指は立てずに、口と平行に置けば良いようにも思われますが。

あるいは、手をパーにして口を隠すポーズをしても良いように思われます。

「なぜ、人差し指を閉じた口の前に立てるのか?」に対してあるアメリカ人の人文学者は推測されています。

その人差し指は「おしゃぶり」を表している。

確かに、グズっている赤ちゃんに「おしゃぶり」を咥えさせると静かになります。

高校生に対しても私は時に「シー」と言いながらこのポーズをとります。

中学生にも、高校生にも、大学生にも「あかちゃん」のような生徒や学生がいるんだと考えただけで、授業中の私語も気にならなくなる私です。

 

赤ちゃんはすやすやと寝ているだけで、カワイイですね。

高校生でも赤ちゃんのように授業中に寝てしまう生徒が時にいます。

見かけは高校生であっても赤ちゃんなのだと我に言い聞かせてはいますが業務上、寝かしておくわけにはいかないのです。

しかしながら、ある生徒はおこしても起こしてもすぐ寝てしいます。

その状態は、夜中中起きていた生徒のように一瞬にしての寝落ち。

あるいは何らかの薬を服用していて、その副作用。

当然のことですが寝ている生徒は定期考査の成績も芳しくありません。

授業中に私語している生徒に「おしゃぶり」を提供することで問題は解決しそうですが。

寝ている生徒への対応は大きな問題です。

というのもなかなか「自己責任」と言えないのが学校の置かれている状況だからです。

落第者を出すとその科目担当者の実力不足と捉えられ、補習講習というプラスの仕事が私に科されてしまいます。

さて、この問題をどのように料理しようかと思慮している私です。

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『桜美林大学ゲスト講師』

2024-10-29 07:07:07 | Weblog

さて、先日、初めて桜美林大学に行きました。

町田キャンパスとはなっていますが、最寄り駅は「町田」ではなく「長津田」。

「長津田」駅を降りてすぐのロータリーには大学への循環バスが10分おきに出ていました。

昼頃のバスに乗車したのですが、バスは多くの学生でほぼ満員。

大学に到着するのに自宅から約1時間半。

移動だけで疲れを感じた私でした。

アメリカにある大学のように塀がない大学。

こじんまりした大学ではありますが、開放感も感じるような校舎で構成されていました。

久々に学食で昼食を食べようと思っていたのですが、13時半過ぎには既に閉店。

学食や学内の喫茶店は終日オープンしていると思いこんでいたので、大学によってそれらの運用の違いがあることに気づきました。

 

さて、今回、桜美林大学を訪問した理由はそこで内のパートナーが非常勤で勤務しており、その授業の50分を使って講義して欲しいとの依頼があったからです。

具体的な講義内容は、「実際に中高の体育の教員になる学生たちと一般企業に就職はするが教員免許取得に励んでいる学生に向けて、現職教員から学校の今を語って欲しい、学生をやる気にさせて欲しい」とのなんとも曖昧な、そして難しい依頼でした。

結局、久々に大学生に向けて語りたいとの気持ちが勝り、依頼を引き受けました。

 

