山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

滝のような大雨が止んで

2019-05-21 21:03:26 | 風景

 昨夜から滝のような雨が屋根を叩いていた。きょうの午前中には近くの国道が雨量による「全面通行止め」の防災無線があった。お昼直前にはいつのまにか雨音がなくなり止んでいた。すぐに畑の様子を見に行くと大きな被害がなかったのでホッとする。むしろ、萎れていた「ビーツ」がすっかり立ち直っていたのに感心する。

 買い物をするために街に出かける。国道沿いの川は予想通り濁流だった。

         

 ふだんは数mほどしかなかった川がなんと目いっぱい川幅を広げて流れていた。台風が来た時の風景だ。いつもは川底の石が見えていたのにきょうはさすが濁っているうえに、シロサギの姿も見えない。スケールの大きい自然の摂理を感じさせる。

        

 このところの乾燥気候でチョロチョロだった湧き水もきょうばかりは全開の水量だった。近づいていくと水音もハードロック並みに激しい。今のところ、土砂崩れも停電もなかったようだ。強い雨のおかげで道路はきれいに清掃されていた。あすから暑くなるという。梅雨より先に夏が来る。最近の気候変動に体がついていかない。

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シイタケの「駒打ち」なんとか滑り込み

2019-05-20 19:11:03 | 屋外作業

 屋久島で50年に一度の大雨被害があったというので、きょうの天候が気がかりだった。急いで、昨日運搬した「たんころ」にシイタケの駒打ちをする。和宮様直々のお手伝いもあり午前中には目途がついた。

 

 種駒は合計1400個を打ったことになる。なんとか裏の畑の木陰に勢ぞろいすることができた。これから水やりを絶やさないようにしなければならない。なにしろ、乾燥してしまうと今までの汗が無駄になってしまう。これだけのほだ木をチェンソーで伐ってくれたシイタケ農家のMさんの過酷な労働がよぎる。ありがたい。

 

        

 まずは、寒冷紗をかけて日陰と低温を確保し、その上に山から拾ってきた枝を重しとして乗せる。きょうの夕方には雨が降るのでそれを計算しておく。これでやっと数か月遅れのシイタケの駒打ちは大団円となる。明日以降は、こちらも遅れに遅れているが夏野菜の植え込みに本腰を入れられるようになるはずだ。

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「たんころ」を運ぶ

2019-05-19 20:00:40 | 屋外作業

 シイタケ農家のMさんがほだ木を運びやすい長さで太いコナラを伐っておいてくれた。林業家仲間では「たんころ」=「端ころ」と呼んでいるが、イスになるほどの長さだ。今までは、商品価値がない木片ということで刈りだしの後の林縁にけっこう転がっている。その「たんころ」に駒打ちするために隣の山から運ぶ。

           

 こんなとき活躍するのが、「鳶口(トビクチ)」だ。江戸の町火消やとび職が持っているものだ。いまだに近くの山では丸太の移動には欠かせない道具だ。丸太を手で移動するとなるとけっこう肉体労働になる。とび口でやれば丸太の方向転換や移動が小さい力で可能となる。それでも、ジジイには呼吸が荒くなってしまう。

  

 「われにもやらしておくれ」と和宮様が強く言うのでやってもらう。「これは便利な道具ぞな」と感心する。この道具は世界にもあるのだろうか。たんころを立てたりするのも簡単にできる。これを手で起こすとなるとかなり踏ん張らないといけない。

 1時間足らずで隣の山から裏の畑までたんころ十数個を集めることができた。たんころの上と下との太さが違うので真直ぐには転がらない。へたすると自分の足の指を潰してしまう危険さえもある。それをとび口で調整しながら移動していく。ここまで運べばあとは駒打ちができそうだ。

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やっと駒打ちをやり出す

2019-05-18 20:22:46 | 農作業・野菜

 本来なら3月には終了しなければならないはずのシイタケの駒打ちを遅まきながらやりだす。3月・4月は春野菜の準備でバタバタしていて駒打ちどころではなかったのが原因。それと、昨年でシイタケ栽培はやめようと思っていたけど、4月にシイタケ農家のMさんが隣の山でほだ木づくりを始めだし、「ほだ木ならあげるよ」と言ってくれたからだ。

             

 すでにシイタケ菌の駒はホームセンターでは販売終了していたので、ネットで「大貫菌じん」と「森産業」から事前に購入しておく。とりあえず、初めて使う大貫菌を優先的に駒打ちを始める。

 

       

 裏の畑の隅に駒打ちしたほだ木を積んでいく。すべてMさんがチェンソーで1mほどに伐っておいてくれたのでずいぶん助かった。とはいっても、ほだ木を運搬したり駒打ちの準備に時間を浪費する。明日以降はMさんが伐ってくれた幅50cm前後の太さがあるコナラの駒打ちを挑戦する。運搬はとても持ち上がらないので転がしていくしかない。

