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今月もプレイパークに顔出しした。このところ参加者が激減している。春の陽気にあちこち目を奪われているせいだろうか。それでも、参加者からいただいたキウイを子どもたちが切ってくれて配ってくれた。そんなさりげない行為に参加した親たちの姿勢がにじみ出ている。主催側の努力や方向性が若い参加者に伝わっていないのかもしれない。当初の盛り上がりの熱気を持続していく難しさを痛感する。
とはいえ、常連の元音楽教師の方のBGMが奥山の世界に活気を与えてくれる。もちろん、裸足の子どもたちも早速そのリズムに乗ってくれる。はるばる焼津から来てくれるご夫婦の応援も貴重だ。しかしながら、なかなか地元からの参加はなかなか目に見えないし、はじめのころに参加していた顔ぶれも少なくなった。地域活動の直面する課題でもある。
哲学者の内山節さんは、グローバリズムが<ローカルであること>を次々解体していったことで、人は幸福を感じにくくなった、と指摘する。だから、手ごたえある幸福をつかむためにローカルであることの見直しを提言している。オイラはグローバリズムだけが原因とは思わないが、ローカルの解体は都市の孤独と人間の解体を促進してしまったことは間違いではない。
オイラもエチオピアのモカのコーヒー豆をフライパンで焙煎しながら、そんな課題の困難さを想うばかりだ。オイラは勝手連の無責任な応援をしているが、主催者の西田夫妻の心身の負担は重くなるばかりだ。そんなしんどさを浅煎りのコーヒーをみんなと飲みながら話し合う。身に覚えのあることでもあるので、持続していける心身の暮らし方の基本を語る。
夢や理想を持つこと自体がむずかしい現実の過程の中で、それにめげない「根拠」を当たり前の暮らしの中で確認していくしかない。つまり、定例会を減らして自分の生活としての基盤を作ること、そして定例会の中身を絞っていくこと、集団的に運営していくこと、そんな会話をさらりとかわしてみたが…。