山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

渋柿が先輩だった

2022-12-16 20:37:29 | 食彩・山菜・きのこ

 近所から収穫してきた渋柿の干し柿は、300個近くに迫った。10日過ぎあたりから水分がずいぶん抜けてきて干し柿らしくなってきた。試しに食べてみるとなかなか確かだ。このところ、晴天に恵まれていることと、焼酎を毎日のように塗っていることでカビの発生が抑えられている。

  

 干し柿の種は縄文・弥生時代の遺跡からでていることから、すでにそのころから作られているようだ。平安時代には祭礼用のお菓子として珍重された。甘柿が食べられ始めたのは鎌倉以降というから、渋柿の方が先輩ということになる。1900年代のパリ・セントルイス万博では、それぞれ銀杯・金杯を受賞している。アメリカ・カリフォニアの日系移民は干し柿を普及していた。

  

 和宮様の連日の奮闘で、毎日のようにお手製の干し柿が下賜されいただけるようになった。旨すぎてついつい2~3個は手が出てしまう。糖度が50度以上になっているというから、メロンやブドウよりうまいわけだ。和宮様は毎日剥いた柿をせっせと太陽光にさらし、焼酎を筆で塗っていくのをルーティンワークにしている。ありがたいことだ。

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