教室にはパソコンが常備されており、それにUSBを指すとパワーポイントが投影されました。

講義の冒頭では夫婦で同じ仕事場に立つのは自営業者か、それとも漫才師か?との一言で彼らの注意を集めて、あとは準備したパワポのスライドをもとに一気に話を進めました。

授業の途中で、貧血で倒れた学生がいて一時中断しましたが語りたいことは全て語れたと思います。

クリティカルな内容を入れ込んで授業を進めることの方が私の好みなのですが、今回はそれを極力抑えました。

「教員の仕事はいいよ!」「社会人経験をした後でも教員もいいかもよ」

教員でなくてもスポーツが好きで教員免許も有しているあなた方であれば、地域でのスポーツ伝道師として活躍して欲しいとの言葉で締めました。

パートナーの授業も初めて見学できて、記憶に残る1日となりました。

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『職場の先輩と卒業生と私』

2024-10-22 07:07:07 | Weblog

毎年年賀状を送ってくれる卒業生Iさんがいる。

Iさんは幼い頃にそろばん塾に通っていた。

その塾長のA先生が一時期、私の勤務校でも非常勤講師として勤務されていた。

IさんとA先生と同一教科を教えていた私の関係。

ことあるごとに、IさんからはA先生を交えてお酒を飲みたいとの声を聞いていた私。

20代だったIさんも今は51歳。

SNS経由でメッセージがあり、3名で会って飲むことになりました。

A先生は大学卒業後から学習塾を経営してきました。

景気の良い時には生徒も多く、なんと月収300万円。

その当時は高級車のベンツも所有され、戸田ボートへよく行かれることも話をされていました。

そんなA先生も現在は78歳。

10年程前からパーキンソン病と戦っているそうですが、酒を飲む量は病気であることを感じさせない飲み方でした。

年金も少なく、自営業なのでずっと働かなければならないとも仰っていましたが生徒対応が好きなので、半分仕事半分趣味として仕事をされているのだと思われます。

 Iさんは私が20代後半にクラスをもっていた時の生徒でした。

明るくおとなしい生徒であったとの印象でしたが、当日は豪快に酒を飲み、よく喋る気の強い普通のおばさんになっていました。

 17年間の結婚生活後に離婚をされたそうです。

バツ1となり、仕事を掛け持ちしながらも二人娘さんも育てあげたとのこと。

気が強くなるのも当然のことだと納得してしまいました。

彼女に私の印象を聞いたところ、冷めているというか、クールというか、生徒との距離をしっかりとっている先生だったとのこと。

「他の先生に私自身がクラスのことで注意をされるので、君たち、しっかりしてくれ」と言っていたとのこと。

今の私なら絶対にそのようなことは言いませんが、当時の私なら言ったかもしれないと自己反省した私でした。

16時から飲み始めたらあっという間に20時になっていました。

頻繁に会う仲ではありませんが、また会いましょうと解散した次第です。

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『目黒のトンカツ』

2024-10-15 07:07:07 | Weblog

理由は不明ですが目黒駅周辺にはトンカツの有名店が何店かあります。

それは「とんき」、「かつ壱」、「大宝」の3店です。

今夜は、相方が友人たちと個人を偲んでの麻布十番での飲み会とのこと。

そこで、久しぶりにトンカツが食べたくなった私。

帰宅帰りに目黒で途中下車してホリプロ側の「とんき」に向かいました。

店に到着後、店の中を覗くとビックリした私です。

そこは一階に35名、2階に35名と70名を収容できる大きなトンカツ店です。

一回しか行ったことはありませんが、大きなコの字型の白木でできた大きなカウンターがある店です。

そこのカウンターが満席だけでなく、それを取り囲むようにほぼ同数のお客さんたちが店内で立って待っていることには驚かされました。

ざっと計算しても、店に入り順番待ちして席に着くまでに1時間近くかかりそう。

待つのを好まない私は、そこの列に並ぶのを諦めて次に店に移動したのです。

ヒレカツ定食とロース定食がそれぞれ2300円。

次回に期待したいと思います。

次に向かったのは「大宝」です。

そこは日出女子高校(現在の目黒日大高校)のそばにあるカウンター7席の小さな店舗です。

ここも人気店で行列の絶えないトンカツ屋なのですが、幸運なことにカウンターの1席が空いていたので、ここでトンカツを食べることにしました。

初めての大宝でのトンカツは美味しかったです。

食べた後も全然胃もたれしないのです。

大きな特上ロースは300グラム位ありそうでしが、やわらかくてサクサクしていて本当に美味しくいただきました。

上記、2店の共通項目なのですが両店とも外国人の料理人が多く働いています。

大宝は6名の店員の全員が外国人でした。

料理においても巧みな技があるのは、日本人ではなく外国人だと再認識した次第です。

帰りがけに、3番目の店舗「かつ壱」の場所も確認してきました。

そこは目黒駅前すぐのビル地下1階にありました。

ここはカウンター中心に17席ある居酒屋のような店舗でした。

店前にはグループで訪れたと思われる人々が10名ほどで列を作っていました。

先ほどの店で食べることができてよかったと安堵した私でした。

次は、まだ食したことのない「かつ壱」にはぜひ行ってみたいと思います。

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『O美林大での特別講義』

2024-10-08 07:07:07 | Weblog

中学、高校の体育の教員になる大学4年生の学生たちに対して、1コマの講義をする依頼を受けました。

体育教育は専門ではないので、この話は断ろうと思いましたが現場の教員としての話をして欲しいと強く懇願され引き受けた次第です。

なんでも良い、現場の話しであれば私も気が楽なのです。

しかしながら教員になる、ならないは別に体育専攻者にとって役に立つ講義をして欲しいそうです。

学校に教師として採用され働こうが、一般企業で働こうが単なる働く「場」の違いだと私は思っています。

さらに言えば、大学で専門的に学んだことも直接にはほとんど役に立たないのではないかとも思っています。

強いてあげれば、体育や健康についての知識を有している点で他学部の学生との違いがある程度だと。

以下は、特別授業で聞きたい質問の抜粋です。

 