    

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家の周りにつぎつぎ蛇出没

2019-05-17 20:38:18 | できごと・事件

 昨年は「蛇の出没が少なくなったなぁ」と思っていたが、今年はやけに多くなった。しかも、畑より家の周りで目撃することが多くなったのだ。玄関前でカエルがぴょんと跳ねてきた気配を感じたすぐそばで、シマへビがいた。あわてて逃げるカエルを見据えてシマヘビが突如鎌首をあげたのを目撃。

 オイラがカメラを構えたのをシマヘビは感知したのか、カエルの追尾をやめたようだが、カエルを飛びかかるような蛇の気迫がそこにはあった。

           

 「トノサマガエル」は物陰に隠れてなんとかシマヘビの追跡を免れたようだ。トノサマガエルも天敵に対しては腹を膨らませて対抗するところから「殿さま」の名前がついたようだが、今回は逃げるが勝と決め込んでいたようだった。殿さまはしばらくオイラの近くから離れなかったので「大儀であった」とお礼を言ってくれたようなオーラを感じた。

          

 いっぽう、その隣にある「常設焚き火場」(燃えるごみ集積場?)に逃げ込んだ蛇がいた。日本固有種の「アオダイショウ」のようだ。木登りは得意のようだが、尻尾までは隠しきれなかったようだ。アオダイショウは野原より人家近くに出没することが多いようで、ネズミや鳥の卵を捕食する。どうもわが家の倉庫床下に生息しているみたいだ。

 したがって、最近は歩きながら蛇に注意することにしている。マムシに出会うことは稀だが、以前にはヤマカガシに出会ったことが何回もある。

 

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今年も茶摘み応援をしたが

2019-05-16 20:02:31 | 出会い・近隣

 今年も奥春野の梅沢茶園の茶摘みの応援に出かける。今年から街のNPOからの支援が終了したのでこじんまりと4人で茶摘みを行う。それも機械摘みではなく手摘みなので効率は悪い。いままでは20人前後の規模だった。そのため、気合いを入れて茶摘みに臨む。

             

 とはいえ、「やぶきた」ではなく在来種が無農薬の自然農法・「放任茶」で栽培されている。機械摘みを想定していないので、機械に合わせた効率的な「カマボコ型」樹形ではないものもある。それらの葉は通常の葉の半分くらいしかないものも少なくない。どうしても収量が少ない。

 野鳥の声が山間をこだまする。ヤブデマリの芳香な匂いも流れてくる。昔茶摘み娘だった80代女性の快活な世間話も手を休めることなく終わりを知らない。

 

   

 そんなこんなで、60kgくらいは収穫しただろうか。夕方から近くの山の工場で製茶工程に向かう。体調の関係でオイラはここで失礼したが梅沢さんを先頭におばちゃん軍団も参画する。

 今後の茶業について90歳に近づいた梅沢さんは、「やってみたい人がいれば茶園も製茶工場も提供するんだが」とつぶやく。山並みを独り占めする借景に囲まれながら茶業とプラスアルファの生業を構築しようとする人はいないかなー。「きっといますよ」と梅沢さんには伝えたが。

 

    

 

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ホウノキがでっかくなった

2019-05-15 20:40:21 | 植物

 裏の畑のホウノキがいつのまにかでっかくなった。10年前ごろは確かオイラの背の高さくらいだったはずだ。今は7mはあるだろうか。奥多摩ではトチノキをよく見たが春野町では圧倒的にホウノキが多い。やはり、林業や木地師の関係なのだろうか。

         

 ちょうど今は花が咲き始めている。花は大きいが高い所に咲いているので、それを近くで見たり、芳香を嗅ぐわけにはいかない。古代から食物を盛る器として重宝していた。近所からは朴葉で包んだ手製の餡入り餅をいただいたこともあった。

        

 オイラが子どもの頃の版木は朴ノ木やカツラが使われていた。材が柔らかくて均一なのが優れているからだ。また、刃物を錆びさせない効用もあるようで、刀剣の鞘は朴ノ木がもっぱら利用され、狂いも少ない。

         

 ホウノキは殺菌作用もあることが知られているが、その樹冠下にも他の植物を寄せ付けない物質を出しているという。そういえば、まわりに雑草が少ないし、そばに植えた木が枯れてしまったことがある。アイヌ民族はホウノキの実を乾燥させてお茶として煎じて飲んでいたという。これは試してみたいところだ。

 

  

 

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徘徊するヒトリガ幼虫、ハイカラなホタルガ幼虫

2019-05-14 20:55:01 | 生き物

 このところ、畑・庭・道路で褐色の毛虫によく出会う。近づくとホイホイ逃げだして雑草の陰に隠れていくほど足が速い。ヒトリガの幼虫のようだ。しかし、この仲間は多くの仲間がいるようでそれぞれの同定がむづかしい。背中に1本のスジがある毛虫は、「キハラゴマダラヒトリ」のようだが確証はない。

