山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

斬新な古刹「ききょう寺」の探検

2013-12-02 19:15:55 | 旅行・散策
 森町のまち探検で迷った行き先は、通称ききょう寺/「香勝寺」だった。
 迷走の中でも結果がお寺に行き着くというのも仏の導きか。
 しかもそこは興味津津のワールドだった。

    
                        
 ここは鎌倉から室町・戦国時代に活躍した土着の代官「武藤氏」の居城でもあった。
 「武藤氏」は、足利将軍の直属の軍団を構成し、その後、今川氏に属し、この「香勝寺」を建立、菩提寺とした。
 しかし、武田氏の勢力が強くなるにつれ、武田側に属したが、のちに徳川との戦いによって戦死する。
 この石塔は本堂の真下から発見されたという。

     
 また、場末に「日置(ヘキ)流・印西(インセイ)派」の「小沢治重」さんの石碑があった。
 調べてみると、日置流とは弓道の主要な流派だそうだ。
 江戸前期以来から弓の師家として栄えたそうだ。
 森町にはこうした歴史の先駆者が少なくない。

                        
 高校の修学旅行で京都の龍安寺で見た手洗いの蹲踞(ツクバイ)と同じものがあった。
 これは、「吾唯足知(ワレタダタルヲシルノミ)」という禅宗的な考え方だ。
 「足るを知ることで心豊かなくらしを送る」という意味。
 経済成長が幸福を生むという神話に期待する日本人に一石を投じる考え方だ。

   
 茶室のそばにある風流な「腰掛待合」が見事だ。
 桂離宮などでは土壁でシンプルに一面を囲っている「腰掛待合」があったが、ここでは星・月・太陽の窓をあしらい、竹で編んでいるところがモダンだ。

 まだまだ興味は尽きない「香勝寺」だった。
    

        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする