Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ラストスタンド

2013-05-19 | 映画(ら行)

■「ラストスタンド/The Last Stand」(2013年・アメリカ)

監督=キム・ジウン
主演=アーノルド・シュワルツェネッガー フォレスト・ウィティカー ジョニー・ノックスヴィル

※結末に触れています。ご注意を。
カリフォルニア州知事を退いたアーノルド・シュワルツェネッガーの映画界復帰主演第1作。スクリーンのこっち側では新年度が始まって、僕らも何かと鬱憤が溜まってる。この勧善懲悪映画の快感はそんな気持ちを吹き飛ばしてくれた。しかもこの映画は"圧倒的な力をもって悪をねじ伏せる"これまでのアメリカ映画とはひと味違う。これまでのアメリカ映画が示してきたのはパワーを誇示すること。そして、その前にどんな悪もひれ伏す様子が描かれ続けた。しかし「ラストスタンド」が僕らに示してくれたのは誇りだ。

シボレーコルベットの最新型をぶっ飛ばしてメキシコへの逃亡を図る麻薬王コルテス(エドゥアルド・ノリエガ)。隣の席には人質とされたFBI女性捜査官。軍隊並みの組織を配下に持つ彼は、次々と検問を突破して南へと突っ走る。取り逃がした失態から、コルテスを必死でを止めようとするFBIバニスター(フォレスト・ウィティカー)は、コルテスが通過すると思われる田舎町ソマートンの保安官オーウェンズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)に連絡を取り、SWATを派遣するから手出しをするなと言い放つ。ところがコルテスの組織は次々とSWAT部隊の南下を食い止め、ついにソマートンの町がコルテスを食い止める最後の砦となってしまう。保安官とともに立ち向かうのは寄せ集めのメンバーばかり。それでも彼らは誇りをもって悪に立ち向かう。

これまでのハリウッド製アクション映画と「ラストスタンド」が異なると思える点はいくつかある。ひとつはアメリカが誇る大組織が失態を演じて、それを田舎町の保安官が解決するという構図。10年くらい前の映画を例に出せば、国内で核爆発を起こしたテロ組織を次々と粛正する「トータル・フィアーズ」のラストにしても、ロバート・レッドフォードが自宅から電話かけまくって危機にある元部下を救う「スパイ・ゲーム」にしても、強大な組織があっての物語。それは、「こんなアメリカなんだから手出しをするな」と、商業映画を使って世界に宣伝しているかのような絶対的な強さだった。それがどうだろう。「ラストスタンド」でFBIが繰り出す策はことごとく失敗する。シュワルツェネッガーも州知事として、連邦政府の失態を地方政治が尻を拭かされているようなことを経験したのかもしれない。ともかく「ラストスタンド」はパワーという大樹の陰に寄る映画ではないのだ。一人暮らしのおばあちゃんでも銃を手にして、SWATをも退けた悪人を射殺する(全米ライフル協会推薦映画か?とも思ったが・笑)。

そしてヒーロー像の変化がある。これまでシュワルツェネッガーが演じてきたヒーローは超人的な活躍を僕らにみせてくれた。しかし、それはあくまで個人の力量だった。「コマンドー」や「プレデター」は軍隊に属していながら最後は個人の知力とパワーが事態を解決する映画だった。「トータル・リコール」にしても個人が困難に立ち向かう話だし、演じてきた数々の悪役にしてもヒーローにしても(「エクスペンダブルス」を除いて)誰かと組むことはない。ところが「ラストスタンド」のオーウェンズ保安官は、これまでの映画では見られなかった行動が。それは"リーダーシップ"だ。寄せ集めのメンバーでも適材適所でうまく人を活かし、困難に立ち向かう。脚本がうまくできているのはもちろんだけど、州知事を経験したシュワルツェネッガーだからこそ説得力が増す一面だとも思えるのだ。

