雨が続きそうなのでこれ幸いと、若者たちで好評を博した『ダブリンの鐘つきカビ人間』のDVDの[2002年版]を観る。2002年の4~5月には6か所で全国公演が繰り広げられた。その後もキャストや内容も再編され公演は続けられて、2020年には久しぶりの再演を予定したがコロナ禍で中止となった。
背景はアイルランドらしい中世で起きた怪しい物語。人によって症状が違う奇病の蔓延で町が衰退し、森が広がり魑魅魍魎が巣くう田舎での出来事だ。その奇病で誰も近づきたがらない醜い容姿となったカビ人間と、思っていることの反対の言葉しか喋れなくなった美しい娘が主人公となっている。
2002年版の主演は大倉孝二と水野真紀だが、その後、佐藤隆太と上西星来らも主演している。王様役はいずれも原作の後藤ひろひとで、漫画チックなギャグを乱発している。
(画像はELTRAのwebから)
アイルランドと言えば、エンヤのヒーリングやアイリッシュギターの音楽など、自然と一体的なメロディが想起される。しかし、見事にそれは壊される。この舞台は「劇団・新感線」の流れをくむギャグとパロディ満載のコメディだった。それは一時流行した「キン肉マン」のギャグが連想された。
(画像は「ケルトの笛屋さんweb」から)
奇病を完治しムラを立て直すには、「伝説の剣」を探し当てなければならないという。そこへ、偶然立ち寄った若い旅人二人がその冒険の旅に出かける。そのあらましは、歌あり、踊りあり、活劇ありでテンポよく飽きさせない。そこにブラックファンタジーとギャグの「これでもか調味料」でかき回される。
(画像はパルコ劇場webから)
そうして、「伝説の剣」と不思議な歌、さらに不思議な鐘の音が合わさった時、悲しくも美しく、そして残酷な奇跡がおきる。前半のドタバタから後半の緊張したラブロマンスが感動を詰め込む。差別されてきたカビ人間は、山高帽のチャップリンの孤独と哀しさとがダブって見えた。
(画像はアイルランドのロマネスクwebから)
いつも大民族からの侵略と迫害を受けてきたアイルランド人に対して、司馬遼太郎は「客観的には百敗の民である」と評した。しかも、いまだにイギリスからの圧力は根強い。しかし、司馬は「アイルランド人は主観的には不敗だと思っている」と付け加える。そんな魂が、民話・神話・音楽に現れている。「伝説の剣」のデザインは、キリスト教の十字架と違いケルト土着の丸十字の形をしたものだった。キリスト教より古いケルトの宗教は縄文文化と似ている世界観がある。コメディでありながらそんな奥行をもチラリと感じさせた舞台だった。