先日、宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」を観る機会があった。
宮崎駿最後の入魂の作品らしくどの場面も手抜きのない職人技に唸ってしまう。
難しい関東大震災の描き方も実に丁寧で感嘆するばかり。
生真面目な技術者の主人公が愛を知っていく過程の豊かさも見ものだ。
当時世界一の性能として注目されたゼロ戦誕生は、そのままアニメ制作と似ているところがある。
「生きねば」というサブタイトルは、先日読んだ百田尚樹の『永遠のゼロ』と通じる。
むかし、堀辰雄の『風たちぬ』を読んだことがあったが、あまり印象に残らなかった。
今回もう一度読んでみて、これは時代背景を踏まえて読むとその価値が出てくると思えた。
出版された1930年代といえば、国もマスコミも国民も戦時体制へとますます突入していく時代だ。
しかし、堀辰雄の小説はそういう背景をあえて削除している。
それだけにピュアな二人の愛が増幅されていく。
宮崎駿の「風たちぬ」は戦時体制の中で、何を大切に生きていくかが示されている気がしてならない。
いやそれは、現代の目に見えない閉塞状況でも同じことを問うているのではないかと思う。
だから、「いざ、生きめやも」、つまり「生きねば」ということになる。
宮崎駿最後の入魂の作品らしくどの場面も手抜きのない職人技に唸ってしまう。
難しい関東大震災の描き方も実に丁寧で感嘆するばかり。
生真面目な技術者の主人公が愛を知っていく過程の豊かさも見ものだ。
当時世界一の性能として注目されたゼロ戦誕生は、そのままアニメ制作と似ているところがある。
「生きねば」というサブタイトルは、先日読んだ百田尚樹の『永遠のゼロ』と通じる。
むかし、堀辰雄の『風たちぬ』を読んだことがあったが、あまり印象に残らなかった。
今回もう一度読んでみて、これは時代背景を踏まえて読むとその価値が出てくると思えた。
出版された1930年代といえば、国もマスコミも国民も戦時体制へとますます突入していく時代だ。
しかし、堀辰雄の小説はそういう背景をあえて削除している。
それだけにピュアな二人の愛が増幅されていく。
宮崎駿の「風たちぬ」は戦時体制の中で、何を大切に生きていくかが示されている気がしてならない。
いやそれは、現代の目に見えない閉塞状況でも同じことを問うているのではないかと思う。
だから、「いざ、生きめやも」、つまり「生きねば」ということになる。