田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

田舎の灌漑施設素晴らしい(2018/8/24)

2018-08-24 19:38:19 | ルーツはここに?
台風、19号、20号と近くを通過するも、期待した雨は、竹田農園周辺では、皆無。
ネットの雨雲レーダーで降るか降ると期待して見ていたが、すぐ近くまで雨雲が来ては、逸れたり、雨雲が消えたりで、天気予報通りで、ガッカリ。
 気を取り直して、農園まで、電車~折り畳み自転車で出勤でした。

 それにしても、ひどい日照り。
8月にはいり、猛暑、雨は、8/15日、台風の影響で25ミリの雨があったのみ。
 ところが、田んぼは今のところ、水は豊富で、ビクともしていない。
 まず、この地域(行橋・みやこ郡)の中心の川、今川、今日も豊富な水。(冒頭)
農園のある、馬ケ岳、御所ケ谷の二つの山からは、今も水がしっかり流れてくる。
 ↓馬ケ岳からの水(ため池、田んぼ経由)

↓馬ケ岳と御所ケ谷の鞍部からの水(いつも私が使う、水場経由高低差のある田んぼをいくつも通過して流れてきた)

↓馬ケ岳と御所ケ谷の鞍部を今日、草刈りした休耕田から望む


 自然林、谷は、花崗岩が風化した真砂土・その下は花崗岩の岩盤で、真砂土の部分に水がたまっていると思われる。高さ10メートル程の自然林(クヌギ等)で覆われて、強い日差しも遮り、蒸発しにくい)

 山からの水を巧みに集めて、それを縦横に張り巡らせた、細い水路で、田んぼに導く施設、集落のお墓には、一番古いものは、江戸時代の墓石もあり、江戸時代には、作っていたものと、思われる。
 付近には、奈良時代の条里制の跡もあり、奈良時代にさかのぼるのかも。
 昔の日本人は、偉かった。

 田んぼは、水に苦しむことはないが、畑は、日照りにアップ、アップ。

今日も、休耕田の草刈りの後、昼食を、井戸水冷蔵庫で冷やしたキューリとビールで取り、その後は、ひたすらリヤカーに積んだバケツで集落の水場から畑まで、往復する事、18回。
 運んだ水は、900キログラム。
ヘチマ(ビフォー)

ヘチマ(アフタ)

キューリ、ヤーコン(ビフォー)

キューリ、ヤーコン(アフタ)


 ヤーコンには、半分の株に水やりしたところで、迎えに来た妻の車の出発時間となり、おしまいに。

 明日は、曇り時々雨の天気予報で、雨に期待。

 台風は二つとも、遠くに去り、今度の日曜日、名高い漁場の汐巻に釣りの予定。
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真夏の汐巻で五目釣り、待望の夕立も(2018/7/22)

2018-07-23 11:19:54 | ルーツはここに?
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、名高い漁場の汐巻で釣りでした。
前日から釣り幹事のSZ氏宅に泊めてもらい、朝3時木工職人のSG氏、電気工事屋のK氏、鉄工所のF氏ら釣りバカ6人を乗せた車、小倉を出発、粟野漁港5時出港。
船はいつもの第五漁神丸。

(ヤリイカが釣れた)
一月ほど前から、イカメタルというものがあり、これを、スッテ&おもり代わり、通常のイカスッテも短い枝糸で付けてあわよくばイカ釣れろ。
 時々拝見している、釣のブログで仕掛けも研究
 この2回は空振り、今日、背中合わせで釣っていたK氏が、ヤリイカゲットで、急ぎ、私もイカメタルに変更。
 15分程、せいぜい30分の探り釣りで、ダメなら本命の鯛釣りに戻る腹積もり。
 なんと、本当にヤリイカが掛りました。
型は、小型。

 一度中断を挟んで、可愛いヤリイカ結局3匹ゲット。
これまで半信半疑でイカメタルを投入していましたが、これからは期待を込めてイカを釣ることに。

(大漁)
大鯛、50センチ余りも私も含めて、皆さんで3匹とまあまあ。
アオナ、ボッコといった嬉しい魚も上がり、一番多いのは、レンコダイで帰りのクーラーボックス皆さんズッシリ。
↓大鯛




