5日前、MISIAと加藤登紀子が熱唱した。ピートシガーとジローヒッカーソン共作の「花はどこへいった」(1955年)だった。ウクライナ侵攻へのプロテストソングとなった。いろんな訳詞があるが、壺斎散人(コサイサンジン)さんの和訳が秀逸だ。その部分をかいつまんでみると。
「 花はどこへいった 娘たちがむしった花 / 娘たちはどこへいった 夫たちを探しにいった / 夫たちはどこへいった 兵役に駆りにだされた / 兵たちはどこへいった 墓にはいりにいった / 墓はどこへいった 花を探しにいった / 花はどこへいった もうずいぶん経つけど / 花はどこへいった ずっと遠い昔に / 花はどこへいった 娘たちがむしった花 / いつになったらわかるんだろう 」 (赤字がリフレイン)
娘が摘んだ花は結局は墓の周りに咲いている、というわけだ。人間はどうして愚かな戦争を繰り返すのだろうか、という悲哀に満ちた名曲である。原曲は、ロシアの文豪・ミハイルショーロホフの『静かなるドン』(1934年)に出てくるウクライナ民謡からだという。この曲がベトナム反戦の代表曲ともなって、忌野清志郎はじめいろんな歌手がカバーをしている。MISIAが歌ったのは、もちろんロシアによるウクライナ侵攻への痛憤が込められている。
わずかな時間を縫って近所を歩いてみた。すると、裏山のてっぺんにある荒野に黄色い見事な花のジシバリとニガナの群落を発見した。あまり人が侵入しない場所の雑草は、かくも美しく春を謳歌するものかと感動する。その周りには、紫の外来種「マツバウンラン」が咲いていた。雑草の花園・楽園が人知れずあったということだ。花はどこへいった、花はここの里山にあった。
きょうは、ロシアとナチスドイツとの戦争で勝利した記念日という。プーチンの演説が注目されたが、勝利宣言はできなかったが現状追認の侵攻を止めないという内容だった。ロシアがナチスとなったことをロシアは覚醒できない。殺戮された人間の痛みを想像できないどころか、正義の戦争を始めたという幻覚が国家を襲っている。これからロシアは、この代償をいかに払うのだろうか。
同じことを、日本もアメリカもヨロッパ大国もやってきたことでもある。各国はそのつけをいまという時代に生かしているのだろうか。少なくとも、日本はその風化がはなはだしい。