とある雑誌を近所の人からいただいた本の中で、成田悠輔氏の直言がシャープだったので、ベストセラーとなった彼の『22世紀の民主主義』(SBクリエイティブ、2022.7)を取り寄せる。裏面の帯には、「断言する、若者が選挙に行って<政治参加>したくらいでは 何も変わらない。これは冷笑ではない。もっと大事なことに 目を向けようという呼びかけだ。 何がもっと大事なのか?」と、書かれていた。
そして帯の言葉は、「選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体を どう作り変えるか考えることだ」と続ける。
また、その裏表紙には、「経済といえば<資本主義>、政治といえば<民主主義>。勝者を放置して 徹底的に勝たせるのがうまい資本主義は、それゆえ格差と敗者も生み出してしまう。」
「生まれてしまった弱者に 声を与える仕組みが民主主義だ。二人三脚の片足・民主主義が、しかし重症である」と続く。この分析・表現が憎らしいほど明快だ。この裏表紙と帯の文章に本書のすべてがある。
本書の副題が「選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」とある。本書には後期高齢者には理解できない横文字が次々現れてくるのが玉に瑕だ。表現の切れ味は斬新だがいかにもエリート学者らしい。
「アルゴリズム」という言葉だけで右往左往してしまう。そういえば、「アルゴリズム体操」というのを教育テレビでやっている。つまり、「作業の手順・標準化」。体操で言えば、だれでも同じ流れの手順・動作を行い、お互いの健康・共感を図るというものに違いない。料理で言えば、食材から完成までの手順が書かれた「レシピ」だ、というのがわかりやすい。
「民主主義の劣化が今世紀に入ってから世界的に進んでいること」を踏まえて、その解決に向け、著者はいろいろ奇想天外とも言える提案をしている。その一つが、「意思決定アルゴリズム」のデザイン化だ。
大衆の民意、少数エリ-トの意思、客観的データなどを融合した「無意識民主主義」がアルゴリズムで最適化される。そのことで、既得権益・中間組織・硬直した今の「シルバー民主主義」を揺るがしていく。そうすれば、大衆はラテでも飲みながらそのアルゴリズムの価値判断を裁断するのが役割となる。つまり、選挙が政治のすべてではなくなり、政治家はネコのようなマスコットのような存在となる。
著者の現状分析にはとても共感するが、やはり、具体的なアルゴリズムイメージがわかりにくい。単細胞のオイラには熱いココアを飲み干すしかない。最近のワイドショーのコメンテイターに成田悠輔氏がひょっこり出演しているのもわかった。
「おわりに」に、著者は「瀕死の民主主義を追い詰める<黒船>を自分たちで作り出せるのかが問われている」と結んでいる。要するに、民主主義は外から与えられるものではなく、自ら育てていくものだ。だから、試行錯誤がある。その失敗から学び、それを熟成させ、次に伝えていく作業が必要となる。油断すると悲劇と停滞の歴史が繰り返される。それは今の世界のことだ。日本の劣化も進行しているのは間違いない。