一時消滅しかけた集落が復活した。以前、ひと気のないそこの集落に行ったことがあるが、空き家だらけの荒廃しかけた無念が漂っていた。そこへ、街から前田さんらがここ過疎の地へ移住してきたのだった。公民館のような立派な集会場がリフォームされた。そこで、ウクライナ出身のロマン・フェディウルコさんのピアノ演奏会を開催するというのだ。
ところで、「浜松国際ピアノコンクール」が浜松市制80周年を記念して1991年に開催され、3年に一度行われる若手ピアニストの登竜門ともいえる高水準の国際コンクールだ。今年は47か国638人が応募し、ロマンさんも2次予選進出の24人の中に入ったが、3次予選には進出できなかった。本選では6人が入賞し、鈴木愛美さんが日本人として初めて優勝した。
山を切り開いたような場所での会場はやや寒く、ロマンさんはコートを着ての演奏だった。ロシアによるウクライナ侵攻があったとき、ロマンさんはオーストリアに音楽留学生として滞在していたので、直接の被害はなかったようだ。現在は20歳の若さ。端正な落ち着きは逆に祖国の悲壮な現実をしっかり内実化しているようだった。
演奏は、バッハ・シューマン・ラフマニノフらの楽曲だったが、オラのクラシック音痴にとっては知らないメロディーばかりだった。しかし、内容は起伏の激しさもある演奏で、聴いていて祖国への不安と慟哭とがからんだものだったように思えた。その演奏には聴衆に媚びず自らの思いを真っ直ぐ貫く戦士の姿だったように思えてならない。
聴衆の多くは近隣から来た地元の人ばかりだったように思う。クラシック音楽とは程遠い面々ではあるようだが、こうしたイベントに短期間で駆けつけた有為の人々でもある。聴衆は約50人ほどにはなっていたと思われる。それは驚異的な数字だ。というのも、この場所は知られていないし、しばらく人の出入りがなかったし、何よりも前田さんらが移住して間もないからでもある。人間に出会うのも少ない過疎地でクラシック音楽を開催するという前田さんの「冒険」にたまげる。
ということは、こうしたイベントを待っている住民が少なくないということでもある。住民がどんどん少なくなっている過疎地において、機会があればこうした場を求めているともいえる。オーナーの前田さんは「勢いで主催してしまった」と言われるが、その勢いのパトスの伏流水の激しさがわかる。問題はそれをフォローするスタッフの確保だ。さすれば、ここの集会場が地域の交流拠点として実っていくのに違いない。オラもできうる範囲でのささやかなフォローを捧げたい。今回は、いただいてきた篭いっぱいのユズや挿し木で育てた苗木約10本・レモングラス等をプレゼントした。