2日目は 6時から朝食 7時半に出発。
上天気で やはり暖かでした。
29番 国分寺(こくぶんじ)
日本国中に国分寺がありますが
こちらの 土佐国分寺は 本堂の 杮葺き寄棟の屋根が
素敵ですね。
28番 大日寺(だいにちじ)
27番 神峯寺(こうのみねじ)
「まっ縦」と呼ばれる 土佐最大の難所の急坂。
ここは バスに乗せてもらっているだけでも つづら折りの坂が
怖かったけど バスを降りてからも さらに歩く急な坂。。。
すごかったわ!!
歩き遍路さん どんなにしんどいか ちょっとだけ体験。
26番 金剛頂寺(こんごうちょうじ)
しんどくて 写真はありません。
この後 近くのお店まで歩いて やっとお昼ごはん!
もう 午後2時でした。
ウメイロという高級魚の刺身と 鯛と鰆のヅケの海鮮丼
美味しかった!ので 元気を取り戻しました。
ゆっくりする間もなく つぎへ!
25番 津照寺(しんしょうじ)
見て見て!この石段!
境内から見える太平洋 絶景です。
24番 最御崎寺(ほつみさきじ)
若き日の弘法大師が悟りを開いた室戸岬にあります。
殆どのお寺で 私たちが本堂と大師堂をお参りしている間に
ご朱印をいただける(添乗員さんがまとめて)のですが
すごく時間がかかっているとの連絡で(高齢の女性一人で
対応されていたようです)
お寺から歩いてすぐの 室戸岬灯台へ 先達さんの案内で
ちょっと散歩。
津波避難タワーかあちこちにあります。
そして 御朱印が揃い バスで山の下まで下りて
海のそばにある 御厨人窟(みくろど)へいきました。
札所ではありませんが 空海が修行し 悟りを開いた
洞窟があります。
昔行った時は 中に入れたような記憶がありますが
落石の危険もあって 近づけなくなっているので
柵の手前で ご真言をあげました。
この洞窟に籠もって修行している間 見えるのは 目の前の空と海だけ。
その景色に感動して 「空海」と名を改めたとは 有名な話。
これで 2日目のお参りは終わり 高知県を後にして
徳島県海部郡海陽町のホテルに 泊まりました。
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まぁ~観光旅行じゃないけど、、、元気でなくっちゃ
体力づくり、メンテ して、達成目指して頑張ってぇ
8時から御朱印受付になりましたので これでも出発はゆっくりなったそうです。
旅と言えば 見たことない美しい景色 上げ膳据え膳の美味しいご飯
お土産いっぱい買って・・・家に帰ってホッとする ですよね。
そこらへんが ことごとく なくて(景色がほとんど目に入らず 味がわからず
ホテルに何でか売店もないので お土産を買うまもなく)
遊びじゃないんだなって思いますね。
29番国分寺から昨日 令和7年の智山御寶暦が届いたところでした。
29番は平地の札所なので嬉しいですが『つでら』と呼ばれ親しまれた津照寺は
はるか天まで届いているのか!という急な長い石段修業がありました。もう私は上れません。
室戸の御厨人窟は 今は入れないのですね。
徳島の札所から私は高知の札所へと参拝しましたが
そうか ようさんは逆打ちでしたね。
泊りつつの巡礼は宿で一日の疲れを癒せるし その地の郷土食が出るでしょうから
楽しみですね。がんばってください 応援しています。
来月 2泊3日で 徳島の残りのお寺 18か寺 を回ることができれば 満願となります。
12月ですから 寒いのは覚悟しているとはいえ 雪など降らないで
無事実行できるよう 祈るばかりです。
お遍路ころがしと呼ばれる難所が 7か寺あるそうですが 今回だけで3か寺あり
それより以前を含めると 6か寺クリアしました。
あとは 来月の 焼山寺を残すのみです。
バスツアーですから 歩きの方より ずいぶん楽なのでしょうけどね。
元気なうちに行けており うれしいです。
宿の料理は多すぎて 少食の夫は おなかの調子がすっかり狂って 困っていました。
そうですね~アチコチで国分寺と聞きますね~
お寺さんの階段やら・・・お年を召した方々には大変すぎますね。
ようちゃんご夫妻は良い時にまわられてます。
空海のお話・・・なんか少し聞いたことがあるような・・・
良いところも見られて良かったですね。
お遍路ではありませんが、夫の従弟夫婦も2泊三日で旅に来ての帰りに我が家へ寄って行かれました。
5時間近いおしゃべりに花が咲きました。
私達はなかなか出られませんが、まぁいいのです。
多くの国分寺や国分尼寺が 戦火で焼失しましたが 江戸時代に落ち着いてから
再建されたところが多いです。
因みに 備中国分寺は立派に再建されていますが 尼寺は松林の中に礎石を残すのみです。
お遍路は 現役世代には無理だし 高齢になるとまた大変ですね。
いまは 定年が延び 年金がもらえる年齢も先に延びて 昔より長く勤める関係で
退職したからお遍路にと思うと 体がついていけないということで
昔より減っているのではないかと思います。
しかし 若い現役でも 仕事をやめたのを機に 歩き遍路に出て自分を見つめなおす人や
また 外国人も多く 昔ならあり得なかったお遍路さんの姿だと思います。