台風がやってくる予報前の深夜だった。ことしもアマガエルがわが家に闖入してきた。わが家のほのかな光に寄ってくる蛾を目当てに来たようだ。ところが、いつものケロちゃんとは違うのだった。いつもだったら、人間の存在を察知したカエルは逃げたり物陰に隠れるのがフツーの行動なのだ。それが今回どうどうと畳に鎮座してこちらのようすをしばらくうかがっていたのだ。
こちらもいつも通りケロちゃんの存在を放任している。そのうちにケロちゃんは危機はないと判断したのか部屋の中を自在に飛びまわり始めた。ケロちゃんが最初に興味を持ったのは、365日の月の満ち欠けを表したカレンダーだった。月とカエルとの関係は定かではないが、ダビンチさんが贈ってくれた卓上型の暦だ。満月を見ては吠えるわけではないが、いつが満月なのかやスーパームーンを確認できる優れモノでもある。
部屋を一回り飛び回ると今度は、和宮様が日誌を書いている隣でしばらく寄り添っていた。それを見たオイラはつい、「カエルの合唱」の歌を想い出した。この歌の原曲は日本の童謡ではなくドイツ民謡であるのを初めて知る。リフレインだけ、ドイツ語にする。
「かえるのうたが きこえてくるよ / quak quak quak quak ka ka ka ka ka ka ka ka quak quak quak」となるそうだ。鳴き声はシュレーゲルアオガエルらしく、アマガエルではない。
すると、「ケロポンズ」という保育園や幼稚園で人気のあったグループを想い出した。そしてまた、そのグループの前身で活躍していたシンガーソングライター「新沢としひこ」を想い出した。カエルが自由奔放に動き回ると同時にこちらも妄想を開始する。
20年以上前だろうか、オイラは彼のファンでそのころのCDをかなり持っていた。彼が『月刊音楽広場』(のちの『月刊クーヨン』、落合恵子のクレヨンハウスが発行)で活躍していたころが懐かしい。その雑誌の表紙やCDのイラストは五味太郎、増田裕子の作曲、マルチな中川ひろたか、遊び歌の福尾野歩、監督のクニ河内、の顔ぶれが優しく心がホッとする。
新沢としひこの作曲した音楽が幼稚園や保育園の卒園式に歌われた。おいらはこれほど子どももおとなも感動できる音楽がなぜもっと流布しないのだろうか、とても疑問だった。大手の発売元ではないクレヨンハウスの悲哀さえ感じる。そんなこんな走馬灯のように思い出してくれたケロちゃんの奔放さが頼もしい。カエルにも個性があることを教えてくれた。しかし、外にはオイラが愛するキジノ介がケロちゃんの命を狙っているから、現実というもんは厳しいもんだ。
それより人間世界はもっと酷い。縄文人のような共存的なもんじゃなくて今は17・18世紀に戻ってしまったようだ。人間の停滞・退化は見るに堪えないよ、ケロちゃん。