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幕末から維新にかけて活躍したアーネストサトウほど日本の動静に影響を与えた通訳・外交官はまれだ。そのサトウに注目した鳩山民主党政権の外交ブレーン、孫崎亨(マゴサキウケル)の『アーネストサトウと倒幕の時代』(現代書館、2018.12)を読む。
外務省にいた孫崎は、日本の対米従属を批判する数少ない官僚でもあったようだ。その彼が「相手国の歴史の動きに、深刻な影響を与えたという点で見ますと、アーネストサトウ以上の人はほとんどいません」と断言する。例えば、江戸城無血開城のときは、西郷・勝双方のパイプを持ちながら頻繁に両者から情報を収集しパークス公使を動かし、江戸を戦火から守った。
サトウが1866年に「ジャパンタイムズ」に寄稿した『英国策論』は日本語に翻訳され、志士に読まれていった。内容は、徳川将軍は諸侯連合の首席に過ぎず、現行の徳川との条約を日本を代表とする天皇と諸侯連合との条約に移行すべきだとする。つまり、倒幕を志向したものだ。イギリスとしては内政干渉には介入しない立場だったが、それを踏まえた対日政策を冷静に論じ、推進していったサトウは、当時まだ22歳だった。
本書は、サトウの『一外交官の見た明治維新』の回想をベースにした幕末史でもあった。当時の引用が多用されて素人には読みにくいところもあったが、登山・旅行家・博物学者としてのサトウの顔は割愛したようだ。全体としては、わかりやすくまとめようとした作者だったが、引用を踏まえたうえで、もう少し自分の言葉でアーネストサトウ論を展開してほしかったと思う。
サトウが果たした役割は、日本をフランスなどとの代理戦争の場にしないこと、内乱状態を避けることに腐心したことだ。イギリス公使館の内部的齟齬やフランスとの政策的落差も描かれているが、サトウは、日本語をマスターしていただけでなく、志士・公家・諸藩有力者との信頼関係を築いていた魅力的な外交官として、的確で冷静な日本の分析官でもあった。
また、1850年代までのイギリスは、インド・香港等を植民地にしたものの、その経営維持に莫大な経費が掛かるので、自由貿易ができる環境を作ることに移行していったという対日政策を著者は見落としていない。徳川慶喜が不戦(逃亡)を貫いた裏にはサトウらイギリスからの助言があった背景も指摘している。したがって、1869年に一時帰国が決まったサトウに対して、岩倉具視や東久世通禮らの公家や木戸・森有礼・大久保らが豪華な品物を贈り、盛大な晩さん会も開かれた。日本を壊滅的な戦場にしなかったサトウの功績は大きい。孫崎氏のようにもっと注目すべき人物だった。