先日、仕事上でお世話になっている石巻の元校長先生から電話がありました。
その要件は東北大学の学生が卒業論文で震災ツーリズムについて書いているのですが、旅行を企画してきた立場からヒントを与えて欲しいとの依頼でした。
お世話になっている方からの依頼なので、喜んでお引き受けした次第です。
その学生さんは、群馬出身で社会学を専攻されているそうです。
11月に実家に帰省する予定があるので私の都合の良い日に合わせて職場に来ていただくことにしました。
当日現れたのは地味で真面目そうな女子大生。
開口一番、彼女に私からは卒業論文ってこんな時期まで取り組んでいるんですか?との柔らかな、そしてチョット意地悪な質問をしました。
それに対しては、私のんびりしているんですとの返答でした。
当日は、彼女からの質問に対して私が返答するインタビュー形式でのやりとり。
私がその学生さんに力を入れて語ったのは、震災「語り部」についてです。
・当初は、被災された方々から仮設住宅で、震災体験を直接聞けることに価値があったこと。
・家族や家を失い孤独な老人たちは、車座になって、茶飲み会形式で高校生の訪問を喜んで受け入れていただけたこと。
・プロの震災語り部ではない普通の地元の人々からの震災経験談は、高校生たちの心に響いたこと。
しかしながら、復興が進んだ今は職業としての「語り部」が気に掛かるのです。
仮設住宅に暮らしていた多くの人々が、コンクリートで出来た複層階の復興住宅に住み人的な結びつきが弱まってきているので、当時と同じことはできません。
現在、南三陸の津波の被害を被った旧庁舎の震災遺構について語るガイドさんはハンドマイクを片手に持ちながら、スラスラと説明をされています。
団体旅行客が震災遺構に立ち寄った際のオプショナルツアーとなっていることがどうも私には気に掛かるのです。
かろうじて、多くの小学生が犠牲になった大川小では、その犠牲者の父親である元中学校教諭のSさんからの力の入った「語り」からは自然と涙が出てしまいます。
大川小と、本校の震災ツーリズム実施に協力的な元校長先生により商業的でないオリジナルな旅となっているので、現在まで旅が継続されていることをお話しさせていただいた次第です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます