きょうは一日中雨が予想されたので、久しぶりに映画を見に行く。認知症が進行していく父=山崎努に対して、娘=蒼井優・竹内結子と妻=松原智恵子・孫らが暖かくユーモラスに受け入れていく物語だった。その象徴が遊園地であり傘であり誕生会の三角帽であり食事であるように思った。
評論家の川本三郎さんは「家族が、遠くへ行こうとする父親を現実に引き戻そうとするのではない。家族のほうが、父親のいる新しい現実へ近づこうとする。回転木馬の場面は、奇跡のような一瞬をとらえている」という指摘はこの映画の本質をとらえている。原作者は中島京子さん。(画像はパンフから)
認知症役の山崎努の台詞はあまりなかったが本物のような表情・振舞いの好演だった。それを引き立てたのが蒼井優の演技力だった。傘は雨の日の過去、娘たちを迎えていく親の愛を象徴するアイテムだ。認知症とは英語で言うと、long goodbye というそうだ。つまり近親者からどんどん離れていく長い距離感でもある。
本映画では暖かい家族像がでてきたが、現実はもっと生々しい愛憎劇にある。あえて監督・脚本の中野量太は深刻な映像はとらず、「苦しい現実の中でも人間って愛おしいよ」、「辛いのに笑えることって本当の笑い」だとしたのだった。そのために、「食卓を囲む」場面を重視し、「食べるという行為は人が<生きる>行為」であることを暗示している。認知症になるとその食べるところから崩れていくことから始まると監督は指摘する。
中島京子さんの「長いお別れ」未読ですが、老生の「長いお別れ」は“The Long Goodbye”です。
「生きていても、もう合わない」のか、「生きていても、もう会えない」なのか、の差ですかね。
ちなみに清水俊二訳と村上春樹訳があります。
小生はまるっきり情報ゼロなので、Long Goodbyeの解釈のものさしはなしです。映画の副題が「A Long Goodbye」であること。医師の杉山孝博氏によれば「認知症が進行するにしたがって、現実や家族が遠くなっていく過程をアメリカでは<Long Goodbye>と表現するという」と述べ、この「長いお別れ」は悲しいお別れではなく、人間味豊かなお別れだったと解釈している。これに納得したんだなきっと。