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かかわるごとに感動がある。一昨日の14日、西田夫妻が主催する冒険遊び場にゲストがやって来た。移動式遊び場を全国で出前している星野諭(サトル)さんだ。ボディーには子どもたちが絵を描いた車がすでに来ていた。午前中に、星野さんのお話がおもむろにされた。新潟県妙高市生まれで一級建築士の星野さんが、エリートコースをあえて選ばずにこの活動を貫いてきた経過とそこから学んだこと、これからめざすものなどを焚き火を囲みながら聞く。
1978年生まれの星野さんの幼少時代は、まさしく妙高という自然豊かな山野を駆け巡った。その暮らしが当たり前だと思っていたが都会に出てきてその落差に驚愕。そこから、子どもや若者の欠落しているものは、「時間・空間・仲間・隙間」の「4間」であることを痛感。それを取り戻すのは子どもの「遊び場」と人と自然との「つながり」だと、活動を開始する。
さっそく、神田にあった空き家を自前の児童館にしていくのを手はじめに、それを支えるために地元の人とのコミュニケーションを大切にしていく。行動力は勿論、周りの人とのコミュニケーションを大切にしていくのが素晴らしい。若さだけではなかなかできない着眼点だ。そうした「コミュ」力を生かした結果が、全国のネットワークとして形成されていく。
問題は活動の資金力でもある。当初は、さまざまな補助金や委託金を企業や行政から受けていたが、その書類を作るのに翻弄されてしまうのに気づく。子どもと直接遊ぶ暇もない。そこで、補助金や委託金をあてにしない活動を模索していく。土日は懸命に建築関係の仕事をして稼ぎ、平日は移動式遊び場を全国に出前する。遊び場の出前だけでなく、防災講座やまちづくりなどのコーディネーターもやるなどマルチな才能を発揮している。
その車の中は、遊具や資材がぎっしり詰まっていた。親が車座で話をしている間に、子どもたちはさっそく遊具や資材で遊び始める。ときおり、星野さんは事故を未然に防ぐためのアドバイスを子どもに送る。
子どもたちも慣れているようで危険を察知しながら遊びの天才ぶりを発揮していた。車の上に登るなんて子どもの好きな非日常の世界だ。焚き火の煙を体験するのも計算済みだ。遊び用具を一斉に出すのではなく、小出しに出している星野さんの動きもなるほどだ。女の子の方が活発に見える。
プラスティックではなく木の素材のおもちゃや手作りの遊具が中心なのも星野さんのポリシーが伝わってくる。親はベーゴマやコマでむかしを懐かしむ。なかには、プロ級と思えるくらいのコマの技をさりげなく披露してくれる親もいた。
そのうちに、ロープワークの講習をしてから「ターザンケーブル」を設置していく。木とトラックとをつないだ一時的な遊具だ。いずれは、林間で設置するのが目標だ。ケーブルをできるだけピンと張るのがポイントのようだ。オイラは、コーヒー豆やエビスグサの種(ハブ茶)をフライパンで焙煎する。また、竹を半分に割ってその皿に卵を落とし、目玉焼きを焚き火の熾火にかける。子どもはすぐ「食べてもいい?」ととびついてきた。
限界集落と言われる過疎地に30組ほどの親子が集まっていること自体が驚異だ。集落から子どもがいなくなっているというのに。来月は「親子で桜を見る会」の花見をするという。その企画を親たちで相談する。殺人だ強盗だ戦争だという心痛むニュースが絶えない昨今、このプレーパークの穏やかな世界のなんとも心暖まる空間だろう。おかげで、ここで移住して間もなくの地元の人との交流もできた。
こうしてこの場は、結果的に地域づくりや地域の平和に貢献している。ここに、星野さんという栄養剤・存在価値がある。今回もここで大きい感動をいただいた。おいらも老体をなんとか動かしながらその応援団・勝手連の小さな一員となった。