山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

『西欧近代を問い直す』を読む

2015-02-02 20:44:53 | 読書
 朝の居間の室温は1度だった。
 台所の水道は水が出ない。
 今年一番の寒さだった。
 さいわい、風呂場の水道は無事だったので、歯を磨き顔を洗うことができた。

 寒さのため外に出られない。
 その間、佐伯啓志(サエキケイシ)『西欧近代を問い直す~人間は進歩してきたのか』(PHP文庫、2014.11)を読む。

                         
 「イスラム国」による後藤健二さん殺害のニュースにテレビが埋まる。
 そこでいつも気になることは、欧米諸国は中東・アフリカの富をさんざん搾取・植民地化してきた原罪をさておいて、テロを非難する。
 マスコミもそこだけを切り取って許せないとする。

 そんなとき、たまたまこの本を読んでいて、西欧近代が築き上げてきた自由・平等・民主主義・市場経済などの「普遍的」理念は、世界の「進歩」だったのだろうか、と作者の問いに同感する。
 西欧的な見方は「人間の求めるものは同じだという視点」、つまり進歩は普遍として、西欧は「先進国」、他国は西欧を手本とすべし、となる。

      
 西欧近代化への特徴は、宗教改革(プロテスタントのカルビン派)によって神の権威から自立した主権国家への成立にある、というのはわかる。

 その過程で、教会や司祭(カトリック)ではなく「聖書」と自分(カルビン派)という禁欲的生活を重んじる。
 それは、神を内面化することで自分の欲望をコントロールするが、同時にその欲望に抑圧される自己とが分裂してしまい、混迷の迷宮にさまよう。
 これが西欧近代化のゆきづまりだという。

                      
 キリスト教が生み出した西欧近代社会は、そのことで宗教的基盤が揺らぎ、自己矛盾を起こしていると作者は結論づける。
 要するに、今日の世界はニヒリズムのさなかにあることを前提にして対処せよ、ということか。
 授業で習ったイギリスの市民革命・フランス革命・アメリカの独立宣言という流れから現在までの「進歩主義」の視点を疑うという作者の言い分は納得だ。
 
 その洗礼を受けた日本の近代化もその例外ではなく、欧米に追従するのではない生き方が求められるということだ。
 その延長線上から、イスラムや中国文化に相対することが重要ではないかとまさしく思われてならない。
       
コメント
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