↓アオナ



↓ほうぼう

↓ボッコ


↓レンコダイ


(日本歩いて一周)
行きの道中、車内で釣りバカ話やら、世間話で賑やか。
木工職人のSG氏が言うには、同級生の方、82歳だが、理容店を2店舗営んでおられ、一念発起、歩いて日本を回る計画とのこと。
寝袋持参。
東京オリンピックが始まるまでに、40キロメートル/日のペースでゴミを拾いながら日本を綺麗にして回るのだとか。
オリンピックを見に来る人たちに、清潔できれいな日本を見てもらいたいと。
 四国88箇所ぐらいにしてはと、SG氏や周りの人が話すが本人は、やる気満々とのこと。
 40年以上前、尾瀬の山小屋に泊まると、ゴミは持ち帰ってくださいとあり、驚いたが、趣旨は分かると、しぶしぶゴミをリュックに入れて持ち帰ったのを思い出す。
瞬く間に、私が時々利用した四国、九州の山小屋でも同じルールになり、今では、列車の中で
発生したゴミも所定のゴミ箱に捨てるのが当たり前の文化。
おかげで、新幹線の車内清掃がきわめて短時間(2分)で終わり、世界に誇る新幹線の運転間隔の短さにつながっているらしい。
話は、尾瀬(長蔵小屋から?)から始まっている。
 82歳の方の全国徒歩清掃旅行も、そう馬鹿にした話ではないかも。

(強い夕立)
SZ氏宅から、迎えに来た次男の車で、我が家に。
農園にキュウリを取りに行った妻の話では、ポツポツ、農園で雨とか。
そうこうするうちに、叩きつけるような強い夕立に雷。
スマホのお天気レーダーを見ると、農園周辺も強い雨マークの真っ赤。

 一時間程、強い雨で、やれやれ、リヤカーでの水運び当分不要に。

(魚調理)
大鯛は半身を刺身にして、醤油漬けでいただき、残りの半身は切り身にして塩焼き用に冷凍庫。
ヤリイカは刺身で夕食に。
これが一番家族の評判がいい。
残りのレンコダイは雨模様なので、予定していた一夜干しはやめて、切り身にして冷凍庫に。
冷凍庫満員、もう入らんと、妻。

 前日の睡眠不足と、釣り疲れ、ビール飲み疲れで、魚の調理が終わってから、即爆睡、気持ちのいい朝の目覚めでした。
 
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ヤーコンの日本への導入は茨城県阿見町から(2017/12/14)

2017-12-14 11:10:38 | ルーツはここに?
 昨日なんでも鑑定団をテレビで見ていると、茨城県阿見町という、霞ケ浦に面した町での収録。
 阿見町の紹介で、冒頭に特産品は、ヤーコン、このヤーコンは阿見町にある茨城大学農学部の先生(月橋輝男教授)が、1980年代に、原産地の南米ペルーから取寄せ、試験栽培したのが初めで、いまでは阿見町の特産品になっているとのこと。

 竹田農園のヤーコンは、埼玉にお住いのIZ氏ご夫妻が、段ボール一杯の、八頭(里芋の高級種)とヤーコンの株を10年程前送ってくれたもの。
 IZ氏の奥さんの実家が埼玉の農家で、時々実家の手伝いで、八頭、ヤーコン竹田農園でも作ってみたらと送ってれたもの。
 空いた畝に、植えてみると、八頭は、九州北部では気温が高すぎるのか、うまくできずあきらめ。
 ヤーコンは、気候があったのか、スクスク育ち、冬ヤーコンを収穫した後の株を土の中に埋めて保存し、春先に株を掘り出して畝に植えると、これもスクスク育ち、今では、農園の畑の1/3はヤーコン。
 オリゴ糖を豊富に含むそうで、食べてもホノ甘く、生だと梨とそん色なく、テンプラ、キンピラでも美味しい。
 大腸のビフィズス菌がオリゴ糖を食べて増殖し、腸内が健康になり、お通じも良くなり、風邪も引きにくくなる。
 大腸は、免疫細胞の1/2を作っているそうで、ヤーコンを食べると免疫細胞が増えて、風邪をひきにくくなると思われる。
 私はこの5年間、風邪で病院にいってなかったが、ついにこの夏、孫・こども11名大挙帰省してくれ、過労か風邪ひき。
 それでも風邪の程度は軽く、この冬の冷え込みにも風邪ひかない。
 何人かにヤーコンの株差し上げて、畑で作っている方もいるが、そのお一人も、同様、風邪をひきにくくなったとのこと。

