浜松で壮年期を過ごし、やがて徳川幕府を開いた徳川家康を、浜松市が家康ゆかりの地とまとめたパンフレットがあります。
そこには、浜松城をはじめ、武田軍と戦った三方ヶ原の戦いに関するものや、在任期間に関連する15の関連施設等がまとめられています。それらを、そのパンフに沿って訪ねていますのでご紹介します。
今回は8番目の「本多肥後の守忠真の碑」です。場所は浜松城から2~3km北へ向かった浜松市犀ヶ崖資料館の敷地の一角にあります。
↑ 浜松市犀ヶ崖資料館。 この左方奥にその碑はあります。
(設置された碑の周辺と解説板 )
そこの説明文には武田軍との戦いに大敗した家康が逃げ帰るときの最後部・殿(しんがり)を忠真が務めたが、武田軍の中に刀一本で切り込み討ち死にしたとあります。(上の小画像も参考にしてください)
この碑には、本多家が代々松平家・徳川家に仕えたことや 忠真が数々の戦いで功績を残したことが記されています。
※ 家康の散歩道は15回まで続きます。全コースのご紹介は本年1月11日の当ブログのプロローグでご紹介しています。