そして映画のラスト。オーウェンズ保安官は犯人を殺さない。この10年間、アメリカ映画はテロとの戦いを描き続けてきた。それは国の組織が世界を守るために戦っているというプロパガンダという意味もあっただろう。そこには殺戮が描かれ続けた。そうでなくとも勧善懲悪のアクション映画なら、必ずと言っていい程に悪役の死をもって物語は終結する。「ラストスタンド」と同じ脚本が80年代に撮られていたら、コルテスの背後には社会主義国家が暗躍していて、孤独なヒーローが鋼鉄の橋桁から渓谷にコルテスを突き落とす場面で終わっただろう。しかし、シュワルツェネッガー扮するオーウェンズ保安官は、ぼろぼろになったスポーツカーにロープでコルテスを結びつけて凱旋するのだ。さすがに州知事を務めた人物が殺戮の限りを尽くすような描写は、復帰第1作として好ましくないという配慮もあっての演出だとは思う。悪がはびこるどうしようもない現実はある。しかしそこに誇りをもって立ち向かうことを示していると思えるのだ。いずれにせよ、この映画が復帰第1作となったことを称えたい。派手な見せ物CGやドンパチやるだけがハリウッド映画じゃないことを、静かに示してくれるアクション映画だ。穴だらけの脚本がトホホだった「ダイハード/ラスト・デイ」よりはるかに素晴らしい快作。スペイン映画で活躍したエドゥアルド・ノリエガが出演しているのが、ヨーロッパ映画好きな僕は個人的には嬉しかった。



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GO

2013-05-19 | 映画(か行)

■「GO」(2001年・日本)

●2001年報知映画賞 作品賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞
●2001年ブルーリボン賞 監督賞・助演男優賞・新人賞
●2001年日本アカデミー賞 監督賞・主演男優賞・助演男優賞・助演女優賞・新人俳優賞・脚本賞・撮影賞・照明賞・編集賞

監督=行定勲
主演=窪塚洋介 柴咲コウ 山崎努 大竹しのぶ

 これは傑作。予告編を観たときは、窪塚クン主演のコリアン・ジャパニーズの青春映画で、ギターポップが流れる若いコ向けな映画だろう(でも面白そう)という印象だった。ところがきっちり親世代にも受け入れられるテーマを持ち、さらに親世代を演ずる助演陣の好演も合わせて見事な快作に仕上がっている。コリアン・ジャパニーズが登場する映画は今までにもいくつかあった。だがティーンエイジャーの視点から今までの日本映画で語りにくかった部分を、絶妙なユーモアを交えて描いているところが面白い。「これは僕の恋愛に関する物語だ」としつこくてちょっと自嘲的なナレーションが入るのも好き(ウディ・アレン好きだから?一理あり)。

 その恋愛映画部分の二人の会話は、「ねぇ日曜日は何してる人?」とか今ドキ言葉の応酬なんだけど、実は結構堅実な内容だったりして好感。デートも彼女の家でレコード聴いてたり。二人が映画の話するところなんて笑えるよね、”ヴァン・ダム”とか。柴咲コウが階段から登場する場面に「こんな美しいものぁ見たことがねぇ」なんて落語がかぶさる演出は絶妙。コウちゃんすっごく美しく見えた。さすが”ファンデーションは使っていない”(笑)。日本人でないことを告白するシーンはさすがに切なかった。差別の実態はもっと陰湿なことがたくさんあるのだろうけど、ああいう風に描かれると今ドキの人々もさすがに空気を読めるだろう。シェークスピアの言葉を引用して、主題をより鮮明なものにしているけれど、映画化されたことでそれはより一層かみ砕かれた気がする。ラストの窪塚クンの叫びは本当に胸に迫る迫力がある。

 久々にいい台詞が数多く聞ける映画だ。宣伝にもそれがうまく使われている。僕は、山崎努がボクシングを教える前に主人公に語る台詞が特に好き。「左手を伸ばしてみろ。それがお前の手の届く範囲だ。でもその外には・・・(後は本編で)」うーん、これは覚えておこう。最後に言っておきたいのは、脇役も含めて出てくる人たちが本当に懸命に生きてるってことが伝わってくる映画だということ。それがどこか安穏と生きてる今の僕らに喝を入れてくれる。

(2003年筆)




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