 私を含む団塊の世代、10年後には、全員75歳以上になり、介護費用も現在10兆円が2030年には20兆円になると、心配されている。
 団塊の世代は、どうせ今は暇を持て余していて、体力は結構あるのだから、空き地を確保して、ヤーコンを栽培すると、介護費用もここまで増えないと思う。
 葉がしこり、必要面積は通常の倍、3月末植え付け収穫は葉が完全に枯れた翌年の1月で時間もかかり、専業農家ではなかなか採算が合わないと思うが、暇な団塊の世代なら、栽培は容易。

 ペルーから30年前にヤーコンを日本に取り込んだ茨城大学の先生、江戸時代、サツマイモを日本全国に広めて飢饉の時に餓死者を減らした青木昆陽のような、平成の青木昆陽かもしれない。
 私にヤーコンの株を送ってくれた、IZ氏は埼玉で、初めてヤーコンが栽培された茨城県と隣の県で、多分ご両親か近所の農家の方が株を取り寄せ、栽培したのだと思う。(冒頭はこの春遊びに行った埼玉のIZ氏宅の畑のヤーコンの畝)
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農園で菊芋・ジャガイモ収穫(2016/12/6)

2016-12-06 22:29:04 | ルーツはここに?
天気が良かったので、竹田農園に妻と出かけました。
バーベキュー時、暖をとるためのたき火用に使っていた薪用コンロ、多分15年程使い、足がさびてグラグラ。
危ないので、ネットでたき火用のステンレス製コンロを購入、今日初めての使用。
やや小ぶりだが、たき火専用に作ってあるだけあり、空気穴が沢山開いて、よく木が燃える。
暖を取るには、十分で合格。
 JA直営店の国府の里で、山向こうの猟師さん達が仕留めて販売しているイノシシ肉を今日も、食べる。

 お腹がいっぱいになったところで、妻は、採り入れの終わったなた豆の支柱の撤去。

 私は、菊芋の採り入れ。
 二個の菊芋を春先植え、3メートル近くまで成長し、11月末枯れ、今日そのうち一株収穫。
いつも菊芋には呆れるが、バケツ2杯分ザクザクと収穫。
 ヤーコンと同じキク科で、これもヤーコン同様オリゴ糖が一杯らしい。
 ただ、菊芋に含まれるオリゴ糖は分子構造が長いそうで、ヤーコンのような甘みは全くないので、あまり、歓迎されない。
 肉じゃがのジャガイモの代わりとか、味噌汁に切っていれるくらい。

 もう一つ、まだ霜にも昨年のような疫病にも負けず、緑の葉を茂らせているジャガイモの探り掘り。
 いい型のジャガイモゲット。

 夏に植えた後、追肥はせず、畝に枯草を敷き詰めたのが、疫病にやられなかった原因と思っている。
 葉の茂る期間が長い分、芋が大きくなっている。

 最後は、妻が支柱を撤去したなた豆を植えていた畝に、休耕田に山積みの刈り草をリヤカーで3往復分、運ぶ。

 来年春までこのまま、健康でよく肥えた土になるはず。

 帰ってから、菊芋についた泥をタワシで水洗い、綺麗に。
明日、不良爺さん達と小倉室町の錦龍で飲むので、お土産。
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なた豆の種まき(2016/5/30)

2016-05-30 22:23:43 | ルーツはここに?
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
五月晴れの気持ちのいい一日、竹田農園に草刈りと健康豆のなた豆の種まきに行ってきました。
卓球に行く妻の車に便乗。

(草刈り)
農園の周辺の草刈り、4月以降、2回草刈りをしたが、次の草が結構伸びている。
草が伸びすぎると、マムシが潜んでいるのではと気持ち悪い(大半イノシシが平らげるのでその恐れは最近低下)、マダニが草の先端で人間に取りつこうと待っているのもいやらしい。
そのため、こまめな草刈りは、田舎生活の安全対策。
午前中は、草刈り機での草刈りでした。
刈り終わるとスッキリして、爽快。

