五代目圓楽の人情噺にまたまた酩酊する。「浜野矩隋(ノリユキ)」は江戸後期に活躍した実在の名人の「浜野矩康(ノリヤス)」につながる彫金師だった。落語では最初は腕の悪い一人息子という設定。酒好きの先代「矩康」が49歳で亡くなり、そのため息子「矩隋」への期待は大きかった。骨董屋の若狭屋は彼への支援を惜しまなかったが、腕の悪さにさすがに匙を投げたことからクライマックスが始まる。
(画像はaucfan webから)
この噺の山場は、若狭屋の諫言をきっかけとした母親の「矩隋」への戒めだった。古典落語の先進性は女性差別も表面的には散見するが、今回のように息子への説諭がきわめて説得力があるという点である。人生の大事な節目で女性がダメ男を覚醒させていくという場面がしばしばある。公教育が不備な時代にあって、落語がある意味では人生や人の道を学ぶ社会教育や家庭教育の一端を担っていたのではないかとうことを発見する。
五代目圓楽の名人ぶりは、斬新な切り口で品の良い笑いを紡ぎ出す。小話の「短命」では見事な笑いの連発を誘う。何回聞いてもそれが新鮮だから不思議だ。そうした古典落語を聞いていると、今日のマスコミを巣くうお笑い頂戴ブームの浅薄さを抉り出して余りある。
エピローグでは、江戸の儒学者の坂静山(バンセイザン)の次の言葉で締めくくる。「怠らで行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし遅くとも」。牛歩の一歩を続けていけばきっとゴールは見えてくる、というわけだ。そもそも、怠惰だった「矩隋」が名人になった理由がここにある。
(画像は「落語のごくらく」webから)
実在の「浜野矩隋(ノリユキ)」は、刀剣の装飾の「腰元彫り」として当時では名人と言われていた。上の画像のとおり、刀剣の柄部分の装飾だが、靖国神社「遊就館」にいまも保管されている。