このところ、車でのBGMはなんとショパンになっている。何回聞いても、マズルカもポロネーズもエチュードもそれらの違いがよく分からない。それでも、聴いてみて快いのは間違いない。そんなことで、中川右介『ショパン 天才の秘話』(静山社文庫、2010.10)を読む。ショパンの無名時代の葛藤と周りの天才的な巨匠たち(ベルリオーズ・メンデルスゾーン・シューマン・リストら)との「群像劇」が本書である。
副題が、「20歳の孤独な作曲家とロマン派の巨人たち」とあり、祖国に帰れなかったショパンとその周りの巨匠たちのドキュメントだ。ショパンはポーランド生まれで、父はフランス人、母はポーランド人。祖国ポーランドはロシア・プロイセンなどに分割され地図上から祖国はなくなった時代に生きた。フランスを中心に活動したが、ときはフランス革命の最中。しかも、初期は仕事も恋もうまくいかず異邦人のままふさぎ込んだ孤独な青春期だった。
音楽の時代区分から言うと、ショパンは一般的に前期ロマン派に属するという。ロマン派音楽というと音楽と物語を合体したもので、オペラのように歌詞のあるものや標題を持つ交響詩が特徴という。しかし、ショパンのそうした作曲はまれで標題も後付けで付けられたものだ。
したがって、「ショパンという音楽家の特徴を挙げていけば、彼が、音楽史上例を見ない、孤高の存在であることがわかる」と、著者は断言する。
著者は結びで珠玉の言葉を残した。「ショパンの音楽はあまりにも独創的であったがために、模倣する者も後継者もなく、その作品そのものが伝えられた。ロマン主義革命の新しさが失われた後も、もともと革命とは無縁だったがために、ショパンの音楽は、生き残った。」「時代に背を向けて、引き籠っていたショパンこそ最後の勝利者となる」と。
ショパンが作曲した中に、「英雄」(ポロネーズ第6番)、「軍隊」(ポロネーズ第3番)、「革命」(エチュード第12番) など、力強い名曲がある。それは無くなってしまった祖国とショパンは音楽の世界で出会っていたのではないか、そしてその不条理を告発しているショパンの姿がせつない。「英雄」とは、ナポレオンではないかとの意見が多いが、ロシア・プロイセン軍に対して蜂起し弾圧されたポーランドの英雄「タデウシュ・コシチュシュコ」ではないかと秘かに思う。
このときも、領土拡張主義の帝政ロシアは本領発揮。当時の19世紀の歴史のそのまんま、現在のロシア帝国はウクライナの侵攻を固辞してやまない。歴史に学ばない国はいずれ内部から壊疽が起きていくが、すでにその兆候が進行している。同時に、劣化がはなはだしい日本も要治療のステージに入っている気がしてならない。(画像はペレストロイカのソビエト時代)