(一人バーベキュー)
お昼になり、持ってきた食材に、畑のアスパラ、ソラマメ、ジャガイモ、玉ねぎで一人バーベキュー。
ビールも汗をかいた後で美味い。



(なた豆の種まき)
健康豆のなた豆、10年以上前、たまたま作って、私と、小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏が食べた所、血糖値が下がったので、飲み仲間の不良爺さんたちに人気。
 その後、ヤーコンもオリゴ糖とビフィズス菌との因果関係と、確かに風邪をひきにくくなるので、爺さん達の人気が高い。
 ヤーコンとなた豆は、農園の畑の両横綱といったところ。
 そのなた豆、種を蒔くと、夜盗虫が9割を食い倒すという困った事態がこの数年続いている。
蒔く時期が、6月になると、被害が減る感じで、今回は、ギリギリ、今日種まきに。
 畝を準備していると、獰猛そうなムカデを2匹見かけたが、こうした肉食昆虫やトカゲが夜盗虫を、暑くなるこの時期、退治しているのではと推測。
 午後いっぱいかかって、やっと種まき終了。
 うまく、育ってくれますように。

 妻が迎えに来て、我が家に。
取り入れた、ジャガイモ、ニンジンで肉じゃがが今日のメインディッシュ。
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親離れ物語(2015/6/8)

2015-06-08 22:12:06 | ルーツはここに?
普段通っている職場で、最近、手作り月刊新聞を作っている。先月から、テーマ、「私の親離れの時」、で随筆をメンバーが順番に書くことに。今度は私の番で、亡くなって、8年たつ父の号泣の思い出を書いた。懐かしい、50年近く前の出来事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

父の号泣  ~私の親離れの時~    

 私は今、66歳、私の親離れは、小学校6年の頃と思っていた。思春期になり、体格も父親を上回り始め、両親のアドバイスも、ただの面倒な小言と感じられて、学校など家の外では、陽気でよくしゃべる少年、家に帰ると、親と顔を合わせるのも話すのもうっとうしいと、自分の部屋に籠城状態。そんな親子関係のまま高校2年生に。夕飯時、気まずい空気が流れたことがあった。父兄懇談に来た母に、担任の先生が「お宅の息子さんは、クラスの委員長だが、あまりクラスの面倒を見ず、勉強ばかりしている。文科系に進んだ方が良いと思っていたが、理科系の方がいいかも」と言っていたと、母が話題に。父の顔色が変わったのが分かったが、何も言わなかった。籠城の効果。その少しあと、母校の野球の応援に出かけたが敗戦で、くたびれて我が家に。メリヤス店を両親は営んでおり、母から丁度、問屋から届いたメリヤスの荷物を開梱して、家の中に運んでおくようにとの指示。疲れているのにと、荷物を足蹴にして、ふくれっ面で、だらだらと作業に。そのことを母が父に話した途端、父が店の商品をひっくり返して暴れ始め、あっけにとられた家族や客を無視して、家の奥に。私はそのまま、商品を整理して、段ボール箱を倉庫に運んでいくと、そこの土間で、父が子供のように寝転んで号泣。これには驚く。父は、担任の先生の私への意見を耳にして、利己的な人間になるなと、私に説教したかったのだとすぐ理解。それからは、籠城は続けたが、「自分の成績・利益」と「周りの人の利益」の選択になると、父の希望する通り、人の利益優先で人生の選択をするようになった。今に続いている。振り返ると私の人生を豊かにする、いい選択を取れてきたように思う。この父の号泣が、私が親の意見を容れた最後の時で、この時が、本当の親離れだったと最近、思います。
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神輿担ぎの狂気と暴走のルーツ(2013/4/28)

2013-04-28 20:51:56 | ルーツはここに?
今日は、晴天、ナギ。
釣りバカたちは、白島沖に船釣り。
私は、幸か不幸か、町内会の世話役の当番が回ってきて、今日は、春の神輿担ぎの行事。
神輿は、時々かつぐが、今年から、私の住む町内会では、そろいのハッピを新調、今日はそのお披露目も。
冒頭。
背中も中々、粋。


神輿を担いで思うのは、真昼間から大の男が、酒を飲んで、重たい神輿を担いで、大騒ぎ、一時の公認の狂気と暴力。
 騒いだ後は、すっきりとした気分。
 島々を丸木舟でわたってきた、日本人のご先祖様は、こうした狂気と・暴力を力に荒海に漕ぎ出したに違いない。
 それが御神輿の、ハイテンションの大騒ぎに受け継がれているような感じ。
 男の子はほとんど3歳頃まで、暴走気味で、心理学的には、発達障害という、センスの無い病名をつけられているそうで、こうした神輿担ぎをすることで、段々大人になってきたのだと、思った次第。
 成人になっても、白目で見られる、猪突猛進型の男子は、皆さん、御神輿を担いで、狂気と暴走のエネルギーを発散すべしと思いました。