「50分の使い方」

→ 導入、授業、まとめが授業のワンサイクルだと思います。

一番言いたいことは自分で考えなさいと言いたいです。それだけです。

 

「整列のさせ方」

→地べたに座り、足を抱える体育座りは極力止めた方がよいのでは?と言うつもりです。体育座りは人体拘束ポーズに他なりません。

他から見て綺麗な座り方ではなく、説明を聞きやすいような並びかたではどうでしょうかと。

 

「より専門的な指導法やコツの伝え方」

→すぐに役立つコツやハウトゥーを求める傾向が今の若者には強い気がします。常に向上心を持ち、日々の反省を生かしながら教材研究していくことで伝わる教師になることが出来ると思うのですが・・

 

「体育に関して、それぞれを教える中でのポイント」

→これも初学者や未経験者にとっては不安解消のために、すぐに手に入れたい知識だと思われます。

これに関しては心配入りませんと即答します。

というのも、約2000円の検定教科書に対応して、生徒は教科書ガイドを購入。

教員対象には一冊約50000円ほどの指導マニュアルが販売されているからです。

それを活用すれば、教師初心者であってもある程度のレベルの授業となる指導方法や、確認テスト、定期考査もコミコミです。

英語の場合には音声も含まれていて、パワーポイントを開きながらの授業が可能となっています。

このような話を学生たちにするつもりです。

ということで初めてのO美林大学での学食体験や特別授業が今から楽しみです。

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『シミズエスパルス サッカー観戦』

2024-10-01 07:07:07 | Weblog

 先日、「シミズエスパレス」のサッカー試合観戦に国立競技場に行ってきました。

昨年は一人での観戦。

初めてみた昨年の試合開始前のショーや、両チームの熱い応援など、すべてが新鮮であり、この歳にして初めての感動もありました。

そこであの感動や雰囲気をパートナーにも伝えたく、今回は2人での観戦となりました。

今年はシーズン前からシミズエスパルスのライト会員にもなり、チケット発売日に発売されたプレミアムシートをゲットすることができました。

ところで今までの国立競技場の私のイメージは、あまり良いものではありませんでした。

というのは席と席の前後の間隔が狭すぎてトイレに行くのも大変だったからです。

しかしながら、今回のプレミアムシートは裏手にエアコンの効いた待合室やトイレもあり、なおかつ座席にはクッションが付いていて袖椅子であり快適そのもの。

4万名に無料配布されたオレンジ色の「432(シミズ)」の背番号のついた応援シャツを着て、快適に試合観戦をすることができました。

ところで今回の試合のキャチコピーは「国立(ここ)は静岡!」

静岡出身で首都圏在住者の心に響くキャッチコピーでもあり、昨年以上の観客動員数が発表されていました。

それは昨年のそれが4万7千人であり、今年は5万5千人を超えましたことからも明白です。

なお、それは今年のJ2リーグ観客動員記録だったようです。

鈴与プレゼンツの試合前のドローンはイマイチでしたが、会場が暗くなった時に浮き出されたオレンジ色のペンライトの多さでオレンジに染まった会場には本当に驚かされました。

試合は前半は膠着状態でありゴールキーパーへのパスの多さがやけに目立っていました。

しかしながら、後半は横浜FCが先取点をあげると、シミズも選手を三名同時に代えて猛攻撃をしかけて1点をとり、最終的に同点での終了となりました。

その後、地元で一杯飲みながらの反省会で盛り上がった夜となりました。

*清水出身の春風亭昇太さんも現場で応援されていました。

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『多くの人々と会った9月』

2024-09-24 07:07:07 | Weblog

8月は殆ど山にこもり、人と会わない月でした。

しかしながら、9月に入るとそれが一転。

多くの人たちと会った9月となっています。

まずは、弟。

こちらから連絡をとり、墓参りに2人で行きました。

数年ぶりの差しでの寿司屋での食事をしました。

今回は車だったので飲みませんでしたが、次回は盃を交わしたいものです。

 

2008年卒の多くの卒業生たちと彼らの同窓会に参加して再会しました。

女性人の中には結婚して、幼い子どもが1~2名いる方も何人もいました。

彼女たちは子どもをご主人に預けて、同窓会に参加するパワーのある女性たち。

それが普通になったのかもしれませんし、強い女性しか参加していないのかもしれません。

 

加えて、多かったのは自営業、特に不動産業を営んでいる方が多いことを感じました。

これもある程度のお金と時間的な余裕があるからこそ同窓会に参加していたのかもしれません。

 