 

                  

 同じ褐色の毛虫だが背中に2本のスジがあるものもあった。こちらは集団で落葉の下で越冬していた。明るくなってびっくりしたのか、丸く固まってしまった。これらの毛虫は、通称「クマケムシ」と言われているようだ。愛用している小学館の『イモムシとケムシ』図鑑を見てもそれぞれの違いがよく判らない。どうもまだまだ蛾の研究はマイナーな分野のようだ。AI技術などのテクノロジーだけが重視されてこうした景気に貢献しない分野はなかなかデビューできない。

 

   

 今年もウノハナに似た花が咲く「クロミノニシゴリ」(ハイノキ科)の若葉にやってきたのが「シロシタホタルガ」の幼虫。毎年実直にこの樹にやってきて、見事なファッションを見せてくれる。しかし、成虫は全身黒ずくめで一本の白線をポイントにしている地味な蛾だ。過去に取り上げたblogは次の通り(2018.5.7 *2015.5.18 2013.5.10)。

    

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近代を生き抜いた『飛騨の女たち』

2019-05-13 18:29:47 | 読書

  むかし、古本屋で買っておいた本が書架の奥から出てきた。かなり黄ばんで表紙も崩れそうになっていた。早く読まなくっちゃ。著者は民俗学研究者の江馬三枝子だった。この名前に心当たりがあった。市井の隠居が課題図書として指定されたのが、実際にあった飛騨の農民一揆を題材とした江馬修の『山の民』だった(2017.9.8 blog)。

                 

 彼の妻が江馬三枝子で彼女は、『飛騨の女たち』(三國書房、1942.12)が近代になってもなお変わらない過酷な暮しであることをたんたんと描いている。明治末年に同地を訪れた柳田国男が「前書き」に当たる「著者に贈る言葉」で賛辞を送っている。初版の昭和17年は真珠湾攻撃を始めた翌年の戦時体制下だった。

              

 読み終わるころ背表紙が取れてしまったが、その裏うちに使った紙には大正ロマンを彷彿とするスズランだろうか、花の図案が施されていた。戦時下でこうした地味な内容を出版すること自体が闘いだったに違いない。出版社もその精神を応援しながら裏うちの紙に自由の精神を秘かに込めたようにも思える。配給先も「日本出版配給株式会社」である。

              

 出版社の三國書房の「女性叢書シリーズ」では、民俗学者の大御所柳田国男や女性民俗学の草分けの瀬川清子・能田多代子の名前が出てくる。社会主義者山川均の妻・山川菊栄も女性解放運動の草分け。オイラも注目していた路上観察などの現象学の今和次郎などの出版予告が出ているが、発刊されたかどうかはわからない。治安維持法に抵触しないようギリギリの配慮をしたシリーズであるのが伝わってくる。

  

 あとがきに当たる「農村婦人を擁護せよ」で作者の提起は、戦時下でも怒りを抑えられないほどの情念あふれるものだった。「農村の女房たちは、忙がしい台所の主婦であり、子供たちの母親であると同時に、一人前の百姓でもあって、男たちと一緒に烈しい労働をしなければならない。

                  

 ここに一番大きな無理があるのであって、過労からくる疾病、栄養障害、ひいては幼児の病弱と夭死なぞ、ここに大きな原因を持っていると言える。そしてこの無理が何とかして除去され、解決されない限りは、本当に農村婦人の生活が改善されたと言って威張ることができないと思う」と。

 このような苦言には、女性たちの労働・家族形態・婚姻関係など飛騨の女性たちの克明な調査・聞き取りに裏打ちされたものだった。それは事柄の大小はあれ、現代にも相通ずる水脈が流れているのは言うまでもない。



   

 

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やっと撮れた「ウスバシロチョウ」

2019-05-12 21:54:55 | 生き物
 早春からモンシロチョウと共にわが畑に飛翔していた「ウスバシロチョウ」をカメラに納めようといろいろ試みたが失敗続きだった。とにかく、某国の「飛翔体」とは違って、飛ぶのがふわふわしていてなかなか留まってくれない。やっと花の蜜の食事中となったのでやっとカメラに確保。それにしても翅の模様がユニーク。その目玉模様は警戒信号ということか。有毒のムラサキケマンを食べて野鳥からの襲撃に備えているうえに、この模様にするとは、なんと慎重な生きざまなのだろう。


 
               

 連休最後の日に撮れた「ジャコウアゲハ」のメスもやっと撮れた。胸のあたりにちょっぴり赤色がほの見える。4月頃から、クロアゲハやオナガアゲハも目撃していたがなかなか撮影に協力してくれない。ふつうの「ナミアゲハ」の訪問率のほうが少数派だった。ここに、ナガサキアゲハやカラスアゲハが加われば役者がそろうが、物事そうはいかないのが人生いや世界の現実というもんだ。
               

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