 そういえば、神輿を担ぐときの時の掛け声は「ジョーサイヤー」
 今日、調べてみると「大嘗祭」(ダイジョウサイ)と同じ語源とのこと。
 起源は諸説フンプンらしい。
 これも神輿を担ぎながら、心に浮かんだのは、「ジョーサイヤー」は丸木舟の櫂を漕ぐときの掛け声ではないか。
 私が、通った愛媛の今治西高校では、毎年春に、瀬戸内海で、6人乗りの手漕ぎ艇で、ボートレース。
 私は毎年、漕ぎ手に立候補して、気持ちよく瀬戸内海をこの手漕ぎ艇で漕いでいた時の、掛け声と同じリズム。
 ジョーサイで櫂を水面下になじませて、ヤーで水をかぐ。
 30人ほどが、交代交代で、「ジョーサイヤー」と掛け声をかけながら、太平洋を疾走したのではないか。
 神輿は、その昔、遠い遠い無鉄砲な、しかし勇敢なご先祖が、島伝いに日本列島にやってきたときの、記念の祭りなのかも。と思ったことでした。

 神輿担ぎも終わり、神輿担ぎのリーダーとパチリ。

 
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草刈り機新調(2012/9/24)

2012-09-24 21:51:50 | ルーツはここに?
今日も時間があったので、仕事が休みの次男と竹田農園に出かけました。

(草刈り機新調)
この10年近く使っている草刈機、先日、エンジンが油キレでもないのに突然止まり、一度専門店で分解掃除してもらわねばと思案。
もしかしたら寿命かもと思い、近所の農機具店(コメリ)で農園に行く途中で草刈り機新調。
次男にこのおニューの草刈り機で休耕田(イチジク畑)の草刈りを頼む。
エンジンの始動もなめらか、いまはやりの、丸鋸状の歯のついた草刈り機で、従来の1.5倍のスピードで刈れると、次男口笛を吹きながら草刈り。(冒頭の写真)
古い草刈り機は町の修理屋に出して、二人で同時に草刈りも可能な体制にしたいもの。

(イチジク食べた)
草が刈れると、休耕田に10年近く前から植えているイチジクが草の中から姿を現す。

どうせダメだろうと、近寄ってみると一個、表皮があずき色の実。
ためしに食べてみると、甘い。
これが休耕田のイチジク畑で初めて食べた甘いイチジク。
草刈りの最中しか、休耕田に住んでいるマムシが気持ち悪いのでイチジクの木には近寄れず、今日は運がよかった。

(昼食)
お昼は、畑の野菜を取ってきて、我が家から持ってきた、イノシシ肉などの食材といっしょに焼く。
畑のサツマイモ

畑のなた豆とピーマン

イノシシ肉となた豆をアルミホイルに包んで焼く、結構いける

お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、90歳)も加わり、今日は私がビールを持ってきていなかったので、江藤翁が焼酎を持参。
おいしい井戸水を凍らせた氷とロックで。
おいしかろうと江藤翁。
確かに口当たりがいい。

運転手の次男は飲めずで、お気の毒。
次男は、用事があり引き上げる。

(奇跡の栗の木)
元栗畑を放置して竹藪となり、とっくの昔に枯れただろうと気にも留めなかった栗の木、付近の竹をカッポ酒用に、毎週切り倒していたら、3年前、杉の木のようなスッと伸びた大木になり、栗の実を実らせているのを発見。
生き残っているのは4本。
栗の実、たくさん成るが、ここは既にイノシシ軍団の縄張りで私は落ちてくる栗を受け止める小型のネットを細々と張り、多分2%程度を頂く状態。
今年は、欲が出て、木の周りにネットを張って、せめて30%を収穫したいものと、午後は元栗畑に、まず例年通り小さいネット張り。
奥の栗の木の下に小さいネット、手前の高い木は、蔦に負けて枯れた栗の木