孫の誕生会ではあちらの親族の方々にも、4月のハワイでの結婚式の旅行以来、再会しました。

盛り上がって2件目酒場まで行ってしまいました。

 

加えて、FACEブック経由で昔々の卒業生からのメッセージもいただきました。

今度、折を見て彼女が通塾していた塾長と彼女(約60歳)と一席設けることになりました。

駅で待ち合わせていますが、お互いを認識できるかどうか、少々不安です。

 

先日、現風研からは10月にある研究会のご案内が届きました。薗田先生が東大で権田保之助について語られるそうです。久しぶりに参加してみようかなと思っています。加藤さんや宮入さんもいるかもしれません。

 

ということで、いろいろな方々と会った9月はなんだか普通の月と比べて長く感じる私です。

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『孫の誕生会』

2024-09-17 07:07:07 | Weblog

私が子供だった頃、お年玉はいただいていましたが誕生日に祖父母からのプレゼントをもらった記憶はありません。

そもそも、「誕生会」を実施する過程は、ある程度のお金のある一部の家庭だったと思われます。

 さて、最近では結婚しない人たちも増えていますし、子どもを産まない人々も増えています。

実際に東京の出生率は0.9になったことも報道されていました。

子どもが少なくなることで、両親の一人の子どもにかける期待や教育費は確実に増えるのも当然です。

それを裏付ける現象の一つが首都圏の中学受験者数の毎年の増加です。

実際に子どもの数は49年間連続して減少し続けているにも関わらず、2014年に4万2800人だった中学受験者数は2023年には5万2600人と約1万人が増加しているのです。

当然の事として少子化現象により、祖父母から孫に対しての「まなざし」も増えていると思われます。

私の勤務する私立中学が年に何回か実施する「学校説明会」には保護者に加えて祖父母も同席される方が確実に増えてきました。

1人の受験生に対して六人の金銭面での支援者がいるのです。

勤務校においても最近の私立中学受験ブームの影響もあり、中学のある学年ではA組からG組まで7クラスでの編成がされています。

 

さて、私に関してですが今年の5月には神社で実施した七五三のお参りにも参加してきました。

先日は9月に誕生日を迎えた孫を囲んでの祖父母や叔母同席の誕生会が実施され、飛鳥山にある子どもが入りやすいレストランで行われた食事会にも参加してきました。

3歳の誕生日を迎えた孫はウエディングレース風のドレスを纏い、多くのプレゼントを手にして喜んでいました。

孫への過大なる関与と見れば、「バカ祖父母」と思われてしまうかもしれません。

しかしながら、視点を変えてみると葬儀などの不幸の時しか会わない親族が、「誕生会」という口実で酒を交わしながらの親交を継続するという機会になるとも思われます。

いつまで関われるかわかりませんが、健康な限りは参加していきたいと思った次第です。

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同窓会への出席

2024-09-10 07:07:07 | Weblog

2008年卒業生から同窓会への出席をお願いされました。

実施場所は上野駅そばの会館?

グレースバリと書いてあったのでカラオケ会館かもしれません。

参加予定者は約100名。

10名弱の現職教員も参加するそうです。

実は2008年卒業同生には大学卒業後から母校で教員として勤務しているT先生もいます。

彼から同窓会に是非とも私も同窓会に参加してほしいとの強いお願いがありました。

アンケートを実施したところ、私も参加してほしい教員の一人であるとの声が強くあがったそうです。

2008年卒は勤務校が女子校から共学校になった「共学2期生」の年代の卒業生たちです。

実は40年以上に渡る私の教員生活の中で僅か2年間だけ女子中学の教員をしていた時期がありました。

当時は私立女子中の人気もなく、1クラス20人程度。

2クラス構成の学年だったと記憶しております。

(なお、今は1クラス40名で4クラスですから1学年160名が在籍しています。)

当時の2年間に私が中学担任をしていたクラスの生徒たちが共学高校の2期生に該当する訳です。

参加の可否をしばらく考えたのちに同窓会に参加することにしました。

「母校を愛する人々の集い」は今風に言えば、「ファンミーティング」でしょうか。

9月になってもまだ暑い日の実施は、今風に言えば「夏フェス」とも言えそうです。

彼女たちもすでに30歳半ばです。

幹事さんもしっかりしており、2か月前には結婚式の出席確認のようなカードもいただき、それに同封されていた返信ハガキも返送済みです。

さらに、開始日の1か月前、2か月前の各節目には参加予定の教員のユーチューブ動画を流すなど、とても手が込んでいます。

参加する彼女たちは、いったいどのような大人になっているかが今から楽しみです。

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