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「泥の河」「蛍川」「錦繍」など傑作が続いていた作家、宮本輝『命の器』(講談社文庫、2005.10)を読み終える。いろいろなところで掲載した自伝的エッセイ集。そのため、重複する内容がたびたびあるのが不満でもあり、エッセイというより、コラム集というのが近い。
小栗康平監督のデビュー作ともなった映画「泥の河」で、その抒情がオイラの子ども時代とダブってしまっていたく感動したものだ。そこから原作も読んでみた次第だ。
さて、タイトルの「命の器」という言葉に惹かれて本書を読み始めたが、エンジンを強くふかしながら懸命に絞り出した言の葉が感じられる。しかし、エッセイとしてのおさまりは残念ながら期待通りではなかった。
ただし、「<出会い>とは、決して偶然ではないのだ」、それは「人間世界に存在する数ある法則の中の一つ」であると気づいたという。つまり、「どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ」というのは確かに首肯できる法則に違いない。
『錦繍』を書きあげた動機を最後に触れている。「紅葉は、私にとってはもはや植物の葉の単なる変色ではない。自分の命が、絶え間なく刻々と色変わりしながら噴きあげている錦の炎である。…それは私である。それは生命である。汚濁、野望、虚無、愛、憎悪、善意、悪意、そして限りなく清浄なものも隠し持つ、混沌とした私たちの生命である。どの時期、どの地、どの境遇を問わず、人々はみな錦繍の日々を生きている。」というくだりを最終エッセイにしている着地点はさすが芥川賞作家である。