その後、竹で柵をつくり、そこに妻の卓球仲間のYさんから頂いた、漁網を再生したネットを張る作業。
作業途中で、日が暮れてきて、妻が私を回収にくる時刻になり、ネットの柵の完成は来週のお楽しみに。
10月にはいってここの栗は実を落し始めるので、まだ間に合う。
いい一日でした。
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1000円の威力(2012/8/17)

2012-08-17 21:31:41 | ルーツはここに?
今日、知り合いの若い人と雑談していたら、アルバイトが見つかったと。
この方、なかなか仕事が見つからず、アルバイトも面接を受けるが駄目で、困った困った。
それが、今日面接に行ったら、その場で明日からいらっしゃいとの事。
「最近なにかいいことをしたんじゃないんか?」
と聞くと、昨日道で1000円拾って、交番に届けたとの事。
そういえば、普段から愛嬌のある顔をしている方だが、今日は顔が輝いているかんじ。
見返りを期待したのではないが、結果的に、ご利益があったと見える。
アルバイト先の大将にも、それが分かったのだろう。

この2年間、ロシアに韓国に中国に領有権でいいようにやられっぱなし。
日本人も自分の目先の利益より、この若い人のような足元の善行を尊ぶ姿勢をたゆまず積み重ねていれば、国に品格が増し勝機もおのずと開けるに違いない。


 明日、関門の乗合船で釣りの予定。
前回は、アラカブ、小型のアコウなど4匹だったので、明日は、せめて5匹釣りたいもの。
セブンスライドも、試してみる。
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講談 田中熊吉 98歳宿老人生を聴く(2012/6/23)

2012-06-23 18:37:39 | ルーツはここに?
 講談師の神田紅の独演会に行ってみました。
日本でも指折りの講談師だそうで、福岡出身で、熱心な北九州のファンの皆さんが一年前から企画したとのこと。
 妻と、お知り合いのNT氏(90歳)とOHさんの四人で。
NT氏は89歳まで人材紹介の仕事をしておられ、一年前、目が不自由になり、引退された方で、最近「79歳の新入社員」というタイトルの面白い自叙伝を勤務していた会社の肝入れで出されたばかり。私も、よく声をかけていただいて可愛がっていただいている方。
 現在、目が不自由なので、歯切れのいい講談でタイトルも北九州ゆかりの「高炉の神様 田中熊吉 98歳宿老人生 ものづくり日本の魂」で面白く聞いてもらえるだろうとお誘いしたもの。
 八幡製鉄に宿老という職位の大変な溶鉱炉の職人さんがいるという話は、昭和39年ころ、中学3年の理科の授業で聞いた記憶があり、どういう人だったのかよく聞いておきたいというのが今日の私の主目的。
 神田紅さん描き下ろしの力作で、今日が初演らしい。聞き惚れましたが、内容は次のとおり。

 八幡製鉄の開所式の際、出銑のため溶鉱炉の出銑口をハンマーでこじ開けた職人さんが3人おり、そのときこの田中氏28歳で見事役目を果たしたということから始まり、苦しい生活の生い立ちから、38歳?の時、溶鉱炉での作業中にハンマーで目を傷つけ、右目?を失明したが、3カ月後職場復帰。溶鉱炉についての深い知識や運転技術が認められ、職工から職員に格上げの話があったが、現場で働きたいという本人の希望で、終生働いてほしいということで、宿老という職位を新設することとなったのが、田中熊吉48歳。病に倒れる97歳まで八幡製鉄の溶鉱炉の神様として頼りにされ、98歳でなくなったのが昭和46年。

 戦前戦後、電力業を日本で育てた松永安左エ門と同じ時期、期間ともほぼ同じ。ともに97、8歳まで活躍、生まれたのも、亡くなったのもほぼ同じ年。仕事に打ち込む集中力、持続力とも二人は甲乙つけがたいと感銘。ちなみに神田紅はオリジナルで松永安左エ門も講談でかなり前取り上げたことがあるとのこと。一度聞いてみたいもの。受付でCDを売っていたので、松永安左エ門の講談は無いか聞いてみたが、あいにくなかったのは残念。
 90歳のNT氏も楽しかったようで、いい一日でした。
 終わりに、4人でパチリ(冒頭の写真)
 戸畑の会場はほぼ満員、700人近くのお客で、皆さん満足の表情でした。

 明日は、名高い漁場の汐巻に釣りの予定。波はそれほど高くないが、雨が激しく、それもところにより雷雨の予想で、出港どうなることやらとやきもき。
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